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本に愛される人になりたい(103) 谷川俊太郎「ONCE私の20歳代・1950-1959」

 俳句や短歌や詩に時々触れながら青年期を生きてきました。俳句なら小林一茶、井上井月、種田山頭火…等々。俳句フリークまでハマったわけではありませんが、短文の中に潜む深い意味の塊みたいなものが、こよなく好きでした。長編小説や短編小説ももちろん好きですが、俳句や短歌や詩には、長文にはない何か、この塊みたいなものがあるからだと思います。
 現代詩でも、好きな詩人がいますが、先般亡くなられた谷川俊太郎さんの詩は、他の誰のものよりも多く読んできて、感銘を受けました。
 例えば、「百三歳になったアトム」(『自薦・谷川俊太郎詩集』)で詠まれたアトムを「私」と読み変え、魂が震えたことがありました。

人里離れた湖の岸辺でアトムは夕日を見ている
百三歳になったが顔は生れたときのままだ
鴉の群れがねぐらへ帰って行く
もう何度自分に問いかけたことだろう
ぼくには魂ってものがあるんだろうか
人並み以上の知性があるとしても
寅さんにだって負けないくらいの情があるとしても
いつだったかピーターパンに会ったとき言われた
きみおちんちんないんだって?
それって魂みたいなもの?
と問い返したらピーターは大笑いしたっけ
どこからかあの懐かしい主題歌が響いてくる
夕日ってきれいだなあとアトムは思う
だが気持ちはそれ以上どこへも行かない
ちょっとしたプログラムのバグなんだ多分そう考えてアトムは両足のロケットを噴射して夕日のかなたへと飛び立って行く(『自薦・谷川俊太郎詩集』岩波文庫より)

 その時の心のあり様で、たまたま出会った詩なのですが、魂が震えるとしか言いようのない感動がそこにあり、数十年たった今でも、その震えた魂の感触が残っています。
 少し齢を重ねると、今ある谷川俊太郎さんが昔から今ある谷川俊太郎さんだった訳ではないと、当たり前なことに気づきます。その頃に出会ったのが本書『ONCE私の20歳代・1950-1959』でした。20歳代の谷川俊太郎さんが詠んだ詩は、おそらくパイ生地の最初のパイ生地であり、その後様々な経験を得ながらパイ生地が重なり合っていったように思います。
 その20歳代に詠まれた詩のなかには、自死したMという人物へ捧げられた「Mへの挽歌」など、私が感銘した詩がいくつもありますが、「サンタ・クローズ」という詩は、世の中の精神が浅く薄くなった時代を鋭く突くような、厳しさを教えてくれるものでした。
  
わしはもう老いすぎたああわしの前にうずたかく積まれたこの破れ靴下の山暑い夏のさなかにもわしは繕いばかりし続けてきただが今は贈物がなにになる?おまえたちはわしを個じてなどいない年に一度雪の降る夜に煙突から訪ねてくるこの奇妙な白いひげの老人など…・・・かつてわしは自らを愛の使いとうぬぼれていた人と人とを結ぶことが出来ると信じていただが今人々は破れた靴下しか持っていない人々は贈られるものを受け取ることさえ出来なくなったそんな夜にわしに何が出来よう贈物が愛をになうこともない夜にかつて自らを人に与えることの出来た時わしは不思議に餓えなかっただが今わしはえているおまえたちは見るだろうこれからのクリスマス・イヴにひとりの年老いた煙突掃除人が家々の煙突を見上げて立ちつくしているのを。(『ONCE私の20歳代・1950-1959』集英社文庫より)

 先般、谷川俊太郎さんが亡くなられたという訃報が届いた数日後のこと。書棚を彷徨いながら彼の詩集などを手にとり再読していると、私に影響を与えてくれた魂の塊の数々が、今だに私の心の奥底に眠っていることに気がつきました。肉体は死しても、谷川俊太郎さんから受け取った魂の塊は永遠に生きています。中嶋雷太

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