自己紹介 ③ドブ川に落ちたお姫様 (原風景)〜母が書いた「ドン臭いワガママ娘」という脚本(私の配役シナリオ)を、X回目の誕生日に、破り捨てた話〜
#母と娘 #毒親 #昭和 #インナーチャイルド #原風景 #介護 #自己紹介#飛べなかった
私の誕生日はお正月三ヶ日
昭和の当時はケーキもないし、友達との誕生パーティーもできなかったし、お祝いはお年玉込み込みだし、どうかしたらクリスマスプレゼントと込みだったりするし、なんだか納得できなかったが、日本中が祝ってくれるから、いいやん〜と周りに言われていて、そうかなぁ?
私の誕生日祝ってくれてる訳じゃないし、と余計納得できなかったけど、
まぁ〜もっていくとこないし、
当時お正月だから、市民病院の寒い廊下に長いことほったらかされた、という母に、なんだかすごく悪いことした気持ちになって、それ以上何も言わなかった。
幼い日。
半世紀以上経って、今や、わざわざ誕生日おめでとうを言ってくれるわずかな友と、嬉しくもないなぁ〜との定番やりとりをして。
今年も、誕生日は、親への感謝の日だ、と思ってすごしました。
そんな中、孫たちとの賑やかな朝ごはんの最中、ふと、ある「原風景」が蘇りました。
それは、私が3歳くらいの頃の記憶。
🎀 ドブ川に消えたリボンと、母の呪文
たぶん七五三の祝いの日。
そう豊かではなかったから、一人娘の晴れの日、かなり張り込んだんだと思う。
私は綺麗な着物を着せてもらい、髪には顔よりデカい大きなリボンをつけてもらっていました。
嬉しくて、嬉しくて。
私はいつものように、魂が弾けるままにルンルンと歌い、踊っていました。
家の前の、大きな石の橋の上で。
その頃の私は、テンション上がったら、飛べると思っていたかもしれない。
母が何か注意する声が聞こえたような気がします。
でも次の瞬間、私は橋から落ちていました。
ドボン。
浅くて汚い、ドブ川の中へ。
せっかくの着物も、お出かけも台無し。
そこで母が投げつけた言葉は、心配の言葉ではなく、その後の私の人生を縛る「呪文」になりました。
セビア色の、まだドブにはまっていない素敵な着物を着た笑顔の写真を、見ると蘇ります。
やっちまった、の後悔と、
ドロドロニュルニュルの冷たい泥の感触と、
母への、申し訳なさと、
楽しみが台無しになってしまった残念な気持ちと、
そしてその時、私は飛べないんだ。と気づいたかもしれません。
そして、大好きだったハズの母の声が、蘇ってくる。
「ほら見てみ〜。すぐに調子乗って。せやから言うたやろ。あんたはいっつもそうなんやから〜」
悲鳴に似た響き。
この瞬間、私の中にひとつのルールが刻まれました。
『調子に乗って(ありのままに)喜んで、踊ると、罰を受ける。周りを悲しませる。』
🎭 「苦労人の母」と「ワガママな娘」という配役
母は早くに両親を亡くし、苦労して生きてきた人でした。
だからなのか、何不自由なく育つ一人っ娘の私に対して、どこか複雑な感情を持っていたのでしょうか。(今になって感じます)
「あんたは苦労知らずでワガママや」
「甘えたらやってもらえると思ってる」
「私は、苦労してやってきたんや」
母は私を
「自慢の娘(🏆)」として着飾らせ、褒めて、自立を促す一方。私が私のやりたいようにしようとすると、たぶん母の枠から外れる。
少しでもはみ出すと、「自分勝手」「ドン臭い子」「ワガママ」「お調子者」「甘えた」というマイナスのレッテルを貼って、コントロールしてきたのではないか?と思います
失敗は許されず、母の言うとおりにしていたら完璧に出来るんだ、という呪文の中。
私にほ、疑う余地もありませんでした。
それは、『愛』であることは、確か。
母から、発する自己中心の、少し歪な愛。
母にとって、精いっぱいの愛。
母という悲劇のヒロインを引き立てるために、私は「世間知らずで、親の加護がなければダメな、おっちょこちょいで、ワガママなお姫様」という役を演じさせられていたのかもしれません。
