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上田久美子氏演出「ハムレット」観劇記

静岡県舞台芸術劇場SPACでは、上記の演目が上演中です。私は昨年秋の初演に続いて、2度目の観劇でした。
3度でも4度でも観たいと思える重厚な作品だと感じました!再再演を望みますし、中高生観劇事業の対象作品としても、たくさんの人に観ていただきたいです。

上田氏のハムレットの特徴のひとつは、いわゆる人間劇としてのシェイクスピアから脱して、「人間以外の存在たち」を同等に配置している点です。
リーフレットでは端的にこう記されています。

ハムレットはたくさんのモノローグを紡ぐロゴス至上主義の体現者で、それにオフィーリアや動植物たちという非ロゴス的存在を配置しました。

人間が、欲得にまみれて「茶番」を演じている間に、人間ならざる存在たちはそれを傍観したり、ただ通りかかったり、そこに存在したり、しなかったり。
俳優さんひとりひとりが、SPACならではの身体能力、表現力を活かして、時間と生命の境界を行き来する描写に、客席でずっと圧倒されていました。そこに集中していると、自分はいったいどこに存在しているんだろう?とクラクラするほど。

唐突ですが
私はこのところ、自分が、二ホンミツバチのような生命体だったらよかったのにな〜と考えることがあります( ´ー`)
ミツバチは、集団の中での役割と使命を帯びて、生きて死んでいきます。人間が採蜜するときにも、集団意識に基づいての抵抗と協力を示して、以上おしまい。すり潰されるものは静かにすり潰されていく。そういう、単純な生き方ができたら良いなーなんて夢想します。

おそらく原初のころの人間は、自我が薄かった。文明が進んで、人間はより社会的な存在として複雑になっていき、存在意義や死生観がかわっていった。
日本の和語として死はなかった、という文章を読んだことがあります。消える、かくれる、それほどに此岸と彼岸は近かった。

ハムレットは、自我でがんじがらめ。
それに対して、劇中の旅芸人やオフィーリアは、より粗野に、軽やかに生き死にの境を超えて溶けていいるように感じました。墓堀りの男たちは、更に自由に、生命体の循環を行き来していました。

そして物語のラストでは、自分もその循環の中に生きて消えていくのだと。
ホレイシオの遠い視線を追体験しながら感じられました。

7月4日土曜日、5日日曜日、お時間がある方はぜひ、静岡県芸術劇場にお運びください。
物語ハムレットを観るのではなく。ハムレットという物語を題材として、存在意義を揺さぶられることを、どうぞ恐れずに。ご連絡いただけたら友の会価格でチケットお取りします。


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