娘の担当は、今のところ氷二個まで
娘と私の二人で過ごした休日のこと。
朝から、娘の言うままに遊んでいた。
おままごと。
ブロック。
また、おままごと。
父は朝から、娘が企画したイベントを順番に消化していた。
昼頃になり、さすがにお腹が空いた。
「そろそろご飯食べようか?」
娘はすぐに答えた。
「今日はお外にご飯食べに行く!」
珍しい。
いつもはこちらから提案することが多い。
「いいよ。何食べたい?」
「うどんと唐揚げとチャーハン」
全部だった。
麺。
揚げ物。
米。
要求仕様が広い。
しかも、主食が二つある。
飲食店側の対応力が試される注文である。
「全部は難しいから、うどんかチャーハン、どっちがいい?」
「唐揚げ屋さんがいい!」
選択肢にない。
うどんか。
チャーハンか。
こちらは二択を提示した。
娘は、その外側から自分の希望をもう一度提出してきた。
交渉力が強い。
「じゃあ、うどん屋さんに鶏の天ぷらがあるから、そこでいい?」
「えー、唐揚げがいい!」
鶏天では代替できないらしい。
見た目は似ている。
材料も鶏である。
でも、娘の中では完全に別製品だった。
「うーん、どうしようかな。困ったなあ」
私が考えていると、娘はこちらの顔を見た。
少し間を置いて、
「じゃあ、うどんでいいよ」
と言った。
驚いた。
唐揚げへの思いは、まだ残っているはずだ。
それでも娘は、こちらの反応を見て、一度希望を引っ込めた。
3歳なりに、何かを判断したらしい。
「ありがとう。じゃあ着替えてくるから、少し待ってて」
その時の私は、まだ寝起きの格好だった。
髪も整えていない。
着替えもしていない。
娘はすでに外食モード。
父はまだ部屋着である。
急いで着替えていると、キッチンの方から音がした。
ガサガサ。
ゴソゴソ。
何かしている。
でも、危ない音ではなさそうだったので、着替えを続けた。
すると声が聞こえた。
「〇〇ちゃん、お水準備しとくねー」
お水。
何のことか分からなかった。
私が娘と出かける時は、冷蔵庫からペットボトルを出して、そのまま持っていくことが多い。
「うん、ありがとう!」
と答えると、すぐに次の報告が来た。
「氷入れといたよー」
氷。
さらに分からなくなった。
着替えを止めてキッチンへ行くと、娘は自分で椅子を運んでいた。
いつもお手伝いをする時のスタイルである。
椅子に乗り、水筒のふたを開け、氷を二個入れている。
あとは水を注ぐだけ。
父が着替えている間に、出発準備の工程が先行していた。
「すごい。ここまで準備してくれたんだ。ありがとう」
娘は得意そうに笑った。
そして言った。
「いつもはママに準備しようとすると怒られちゃうから、パパとお出かけ行く時に〇〇ちゃん準備するー」
なるほど。
平日の朝の風景が、すぐに浮かんだ。
娘が何かを手伝おうとする。
その横で、妻は時計を見ている。
朝ごはん。
着替え。
歯磨き。
持ち物。
こども園への移動。
決められた時間の中で、すべてを終わらせなければならない。
そこへ、自分でやりたい3歳児が新しい作業を追加してくる。
たぶん妻は、
「今はママがやるから」
「先に着替えて」
と言う。
でも、これはママが娘にやらせてくれない話ではない。
妻は毎朝、自分の準備をしながら娘の支度を整え、決まった時刻までにこども園へ連れて行ってくれている。
私は休日、出発時刻も決めず、寝起きの格好で、
「そろそろご飯でも食べるか」
と言っているだけだ。
余裕があるのは、私の方が優しいからではない。
ただ、締め切りがないだけである。
平日の朝に新しい作業を始められたら、私も止める。
おそらく妻より早い段階で止める。
「じゃあ、パパと出かける時はお願いしようかな」
娘は嬉しそうにうなずいた。
ただし、全面的に任せるにはまだ少し怖い。
椅子に乗り、水筒を開け、氷を入れ、水を注ぐ。
一人でできてしまう工程が増えたからこそ、危ない部分も増えている。
「でも、危ないことがあるといけないから、パパがいる時にやってね」
「わかった!」
話が早い。
どうやら次回から、父立ち会いのもと、水筒準備を担当してくれるらしい。
考えてみると、昼食の交渉も少し似ていた。
娘は、私が困った顔をすると、唐揚げからうどんへ希望を変えた。
そして水筒は、
ママと出かける時ではなく、
パパと出かける時に準備する。
娘が、
平日の朝は時間がない。
休日の父には余裕がある。
そこまで細かく状況を分析しているとは思わない。
でも、
ママにこれをすると止められる。
パパなら少し待ってくれる。
この言い方なら希望が通りそう。
ここでは一度引いた方がよさそう。
そんな人ごとの経験は、確実に積み重なっている。
おままごとをしている間にも。
昼食の交渉をしている間にも。
水筒に氷を二個入れている間にも。
娘は、自分の希望だけを見ているのではなく、相手の反応も見始めている。
少し前まで、娘の「自分でやりたい」は、いつでも同じ強さで飛んできた。
止められれば怒る。
できなければ泣く。
でも最近は、その相手が誰なのかを見ている。
私は、娘を観察しているつもりだった。
何を嫌がるか。
どう言えば動くか。
どこまで任せるか。
そんなことばかり考えていた。
でも、観察していたのは私だけではなかった。
娘の方も、
ママならどう反応するか。
パパならどこまで待つか。
私たちを見ながら、自分の動き方を覚えていた。
そして私は、娘の中で、
「休日なら、水筒準備を少し任せてもらえる人」
というラベルを貼られていたらしい。
全面委託ではない。
父の立ち会いが必要である。
担当範囲は、今のところ氷二個までだ。
