斉藤ななこ 2026 04 25 物語


■ 砂漠のサイバーパンクウサギ
Episode 0 ― 音の中にいるもの ―


夜は、終わることを忘れている。

レイヤーシティのノイズ区では、朝は来るものではなく、削られて残るものだ。

音は消えない。ただ薄く引き伸ばされ、壁の角や配管の内側に貼りついたまま、形だけを保っている。

うさぎは、軽やかに踊るような足取りで人混みをすり抜けていく。車も人も、まともには見ていない。それでも当たらない。

その中で、うさぎは仕事を終えた。

「終わった」

誰にともなく言って、壁を二度叩く。
コン、コン。

ドアはない。
ただ、向こう側がある。

「届けたよー」
少し遅れて、声が返る。
「確認した」

姿は見えない。
「ちゃんと運んだよ」
軽く笑う。

「報酬はウォレット」
「見れない」
肩をすくめる。

「電池、死んでる」
一瞬の沈黙。
それから、隙間から小さな箱が押し出される。
うさぎはそれを受け取り、軽く振る。乾いた音。

開ける。
中には、指輪。
大きすぎる。
誰の指にも合わない。

「これ誰用なのwww、デカすぎない?」
試しにはめる。
抵抗なく落ちる。

「無理、なにこれwww」

少しだけ考えて、チェーンを取り出す。
通して、首にかける。
指輪は胸元で揺れた。

「これでいいか」

「……それでいい」
壁から声が聞こえた気がする。

うさぎはそれ以上気にしない。

イヤホンの奥で鳴るミニマルが、ほんのわずかにズレる。
それで十分だった。

そのあと、うさぎは飲んだ。
理由は単純だ。
終わったから。


店は狭く、音は近い。

低音が壁を叩き、会話はその隙間を縫って流れる。

グラスを持つ。
一口飲む。顔をしかめる。
「まず」

それでももう一口飲む。

音に合わせて飲む。

周りに合わせて笑う。

ズレているはずの自分が、場にぴったりはまる瞬間がある。

その感覚が、うさぎは好きだった。
もう一杯。



気づいた時には、外だった。
路地の床に背中を預けている。冷たい。

「あー」
息が抜ける。
「無理」

身体が言うことをきかない。
足音が近づいて、止まる。

「……荷物は」
低い声。

うさぎは顔を上げずに答える。
「終わってるよ」
少し遅れて言葉が出る。

「ブロック見ればわかるでしょ」
「端末は」
「死んでる」

沈黙。
その沈黙は、評価の時間だった。

くまはしゃがみ込む。
呼吸、視線、筋肉の入り方。

音に合わせて動いていた身体が、どこまで残っているかを見る。

「……動きは悪くない」
うさぎは笑う。
「でしょ」

くまはわずかに間を置く。
「だが」
声が低くなる。
「一人だと、そのうち死ぬ」

うさぎは目を閉じたまま笑う。
「えー」
「初対面でそれ言う?」

起き上がろうとして、崩れる。
「……ねえ」

くまは答えない。
「行くとこないんでしょ?」

沈黙。

「うち来れば」
軽く言う。

「クラブの人とか、たまにいるし」
「誰も気にしないよ」
「誰が出入りしている」
「知らない」
「最悪だな」

うさぎは笑う。
「でもさ」

指を一本立てる。

「電源だけはいいよ」

くまの視線が、ほんの少しだけ変わる。

部屋は狭い。

物は多いが、無駄ではない。
服に靴、アクセサリー、お気に入りのスニーカー。
ゲームの配線。投げ出されたコントローラーとキーボード。飲みかけの水。

使われた痕跡が、すべてにある。

ただ一ヶ所だけ、異様に整っている。

アンプの周り。

配線は真っ直ぐで、電源は正規の経路を通っていない。

「あれさ、マイ電柱」
うさぎが笑いながら言う。

「……違法だな」
「バレてないからセーフ」
「ノイズがない直の電源って最高だよね」

スイッチが入る。
音が鳴る。

低く、規則的で、しかし完全には規則に従わない。
同じフレーズが、同じ場所に戻らない。

「このトラック、掲示板でもらったやつ」
うさぎは自然に身体を揺らす。

「誰もかけないけど、これ好き」

くまは動かない。

音を聞く。

ズレる。

またズレる。

ズレ方が、一定ではない。

そこに、別の情報が混ざっている。


(C77)

思考が止まる。

(完全破棄対象のはずだ)

「これ、どこで手に入れた」
「だから掲示板」
「誰からだ」
「知らない」

うさぎは笑う。
「でもさ」
少しだけ首を傾ける。

「音いいでしょ」

くまは答えない。




ナコの部屋は、白ではなかった。

クリーム色の壁。
レースのカーテン。
リボンとフリル。
整えられた甘いお菓子とお茶。
そして、ナコについて回る小さな機械のペット。

全てが可愛い。

可愛く整えられている。
整えられすぎている。

ナコはその中に座っている。

「ねえ」
「なんだい」
「この家って、どこまであるの?」
「どうしてそう思う」

ナコは少し考える。
「知らないから」

一拍。

「私、この部屋しか知らない」

男は微笑む。
「ナコは身体が弱いからね」

スプーンが差し出される。
「あーん」

甘い。
遅れて苦い。

「ナコは本当に甘いものが好きだな」

ナコは頷く。

「すき」

『素敵なレディになったら、王子様が迎えに来てくれるよ。いつかね。』

今はまだ早いと子供に言い聞かせる。
子供を溺愛する父親のセリフに聞こえるのは気のせいなのか。


少し間。

「ここ、きれいだよね」

もう一拍。

「でも、音が少ない」

部屋は静かすぎた。
静かすぎることが、欠落の形をしていた。




「たまにはさ」
ある夜、うさぎが言う。
「私だって女の子だから」
少しだけ間を置いて、
「モテたいじゃん」
『何をするんだ?めかしこんで?』
『もててくる!』
クマは一人で大丈夫なのかを過剰に心配してくる。
うさぎば笑う。
『私ほらうさぎだから、耳いいし、音わかるし、踊れるし、走れるし、ジャンプできるから。1人でも平気なんだ!』


