あなたの声が聞きたくて
わたしの夫の声は聞き取りにくい。
声が小さいわけではない。声質というのか、絶妙に周りの音と溶け込んで、まったくといいほど聞こえなくなる。そんなばかなと思われるだろうけど、本当なのだ。「え?なんて?」と聞き返すのがあたりまえになっている。
新婚時代、道後温泉に行った。とてもいい旅館で、夕食の会場から外にある能の舞台が見えるというのが目玉だった。
夕食の時間を混まない時間にしようと早めの時間に予約した。会場に着くと1番乗り。他の席にも後から来るだろう人の席が用意されていて、わたしたちは端の席に案内された。
順番なのかもしれないけれど、その場所から能は見えづらい。見えないことはないものの、他にもっと見えやすい席があるのにな…と思っていたら、どうやら夫も同じことを思っていた。向かい合わせの席から「もっと見える席がいいね…」とボソッと言ってきた。うんうんとうなずいた。
すると、店員さんが「お客様、よかったらあちらの席に移られませんか」と、能がよく見える席へ移動させてくれたのだ。
わたしはとっってもびっくりした。店員さんに聞こえているとは思えなかったからだ。とても離れていたし、夫の声は私だけに聞こえるような、いつも以上にボソボソ声だった。
さすがに聞こえているはずはない、たまたまだろうと思った。
しかし。
翌朝、朝食をとるために別の会場へいった。バイキングではなく席にお膳が置いてあるスタイル。すでにおいしそうな和食が並んでいた。
食べていると夫が「ご飯っておかわりできるのかなぁ」とボソボソっと言った。「あとで聞いてみようか」などと話していたら、店員さんが「ごはんのおかわりできますので」と声をかけてきた。
え…いや、聞こえて…た?
昨日とは比べ物にならないくらい周りは人がいてザワザワしているし、たまたまだよな…。
さらに、小さなデザートがついていて「これなんだろう、おいしい」と夫がボソボソっと言ったら「そちらは地元のヨーグルトを使った…」と説明に来てくれた。
思わず吹き出しそうになってしまった。
これは偶然ではないっっっ!と確信した。
でも夫の声は絶対に聞こえづらいし、通るタイプでもない。
近くで聞くと周りの声と一体化して、本当に何を言ってるかわからないなじみ方。わたしは全集中して聞き取っている。だから店員さんのように離れていると、その声だけ浮かび上がって聞こえる絶妙な周波数を持っているのでは?!と思った。よくわからないけど。でもわたしはそう結論づけた。実際そうだから。
なので、出かけた先で夫がその店などのマイナスなことをボソボソっと言おうものなら「しっっ!夫の声は丸聞こえなんだから!」と注意するのが日課だ。
そんなことを繰り返していると、声とは聞こえてくる声色だけではなくて、深さとか波長とかそんなものでできているのだなぁと素人ながらに思う。
先日、AIで亡くなった人を再現するような映画が公開されていた。観てはいないけれど、姿や考えも反映される…そんな世界観だったようだ。
この先、写真などからその人の声を再現して会話する…なんてことができる時代が来るのだろうか。
そうなったら、わたしは母の声がきいてみたいと思う。小さい頃に亡くなった母だ。写真はたくさんあるけれど、声を記録しているものは何もない。わたしが決めたことばでもいいから、写真から骨格とかで声を再現して話しかけてほしい。
いま、わたしは母が亡くなった歳と同年代だ。というか、超えて歳上になってしまった。
でも同世代の女性として話したら楽しそうな気がする。わたしの悩みとか聞いてほしい。ただわたしの名前を呼んでみてほしい。小さい頃から憧れてうらやましくて仕方がなかった母娘の会話がしてみたい。なんて。
ははっ想像しただけでなんだかうるうるしちゃう。
でも、でもである。わたしはその声が本人と同じだとか、全然ちがうとか、判別することができない。本物を知らないからだ。当時の母の声を覚えている人がどのくらいいるのだろう。そもそも正解だとか、どうでもいいのかもしれない。その声を聞いてみたいと思う人がこの世にいる。いや、正確にはこの世にはいないのだけど、頭のなかにいる。それ自体、なんだか尊いことのようにも思える。
もしも、夫がいなくなってその声を再現してもらったら。人混みのなかで、その声を再生してみる。近くだと聞こえにくくて、遠くからでも聞こえるのが夫の声だ。
この判別方法をわたしだけが知っている。
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