おさるの雑巾
「捨ててもいいような大きめのタオルとかシーツとか、ちょっとお借りできますか?」
と声をかけて、ハイとすぐに手渡してくれる家は、最近はなかなか少ないですね…
住宅設備の修理業者さんだったか、こうこぼすのを聞いて、ちょっとどきりとしたことがある。
修理の時の養生に限らず、こういう何気ない備えって大事と気づいてからは、必要な時にすぐに使えるようにバスタオルとかシーツとか、大判の古布を少なくとも1枚は常備するようにしている。まあ、今どきの業者さんは、住人になるたけ手間をかけないよう、養生マットを持参しているのが普通かもしれないけれど、自分が必要な時にもすぐに使えるようにしておきたい。
そんなわけで、くたびれたバスタオルは捨てずにそのままどこかに突っ込んでいることが多い。けれど、フェイスタオルは、タオルとしてお役御免になり次第、すぐにハンカチ程度の大きさに切り分けて雑巾ストックとしている。
このパイルがくたくたになったコットンの元タオルは実に優秀で、彼らには、その後もまだまだ雑巾としての輝かしいキャリアが待っているのだ。
拭き掃除で何度か洗い・乾かしを繰り返し、どんどん薄ぺらになって、とうとう本当の引退時期が見えてくると最後のお勤めとなる。固く絞ってから、丁寧に折り畳み、どの面も裏表が真っ黒になるまで、折り直しながらあちこち拭いて廻る。
こうして、布としての生を全うさせて、ゴミ箱へ納めるときの心地よさときたら…。なんといっても元タオルの小雑巾は、洗いやすく乾きやすいのがよい。そもそも、雑巾のなにがいやって、洗った後の乾くまでの時間だ。どこに干すかも問題だし。
雑巾といえば多くの人が思い出すのが、もしかすると、小学校の教室の後ろとか、廊下に干されていた”あれ”かもしれない。”あれ”にいい思い出がある人は、まずいないんじゃなかろうか。牛乳をこぼした後始末に使った後、絞りが甘い雑巾から漂う生乾きのあの匂いときたら…(もうお分かりいただけたかと)。「雑巾」ときいて反射的にあのイメージが湧くとしたら、雑巾の名誉回復を切に願う。
幸田露伴の娘・文(あや)が父との思い出を綴ったエッセイ『父・こんなこと』にも、雑巾がよく出てくる。娘の掃除の手際をみて、
「滿足に雜巾も搾れない癖に小賢しくも水の掃除をしやあがる、サルには負ける」
と手厳しい。露伴は、水の扱いには特にうるさかったらしい。それにしても、愛娘に「サル」とはひどい(笑)。
でも、改めて読み返してみると、ぶっきっらぼうだけど、その芯には江戸っ子特有の愛が感じられる。
雜巾は刺したものより、ならば手拭のやうな一枚ぎれがいゝ。大きさは八つ
折が拡げた掌からはみ出さない位であること。「刺し雑巾は不潔になり易いし、性(しやう)のないやうなぼろつきれに丹念な針目を見せて、絲ばかりが残るなんぞは時間も労力も凡そ無益だから、よせ。そのひまにもつと役に立つことでも、おもしろいことでもやれ」と云ふ。
「役に立つこと」は当たり前として、「おもしろいことでもやれ」って、粋なお父っあんだな…。
こうして雑巾のうんちくを書くと、よほど掃除好きと誤解されるかもしれない。実は、面倒なのが嫌なだけで、露伴がいうように、その分おもしろいことに時間を使いたいと思うおさるなのです。
ヘッダー写真: 「ミニチュアのブリキバケツと雑巾」。こういうバケツで雑巾を絞りたい。
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