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3歳娘の秘密会議に招集された父親の記録

朝、娘が突然こう言った。

「パパ、こっちの誰もいないとこ来て!」

ただごとではない。

3歳児が「誰もいないところ」を指定してくる時点で、これは通常の親子コミュニケーションではない。

機密性が高い。
情報漏洩対策がされている。
たぶん議事録も残してはいけないタイプの会議である。

私はただちにキッチン方面へ移動した。

この時点で、父親としての通常業務は停止している。

歯磨き。
着替え。
出勤準備。
会社員としての社会的責任。

そんなものはすべて後回しである。

3歳児より発令された緊急招集命令に、民間人が逆らえるはずもない。

私はキッチンの方へ向かいながら、なるべく平静を装って聞いた。

「何、どうしたの?」

すると娘は、真剣な顔で言った。

「ダメ!ひじきがそこにいる!こっち来て!」

ひじき。

我が家の黒猫である。

つまりこの会議は、猫にも聞かれてはいけないらしい。

国家機密か。

少なくとも、黒猫に情報を抜かれるとまずい種類の話であることは間違いない。

私はさらに移動し、パントリーの前まで連行された。

いや、連行という表現は正確ではないかもしれない。

しかし、あの時の私は完全に娘の指揮系統下にあった。

父親ではない。
部下である。

3歳児司令官の命令を受け、指定された位置へ速やかに配置される中年男性である。

すると、その様子を見ていたママが、少しこちらを覗いた。

当然、娘は見逃さなかった。

「ママこっち見ないで!」

厳しい。

情報統制が徹底している。

この会議において、ママの傍聴は許可されていないらしい。
家庭内における最高権力者のひとりであるママですら、この場では入室禁止である。

つまりこれは、かなり高いレベルの父娘間秘密会議である。

私は気を引き締めた。

ここで聞き漏らしてはいけない。
下手な相づちも許されない。
おそらく娘の中では、かなり重要な案件なのだ。

私は娘の顔に近づいた。

すると娘は、少し小さな声で言った。

「〇〇ちゃん、パパのことめっちゃ大好き」

……。

ちょっと待ってほしい。

それを言うために、私はキッチン横まで呼び出されたのか。

それを言うために、黒猫ひじきの存在を警戒したのか。

それを言うために、ママの視線を遮断したのか。

厳重すぎる。

「パパ大好き」という情報に対して、セキュリティレベルが高すぎる。

しかし、考えてみれば当然かもしれない。

3歳児にとって「大好き」は、ただの言葉ではない。
たぶん、もう少し大事なものなのだ。

人前で簡単に出すものではない。
猫に聞かれていいものでもない。
ママに見られながら言うものでもない。

ちゃんと場所を選び、
ちゃんと相手を呼び、
ちゃんと秘密っぽくして、
ちゃんと伝えたい。

そういう種類の「大好き」だったのかもしれない。

私は一瞬で崩れ落ちそうになった。

ただし、ここで崩れ落ちてはいけない。

相手は3歳児である。

こちらが過剰に感動しすぎると、娘は急に照れたり、引いたり、なぜか怒ったりする可能性がある。

3歳児の感情は繊細である。
取り扱い説明書はない。
しかも仕様変更が多い。

昨日まで正解だった反応が、今日は不正解になる。

昨日は「嬉しい!」と抱きしめれば喜んだのに、今日は「近い!」と言われるかもしれない。
昨日は「もう一回言って」と言えば言ってくれたのに、今日は「もう言わない」と言われるかもしれない。
昨日はふざけて爆笑してくれたのに、今日は冷静な顔で「パパ、うるさい」と言われるかもしれない。