🧊 「あんたは冷たい子や」の真実
高校2年の秋。
私の心のオアシスだった父が亡くなりました。
病弱で苦しみ続けた父。
父は、母の逞しい一生懸命さに、感謝していたけれども。
求める女性としての柔らかさや、幼い時に亡くした"おかあちゃん"のイメージを、私に求めていたんだと今わかります。
亡くなった時、私は心から思いました。
「お父ちゃん、よかったなぁ。やっと楽になって、大好きなお母ちゃん(祖母)に会えるんやなぁ。。。
(臨死体験をした父は。川の向こうで。大好きなお母ちゃんに追い返された話をよくしてくれました。夭折した兄や弟も居て、ホントは行きたかったそうです)」
それは、私の父に対する、絶望的な喪失感の中での、精一杯の愛でした。
でも、母にはそれが理解できなかった。
「あんたは冷たいなぁ」
母は親戚中にそう言いふらしました
違う。そうじゃない。
病弱でほとんど自宅で療養していた父を蔑ろに思っていたわけではない。
違う。そうじゃない。
私はただ、魂の視点で父の旅立ちを祝福したかっただけなのに。
父がいなくて、世の中の色が一瞬で、白黒テレビになった、孤独と喪失感は、半端なかったし。
飛べない羽をも。更にもがれたような、二度と取り返しのつかない絶望感を味わっていたのに。
母の悲しみも、同じだったと思う。
だからこそ、支えあって生きてきた。
私の言葉はいつも母というフィルターを通して歪められ、「変な子」「冷たい子」「わがままな子」「甘えたらいいと思って」として出力されてしまう。
だから私は、いつしか自分の本心を隠し、母が望む「バカな娘が、優等生になろうと頑張っている」着ぐるみを着るようになりました。
🚮 脚本(シナリオ)の廃棄処分
時は流れ、今。
あの強烈だった、はじめは泣いてばかりいたけれど、何不自由なく私を育て上げた逞しい母は、96歳になり、全盲で寝たきりになりました。
療養病院のベッドの上で、かつての勢いで、スタッフさん達を振り回しながら。前向きで明るい母は、周りの人気者で、今でも私の誇りです。
かって抱いていた、封印した
憎しみ?
殺意?
腹の底の底に沈み、蓋をしてきた、あの、ドロドロでニュルニュルで冷たく、すこし臭うようなドブ川の様な感情。
そんなものは、もうとっくに消えました。
今はただ、命の限り私を育ててくれた母として、感謝と尊敬しかなく、いてくれるだけで、愛おしく思います。
でも、だからこそ。
私は今、母が私に手渡した「脚本」を、ここで破り捨てようと思います。
私は、ドン臭くもないし、ワガママでもない。一生懸命周りを気づかって、役割を全うしてきたょ。
お母ちゃん。
私は、直感のままに歌い、踊り、世界と共鳴する「感性の人」だ。
こころの翼をとりもどして、
もぉ、どこにでも翔んで行けるんだょ。
3歳のあの日、ドブ川に落ちたのは、私がダメな子だったからじゃない。
ただ、空を飛ぼうとしただけ。
翼が生えていることを、魂が知っていたから。
お母ちゃん、産んでくれてありがとう。
でも、もうあなたの「パペット人形」「お気に入りのぬいぐるみを着た娘役」は降板します。
これからは、私自身の舞台で、思いっきり調子に乗って、踊っても、大丈夫だから。
安心して下さい。
2026年の、お正月の誕生日
新たに生まれ変わった私の、新たな誕生日になりました。
🦄最後まで読んでいただきありがとう御座います🌱
🦄よかったら、また遊びに来てくださいね🍀
【🦄翼を得たユニコーン🦄】 分離の時代の光の戦士🐉を卒業し、地球🌍️の愛と歓喜の統合アトラクションを楽しみに来たことを思い出した自称ナぁンチャッてスターシードです。
今世でクンダリーニ覚醒したいです。
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