大箱クラブは、完璧だった。
光も音も、人の流れも、すべてが揃っている。
最近の人気DJは、だいたいAIをアシスタントにしている。選曲も、展開も、客の上げ方も、外さない。

ズレがない。
ミスがない。
迷いがない。

「すご!」
ウサギは最初にそう思う。
だが、すぐに違和感が来る。

足が動かない。

盛り上がるタイミングが、すべて予測できる。
だから、身体が遅れる。

男が近づく。
「一緒に飲まない?」

うさぎは笑う。
「あー、ごめん」

男は同じ笑顔で去る。

また別の男が来る。
同じ言葉。
同じ間。

「……なんかさ」
小さく呟く。
「全部、正解すぎない?」


外に出る。
夜風が、少しだけ不規則に鳴る。
「……飽きた」
少し笑う。
「やっぱDRIFTだな」



DRIFT

中に入ると、音が身体に触れる。
低音が骨に入る。
ズレがある。
それが、気持ちいい。

「やっぱここなんだよね」

DJ――OFFSET。

うさぎは名前を呼ばない。
「ドリフトの人」

針が落ちる。
ズレる。
戻る。
またズレる。

OFFSETが言う。
「最近のは、完璧だ」

一拍。
「ズレがない」
もう一拍。
「だから、覚えなくても踊れる」

少し間を置く。
「でも、残らない」

くまと目が合う。

「人間はズレる」
「そのズレが、残る」

うさぎは少し考える。
言葉を探す。

「ちゃんと鳴ってるよね」

OFFSETは何も言わない。

ただ、次のレコードを選ぶ。


明け方。
DRIFTの入口。
外はデバイスが許される。

「おい」
OFFSETがうさぎを見る。

「よく踊るやつ」
「え、私?」

一瞬だけ、写真が撮られる。

ある日うさぎは行きたくても行けない
海外フェスのVRチケットを手に入れた。

この日のためにヘッドホンも新調した。
ゴーグルも映りのいいもの。

ウサギにしてはかなりの高額。

自分のアバターで踊り始める。

あっ!ドリフトの人。又海外か。

ちょっとだけ羨ましい。

その後、フェスの大トリを務める有名DJ。
知っている音、馴染みの音、みんなが盛り上がる音。
正解すぎる。

ウサギは『現地なら楽しめたのかな?』と言ってヘッドホンとゴーグルを外してベッドに倒れ込む。

なんだか違うな。

熱狂の中にあったものは、うさぎの求める音ではなかった。


後日。
SNS。
暗い入口。
笑っている自分。
「あ、これ私だ」
少し笑う。
「やば」


その夜。
いつものオンラインゲーム。
以外にもうさぎは慎重派だった。
VCするのは、オフ会等リアルで知ってる人間。
友達と認定している人だけだ。

このゲームはある一定の時間が経過しないと、沸かないレアな敵がいる。
だから狙っているときは席を外せない。
気がつくと朝方。
海外ガチ勢がそろそろ時差でやってくる頃だ。

うさぎは仲間とVCに夢中。

この間のOFFSETのSNSに載った話を少しだけする。

お前界隈で有名人じゃんwww
仲間の軽口が心地よい。

そんな会話のなかに突然テキストのDMが届く。

「あと何分」

「それ、まだ来ないよ」

「なにそれ」うさぎは笑って無視する。

「そのループ、3回ズレたら来る」

音が、わずかにズレる。

敵が出る。

うさぎの手が止まる。
「……え?」

今日も朝まで狩り!
投稿直後にDMが来る。

別の場所にも来る。

捨て垢にも来る。

「その音、まだ聞こえる?」

うさぎは怒る。

「えーやだよ」
「これ捨て垢だもん」
「いいじゃん」
投げるように言う。

でも。
数が増える。
消しても来る。
うさぎは黙る。
アプリを消す。

「……別にいらないし」

コンビニへの買い出し。

うさぎだってわかっている、コンビニよりもスーパーの方がフレッシュだし、わずかながら安い。

でも近さでコンビニを選ぶ。

「やっぱさ」
「現金が一番じゃない?」
『ブロックなんてさ、電池が切れたら文鎮だもんねwww』

コンビニスタッフが渡すお釣りとレシート。
受け取る札。

同じだよ
赤いインクの謎のメッセージ。

うさぎは笑う。
「なにこれ」

次の日。また。

またその音聞こえてる?
同じ筆跡のように見える赤いインクのメッセージ。

うさぎは、少し黙る。


くまは言う。
「お前、財布のなかの物を全部出せ」

札を水に沈める。
インクが滲む。

「使えるから危ないんだ」

一拍。
「だからお前は一人だと危ないんだよ」

うさぎは、何も言わない。


部屋。
音が鳴る。
ミニマル。

くまは音の奥を見る。

C77
処理:完了

そのさらに奥。

準備は終わっている
くまの呼吸が止まる。

「……死んだはずだ」

床で、うさぎが笑う。

「この曲さ」
「やっぱいいよね」



朝。
羽音。
ハトが降りる。
カプセル。
紙。
うさぎが読む。
「……人、だって」
くまが顔を上げる。
「断れ」
うさぎは笑う。
「初回サービスで無料ね!」

お話か浮かんだだら書いていきます。

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