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「パパ見て」と言われた時、スマホを置くようにしている理由

毎朝、娘は紙パックのジュースを飲む。

小さい頃は、私が全部準備していた。

ストローを袋から出す。

伸ばす。

挿す。

曲げる。

飲む。

たったこれだけの作業なのだが、3歳児にとってはなかなか工程が多い。

製造業で言えば、ストロー開封工程、伸ばし工程、挿入工程、曲げ工程、飲用工程である。

しかも途中で失敗すると、ジュースが飛ぶ。

かなり危険なラインである。

でも最近は違う。

娘は自分でやりたがる。

ストローを袋から出すところから、自分で挑戦する。

そして言う。

「パパ見てて!」

私は毎朝見ている。

本当に見ている。

かなり見ている。

最近は娘の観察が趣味みたいになっている。

ただ、昨日は少し違った。

ストローの袋が固かった。

娘は頑張った。

引っ張る。

引っ張る。

引っ張る。

出ない。

小さな手で、かなり真剣に格闘している。

こちらとしては、すぐ開けてあげたい。

でも、娘が自分でやろうとしている。

ここで手を出すと怒られる可能性がある。

3歳児の作業支援は、タイミングを間違えるとクレームになる。

私は見守った。

しばらく格闘したあと、娘は少し悔しそうに言った。

「パパ開けて」

私は開けた。

娘は受け取った。

そして、少し悔しそうだった。

その顔が、少し残った。

そして今日。

朝から再挑戦だった。

娘は紙パックのジュースを持つ。

ストローを持つ。

そして言う。

「パパ見てて!」

私は見た。

娘はストローの袋を握る。

引っ張る。

少し引っかかる。

もう一回引っ張る。

出た。

娘は満面の笑みだった。

「今日は自分で開けれたじゃん!」

私が言うと、娘は少し得意そうに言った。

「〇〇ちゃん、昨日できなくて悔しかったの」

私は少し驚いた。

ちゃんと覚えていた。

昨日できなかったことを、悔しかったこととして覚えていた。

そして続ける。

「でも今日は開けれた」

さらに続ける。

「〇〇ちゃん、お姉さんになったからストロー出せるようになった!」

かなりのドヤ顔だった。

どうやら成長の理由は努力ではなく、お姉さんになったかららしい。

自己評価がかなり高い。

良いことである。

ただ、私は別のことも気になっていた。

娘は何度も、

「パパ見て!」

と言う。

私はそのたびに、

「見てるよ」

と答える。

でも娘はまた言う。

「パパ見て!」

見ている。

本当に見ている。

何なら観察している。

分析までしている。

なのに言う。

最初は少し不思議だった。

私はストローを見ている。

娘の手元も見ている。

袋を引っ張る角度も見ている。

力の入れ方も見ている。

生産技術としては、かなり現物確認している。

だが、娘をよく見ているうちに気づいた。

娘は、私の顔を見ていた。

ストローではない。

私を見ている。

そして、私が娘の顔を見ている時に、

「パパ見て!」

と言う。

一方で、私がストローの作業だけを見ている時は、あまり言わない。

つまり娘は、ストローを見てほしいだけではない。

私がストローを見ているかを、娘が見ているのである。

なかなかややこしい。

私は娘を観察しているつもりだった。

でも娘も、私を観察していた。

パパがいるか。

見ているか。

本当に見ているか。

途中でスマホを見ていないか。

顔だけこっちに向けて、心は別のところに行っていないか。

たぶん、そういうことを確認している。

「パパ見て」は、

「このストローを見て」

だけではなく、

「私が頑張っているところを、ちゃんと見てる?」

なのかもしれない。

そう考えると、かなり重い。

そして、少し愛おしい。

私はこれまで、娘に「パパ見て」と言われた時、スマホを片手に返事をしてしまうことがあった。

「うん、見てるよ」

と言いながら、画面を見ている。

見ているつもりではある。

視界の端には娘がいる。

でも、それは娘が求めている「見て」ではなかったのだと思う。

娘は、作品や動作だけを見てほしいわけではない。

私の視線が、ちゃんと自分に向いているかを確認している。