したがって、父親には瞬時の判断が求められる。

嬉しさは全開。
圧は控えめ。
感謝は明確に。
愛情表現は即返し。

私はできるだけ自然に、しかし内心はかなり取り乱しながら答えた。

「嬉しい!ありがとう!パパも〇〇ちゃんのことめっちゃ大好きだよー」

そして、ぎゅっとした。

無事、会議は終了した。

議題は「パパ大好きの件」。
決議内容は「相互にめっちゃ大好き」。
出席者は父と娘。
オブザーバー参加は黒猫ひじき、ただし情報漏洩リスクにより途中退席。
ママは視線参加を試みたが、議長判断により却下。

非常に有意義な会議だった。

それにしても、子どもの愛情表現というのは不思議だ。

「パパ大好き」と普通に言えばいいだけの話なのに、わざわざ場所を変える。
人目を避ける。
猫まで避ける。

大人から見れば、少し遠回りに見える。

でも、たぶんその遠回りにこそ意味がある。

「パパ、こっち来て」

この一言の中に、

今から大事なことを言うよ。
ちゃんと聞いてね。
ママには見られたくないよ。
猫にも聞かれたくないよ。
でも、パパには伝えたいよ。

そんなものが全部入っていたのかもしれない。

もちろん、これは私の勝手な分析である。

本当のところ、娘がなぜ場所を変えたのか、なぜママに見られたくなかったのか、なぜひじきがいるとダメだったのかは分からない。

でも、そう思うと、パントリー前の数十秒が、急にとても尊いものに見えてくる。

子どもの「今言いたい」は、本当に今なのだと思う。

大人なら、あとで言えばいい。
落ち着いてから伝えればいい。
タイミングを見て、また話せばいい。

でも3歳児の感情には、提出期限がある。

その瞬間に受け取らないと、どこかへ行ってしまうことがある。
再提出される保証はない。
差し戻しもない。
議案そのものが、静かに取り下げられてしまう。

だから私は、娘に呼ばれたらできるだけ行きたい。

もちろん、毎回は無理だ。

出勤前で時間がない時もある。
手が離せない時もある。
疲れている時もある。
正直、「今か」と思う時もある。

ただのおままごとかもしれない。
謎の演技指導かもしれない。
急に怒られるだけかもしれない。
「違う!そうじゃない!」と3歳児監督にダメ出しされるだけかもしれない。

しかし、たまにこういう爆弾が落ちてくる。

「〇〇ちゃん、パパのことめっちゃ大好き」

これは避けられない。
まともに食らうしかない。

そして食らった父親は、その日一日だいたい強い。

会社で多少のことがあっても、心の中に秘密会議の議事録がある。

朝、娘に呼び出され、猫の目を避け、ママの視線を遮断し、パントリー前で愛の告白を受けた。

その事実だけで、だいぶ戦える。

仕事のメールも返せる。
会議にも出られる。
多少の仕様変更にも耐えられる。

なにしろこちらは朝から、3歳児の重大告白を受けているのだ。

ちょっとやそっとでは崩れない。

いや、普通に崩れる日は崩れるけれど。

それでも、こういう記憶があるだけで、日常は少し強くなる。

いつまで続くのだろうと思う。

娘が私を「誰もいないところ」に呼び出してくれる日々は、いつまで続くのだろう。

黒猫ひじきの目を避け、ママの視線を遮断し、パントリー前で愛を伝えてくれる朝は、あと何回あるのだろう。

たぶん、ずっとではない。

いつか娘は、もっと上手に気持ちを伝えられるようになる。
あるいは、あまり言わなくなるかもしれない。
友だちや園や、自分だけの世界が広がっていく。

父親をパントリー前に呼び出して、愛を告白する必要はなくなる。

それは成長であり、喜ばしいことなのだと思う。

でも、少し寂しい。

だから今は、呼ばれたら行く。

キッチンでも、パントリー前でも、部屋の隅でも、黒猫ひじきの死角でも、どこへでも行く。

娘が「こっち来て」と言う限り、私はできるだけ応答したい。

子どもの「大好き」は、いつも突然で、いつも一瞬だ。

秘密会議の開催通知を、私はこれからも全力で待っている。

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