私がフラクタル心理学講師になるまで
はじめまして。フラクタル心理学講師・カウンセラーの堀川理恵です。大阪府守口市在住。夫と娘の3人家族です。
門真市で生まれ、幼少期は吹田市の「千里ニュータウン」の団地で育ちました。竹林を切り開いてつくった「新しい町」で、私は緑いっぱいの自然に囲まれ、何不自由なく育ちました。
ところが、小学3年生の頃、突然母が失踪し、4歳下の妹と父との3人暮らしとなりました。それは、毎日少しづつ心が死んでいくような辛い日々でした。この時のトラウマが長い間、私の対人関係に暗い影を落とすことになりました(思考パターンとなって繰り返されたということ)。
2年後、離婚が成立し、私たち姉妹は母に引き取られることになり、守口市に引っ越しました。引っ越した先には、知らないおじさんがいました。私たちは何も聞かされぬまま、この母の新しい夫と4人で暮らすことになったのです。
この新しい「父親」は、母より20歳ほど年上で、戦争経験者でした。とても厳格で、優しかった前の父とは真逆でした。あまりに厳しいしつけに、母が「一緒に出ていこうか」と泣くこともあったほどです。
でも、私はなぜかこの新しい父親が好きでした。このことは、のちにフラクタル心理学を学んで、とても納得がいった点でした。私がダメな自分をしつけさせるために、この「厳格な父」を現実化したのだと分かったからです。
この父は、これからは「英語が必要な時代になる」と言って、私に必要な教育を受けさせてくれました。まずは英語の塾に入り、中学生になった時は、沖縄の米軍基地に3回もホームステイに行かせてくれました。
そして、中学3年生で、イギリスにある英国四天王寺学園に編入しました。そこで、親元を離れ、異国での寮生活が始まりました。高校卒業まで4年間、イギリスで暮らしました。異文化の体験は楽しかったですが、やはりそこでもあの「トラウマ」のパターンが対人関係のトラブルとして現れ、辛い思いをしました。
卒業後は、実家から通える関西外国語大学に入学しました。そして、在学中に1年間、アメリカ・オハイオ州のマイアミ大学に交換留学しました。イギリス英語とアメリカ英語の違いに戸惑いながらも、この時が一番英語が上達した時期でした。
大学卒業後は、就職難の中、外務省の「在外公館派遣員」の試験に合格し、在フィジー日本国大使館で2年間働きました。現地スタッフのまとめ役や、庶務などをこなす一方、管轄先のヴァヌアツの出張に同行させてもらったり、海上自衛隊の艦艇を迎える式典で着物を着て出迎えたりするなどの経験をしました。
この時の経験で、「日の丸」を背負うということ、「日本人としての誇り」について思いを深めるようになりました。長い海外生活の中で、この思いが自分の心の支えになっていたのだと思います。
帰国後は、上京し、外務省旅券課で非常勤スタッフとして勤務していましたが、そこでお声がかかり、元外務大臣中山太郎先生の私設秘書となりました。国民の代表としての覚悟や、この国をよりよくしていくのだ、という真剣さを目の当たりにした貴重な経験でした。
また、上京してすぐの頃、同じ派遣員制度でベトナムのホーチミン総領事館で働いていた今の夫と出会い、翌年25歳で結婚しました。1年後、秘書を退職し、株式会社インターグループで英日・日英の翻訳スタッフとして働き始めました。この翻訳の仕事が一番長く続いたのですが、この時の修練が、心理分析における抽象化⇄具体化に非常に役立っています。
30歳の時、夫の海外赴任が決まり、上海、ホーチミン、ハノイ、シンガポールと12年間海外で暮らしました。最初の赴任先の上海では、言葉が通じないストレスや、環境の変化で体調を崩してしまうことも多く、子宮内膜症とチョコレート嚢胞と診断されました。手術を勧められましたが、一旦断り、ネットで見つけた漢方医の先生の指示を受けて、体調を整えることに専念しました。
色々と勉強するうち、心と身体はつながっているということを実感し、この病気は母への恨みからきているのではないか、と思い至りました。やがてヨガを習い始め、そこでスピリチュアルの世界に出会いました。「ミステリースクール」のアデプトプログラムというものを受け、自分の心を見つめ、癒す作業を続けました。聖地セドナのツアーに参加したのもこの頃です。
この時の経験は、自分に向き合い、自分を癒すことの重要さを学べたという点で、今とても役に立っています。
そうして母の失踪という「トラウマ」が少し癒されてきたせいか、病気もそれ以上悪化することなく、結婚9年目にようやく長女を授かることができました。そして、大阪に里帰りし、「助産院で産む」という理想の出産ができました。
退院後、大阪の実家での育児が始まりましたが、思うように動いてくれない母へのイライラが募った私は、まだ4ヶ月の娘を連れて、逃げるようにして夫の次の赴任先のハノイに渡航したのでした。
ハノイでは同じように子育てをしているママ友もでき、それなりに楽しくやっていましたが、まだ人付き合いで疲弊してしまう自分をもどかしく感じていました。娘もかわいく、とても癒されたのですが、自分の思い通りにできない育児のストレスには苦しめられました。