だから最近は、できるだけスマホを置くようにしている。

毎回完璧にはできない。

普通に失敗する。

疲れている時もある。

仕事のことを考えている時もある。

返信したい時もある。

調べものをしている時もある。

娘が「見て」と言うタイミングは、こちらの都合をあまり考慮してくれない。

当たり前である。

3歳児は、父親のタスク状況を確認してから声をかけてくれる秘書ではない。

でも、できるだけ一回置く。

スマホを伏せる。

顔を上げる。

娘の方を向く。

それだけで、娘の表情が少し変わることがある。

私はすごいことをしているわけではない。

ただスマホを置いているだけだ。

かなり地味である。

でも、娘にとっては、

「パパがこっちを向いた」

ということが大事なのかもしれない。

親として、何か特別なことをしてあげたいと思うことがある。

遠くに連れて行く。

おもちゃを買う。

イベントを用意する。

記念日に写真を撮る。

良い経験をさせる。

そういうものも、もちろん大事だと思う。

私もやりたい。

むしろ、かなりやりたい。

娘が喜ぶ顔を見るためなら、父親はわりと簡単に財布のひもを緩める。

かなり危険な生き物である。

でも、最近思う。

子どもにとっての愛情は、大きなイベントだけではないのかもしれない。

日常の中で、

「見て」

と言った時に、

「見てるよ」

が返ってくること。

しかも、片手間ではなく、顔ごと向いてくれること。

それも、たぶんかなり大きい。

昨日できなかったことが、今日はできた。

その瞬間を、パパに見てもらいたかった。

そして、ちゃんと見てもらえているか確認したかった。

そう考えると、

「パパ見て!」

は少し違って聞こえる。

見て。

ではなく、

見てる?

なのかもしれない。

私は娘を観察しているつもりだった。

でも実際には、娘も私をよく観察していた。

親が子どもを見ているように、子どもも親を見ている。

こちらの返事の軽さも。

視線の向きも。

スマホを見たままの「すごいね」も。

たぶん、思っているよりちゃんと見られている。

そう思うと、少し怖い。

でも、少し嬉しい。

娘は、まだ3歳である。

いつまで「パパ見て」と言ってくれるのかは分からない。

小学生になっても言うのか。

中学生になったら言わなくなるのか。

高校生になったら、そもそも父親に見られたくなくなるのか。

分からない。

たぶん、いつかは減っていく。

「パパ見て」が、

「パパあっち行って」

になる日も来るかもしれない。

想像しただけで少しつらい。

いや、かなりつらい。

だからこそ、今の「見て」は、できるだけちゃんと受け取りたいと思っている。

全部に全力で反応するのは無理である。

親にも体力がある。

集中力もある。

眠い日もある。

心が半分だけ会社に残っている日もある。

でも、せめて、

「見て」と言われた時に、

「見てるふり」ではなく、

一回ちゃんと見る。

そのくらいは、できるだけ続けたい。

娘の作品が何なのか分からない日もある。

謎の踊りの意味が分からない日もある。

突然始まるプリンセス設定についていけない日もある。

ストローを出せた理由が「お姉さんになったから」という謎理論の日もある。

それでも、娘がこちらを見て、

「パパ見て」

と言った時。

そこにはたぶん、

「私を見て」

が少し入っている。

だから私は、スマホを置く。

たったそれだけのことだけど、もしかすると娘にとっては、

「パパは私のことをちゃんと見てくれる」

という、小さな記憶になるのかもしれない。

そう思うと、今日もまた、スマホを置く理由ができる。


最後に少しだけ。

先日、娘との関わり方について書いた有料記事を初めて購入していただきました。

自分なりに大切にしていることを書いた記事だったので、読んでいただけたことが本当に嬉しかったです。

購入してくださった方、読んでくださった方、本当にありがとうございます。

こうして日々の小さな関わりを書きながら、これからも娘との時間をちゃんと残していきたいと思います。

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