30分のファイナルファンタジー



最近はInstagramやYouTubeのドーパミンバックの力をモロにくらい殆どネットに時間を吸い取られていた。これではいけないという事で30分の花火大会を見るために散歩する事にした。

会場までは歩いて1時間はかかる。出発したのは花火大会が始まった夜7時半…勿論間に合うわけはない。

ただそうしなければならない。その使命感だけを胸にiPhoneとイヤホンを装備、愛用のタバコパイプのアイテムをバックに詰めて旅を始めた。小さな頃から見慣れたストリート。川向こうに花火が見える

遠くで見える花火を目印になんとか花火が見える景色の良い場所を探す。時間を考慮し一番高い近所のスーパーマーケットの屋上を目指す。駆け足で立体駐車場に駆け込みエレベーターのRを押す

眼前には建物に遮られない空に満開の花火と、それを見るために集まった人々の群れがあった。

悪くは無い…悪くは無いが…ここでタバコは吸えない。家族団欒の一幕を自らの楽しみの為に壊す無粋はしたくない。それは美しく無いしそんなタバコは何も旨くないのだ。

翻りショッピングセンターの中を駆け下りる。次に目指すのは線路を越えた先にある高架線だ。あそこなら人はいないだろう…時間は7時45分。僕は風のように夜の町を駆け抜けた

線路脇を走る。去年出来たばかりのバカ高い新幹線の高架脇を走っていく。高架線の補強柱は等間隔でアーチを描きさながらローマコロッセオのような壁面を作っていた…その柱と柱の間から花火はクライマックスに近づき華やかに艶やかに九尾の尾のように金色の火線を焼き付けている

あともう少し…記憶の中のマップと照らし合わせるがそこで花火は終わったようだ…楽しげな鼓の音はもう響かない。僕の旅は終わった…残ったのは汗だくの体と、端々に見た美しい景色のクオリアだった

風呂に入り家の玄関先でパイプを燻らせ、上記のbgmを聞きながらこれを書いてる。クオリアとは機能では無く現象だ…恐らく、脳が様々な肉体受容体の情報を処理しながら、現在の肉体の状況に合わせたホルモンの状態の情報を処理し、過去の積み重ねた情報を統合し、目が視覚情報を水晶体のスクリーンに写して見るように…この身体の脳のどこかにその総合情報を投影しておきている…機能主義者から見ればそれこそ左脳の勝手に作るイメージの産物だと言うだろう。

でも僕は違うと断言したい、クオリアのハードプロブレムの根源はこの現象を僕たちの何が感じているのか?だからだ

ここまで分解しても、何故このような機能を僕たちが手に入れる必要があったのか?ここまで分解するために生存本能が必ず必要になるのだが(これが無ければ人間はAIと変わらないただの思考処理する意思のない存在だ)

なぜ生命に生存本能が必要だったのか?……勿論科学者から見ればそんな問いはナンセンスだオッカムの剃刀で切られるだろう

でも何故この世に生命は生まれた?物理現象は何故その条件下でその現象が起きてる?自然を見て美しいと感じるこのクオリアは何だ?もしこれがただの郷里だよ。人間も生物だ、自然に生命としての本能を感じるからだと言ったとしても

何故文明世界で生きる方が生存本能を満たす条件が果たせるのにわざわざ危険の多い自然に郷里を感じ美しさを感じている?この生存本能と矛盾するクオリアが生まれるのは何故だ?

より高密度のクオリア…分かりやすく感動を得るには肉体の数と知識情報の数を増やす事だと僕は思う
YouTubeで綺麗な自然景色に感動する以上にその場に行って自ら見た方が感動する…これはYouTubeで見た場合知識と情報だけを感じていて、自ら行った場合は肉体丸ごとでそれを実感するからだ…それより感動したければ恋愛をすれば良い…これには肉体が2つ必要で情報も2倍になる

更なる感動?自分の高い達成目標になる仕事や趣味を持つ事だ。大きな事を為すには沢山の人の協力がいるからね…それこそ恋愛の比じゃない数の肉体と情報が集まるだろうさ

最後にこれら全ては自らの人生を愛し楽しむ事から始まるんだ…金は不必要とは言わない、絶対に社会生活に必要なものだ…だが現代の人々は貨幣経済というものに支配され過ぎた…ネットを見れば年収マウンティング、もしくは低収入のやっかみの足の引っ張りあい…本当に欲しいのはそんなコメント欄ブレイキングダウンか?

ここでこの書き殴った僕のファイナルファンタジーは2000字近くなる…ここまで読んでくれたあなたはきっと同じ事をうっすら感じ取る光の勇者だろう最後にこの言葉を残す

ここまで読んでくれたあなたにクリスタルの加護あれ!そしてあなたのクオリアにクリスタルのような煌めきを!

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