結局、大阪でも、ハノイでも、私は「思い通りにいかない」ことに腹を立てていたわけなのですが、この頃の自分が、もし、フラクタル心理学の家族関係コースを受けていたら、ずいぶん楽に子育てや人付き合いができただろうと思います。奇しくも、一色真宇先生が「家族関係コース」を作ったのは、娘が生まれた年と同じ2007年のことでした。そして今、過去の自分に教えてあげるような気持ちで、受講生さんに「家族関係コース」をお教えしています。
それから、シンガポールに転勤することになり、娘の成長とともに、自分の自由な時間が増え、ストレスは軽減されました。しかし、やはり人付き合いについてはまだ問題を抱えていました。楽しいけど、なんだか疲れてしまう...これは、フラクタル心理学を学んで、自分の思考パターンのせいだと突き止めることができたので、今では全く問題なくなりました。
日本を出て12年後、日本帰国が決まり、東京都品川区の社宅に住むことになりました。その間に大阪にマンションを購入していたのですが、母の隣に土地が空いていたので、そこに改めて家を建てることになりました。私はこの時、まだ躊躇していたのですが、娘の「ここがいい」という一言で決意しました。
理想の家を一から色々考える作業はとても楽しかったです。これから家を建てる方にちょっとしたアドバイスができるぐらい、ネットや本で情報を集め、資料を取り寄せ、モデルルームに通いつめ、研究しました。そうして、自分の理想にかなり近い家を建てることができました。
その後、ちょうどいいタイミングで大阪への転勤が決まり、建築後半年で新しい家に家族そろって住むことができるようになりました。ところが、引っ越しの段ボールがまだ片付かないうちに、母が旅先で、脳出血で倒れた、との連絡が入ったのです。
幸い近くにいい病院があったため、無事でしたが、左半身に麻痺がのこるかも、という状態でした。入院中の母の世話、病院の手配などをこなしながら、「せっかく新しい生活をスタートさせようと思った時に...」という思いはぬぐえませんでした。
そんな年の暮れ、一通のメルマガが目に留まりました。上海にいた頃に出会った、瞑想の先生からでした。そこには、「親を許そう」ではない心理学、と書かれていました。
今までのスピリチュアルでは、「親を許そう」というスタンスでしたので、私はびっくりしました。同時に、これでやっと自分をトラウマから解放できる、という妙な確信が芽生えました。そして、すぐにフラクタル心理学マスターコース入門の受講を決めました。
それから、母のリハビリと、私の心のリハビリが同時進行するような日々が続きました。「本当に、私が自分の世界を作っていた。全て私の思い通りになっていた」...そう思うのに全く抵抗がなかったとは言えませんが、母のリハビリの成功がかかっていると思うと、背に腹は代えられないという思いで、まずは「思考が現実化する、100%例外なく」を受け入れることにしたのです。
やがてマスターコース初級に進み、あれも、これも、そうだったのか、自分の思考パターンのせいだったのか、そう思えば思うほど、ポロポロと思い込みが外れて心が軽く、楽になっていきました。母もリハビリをがんばって、杖もつかずに歩けるようになって無事退院することができました。今では普通に元気にあちこち出歩いています。その後ディズニーランドでビッグサンダーマウンテンにも乗ったぐらい元気です。
それから私は家族関係コース、マスターコース中級、潜在意識コントロール法、マスターコース上級、フラクタル現象学概論、フラクタル現象学Ⅰ、フラクタル心理カウンセラー養成講座へと進み、フラクタル心理カウンセラーとなりました。入門受講後からわずか10カ月。我ながらすごいスピードでした。
その後カウンセラーになってから、何か仕事がしたいと思っていた矢先、お声がかかり(このパターンも多いですね)、フラクタル心理学協会認定大阪ステーションのグランコンパスで事務スタッフとして働けることになりました。
それからは事務局の仕事の傍ら、カウンセリングやLDPなどのミニ講座、お茶会などを開催し、充実した日々を送っていましたが、もっと成長したくなったので、家族関係コース講師の試験を受け、合格。念願の家族関係コースを教えられるようになりました。
そして、さらに進化するため、今度はフラクタル心理学マスターコース入門講師の試験を受け、合格。新しい世界への案内人として、入門を教えられるようになりました。
子どもの時、確かに私は辛い思いをしました。そして、毎日少しづつ心が死んでいくような日々を過ごした、そう思っていました。ですが、その過去が今では全く違って見えるようになったのです。すべてのことは自分がつくり出した現実であり、過去は頭の中にしかない「記憶」であり、その記憶のほとんどは妄想でできているのです。
この仕組みが分かると、これからの人生を思い通りに生きられるようになります。今、私はその見本をお見せするべく、人生をフルで満喫しております。本当に自分が自分で良かった、そう思える人生になっています。
