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【1】声を殺してきた 私が一番傷ついていたのに

2026年4月25日追記しました。


「また言えなかった…」と、 布団に入ってからも自分を責める。

言いたかったのに、 言葉をゴクリと飲み込む。

周りの空気感や顔色を見すぎて、
いつの間にか「言わない私」になっていた。


このnoteは、解決策を書くためのものではありません。
ただ、【なぜ言えなかったのか】を、 正直に残しておきたかった。


小学5年生の春、転校した。

知らない子が40人以上いる教壇に立ち、自己紹介をする。
見る側から、見られる側に立場が変わると、
こんなにも心細く、逃げ出したくなるものだったんだ。
転校生の気持ちを初めて知った。

精一杯の声を出し「宙そらです。よろしくおねがいします。」

一番後ろの人に、私の声は届いたんだろうか?


無視が始まったのは、いつからだったか。
気づいたら、私はいじめられっ子になっていた。
元々気の強かった私には、まだ正義感が残っていた。

「どうして無視するの?なんでいじめるの?」

いじめっ子リーダーに勇気を出して聞いた。

返ってきたのは沈黙だった。
その沈黙の意味を、11歳の私は全身で受け取った。

いじめをするなんて最低だ。
あいつらが悪い。

でも・・・

「何も言わなければ、傷つかないかもしれない。」

その日から、黙ることが私の生存戦略になった。


我が家には、猫がいた。

私は、その猫の前でだけで泣いていた。
やっぱり、いじめられる教室に毎日行くのは辛い事だった。

誰の前でもこらえていた涙が、
猫のぬくもりに触れると、
するするとこぼれ落ちた。

どうして私をいじめるんだろう?
何でか分かんないよ。

誰もいない部屋。
ただ、猫だけがそばにいた。
私は声を出さずに泣いた。


やがて家庭も変わった。

父は約束を破って、帰ってこなくなった。
母子家庭になり、母は毎日働きに出た。
「おかえり」と言ってくれる人がいなくなった。
疲れた顔で帰ってくる母に、 私は何も言えなかった。

「私が我慢すればいい」
「黙っていれば、母は楽になるはず」
「辛くても笑顔でいよう」

心の奥では、
「辛い、寂しい、悲しい。早く気づいてほしい」
と 母へ信号を送り続けていた。

その日を生きていくだけで精一杯の母は、
何も気づかなかった。

私の思いは声に出せないまま、 ただ飲み込んでいた。

あの頃から何十年も経った今も、
飲み込んだ後の喉の重さは消えていない。


私はいつまで、
自分の声を殺し続けなければならないのだろう。

なぜ「言えない自分」になってしまうのか。


その正体は次の記事→【2】へ

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