溺れる≠悪


書きたいことが山ほどあって、これを書けるだけ書こうと思う。
今日は私の教育論について書くか、群馬の新しいアトリエについて書くか、最近の私を形作る坂口恭平について書くか、これまでの2年間を形作るパートナーについて書くか。

坂口恭平との出会い

一旦、坂口恭平さんを入り口に私の教育論を書きますね。多分違う話になると思いますが、それはそれで面白いと思うのでそのまま書きます。
さて坂口恭平さんは肩書を一つにしない方なので、一言には言えないのですが(この時点でなんかいいよね)この人は何でも自分でやる人なんです。絵を描いて、音楽を作って自分で歌い演奏して、文章を書いて、セーターを編み、ガラスもやって、料理も作って子も育てる。つい最近まで躁鬱と向き合い続けて自分で完治に導いてるんだって。そういったことを流れに逆らわずやることで結果的に年収数千万くらい稼いでる人。そんな坂口恭平さんへの密着ドキュメンタリー映画「TRUE KYOHEI SAKAGUCHI SHOW 坂口恭平生活」を観たことが最近の私の思考をひっくり返して、でもめちゃくちゃ共感したんですよ。まずは監督の小宮さん、本当にこの作品を作って世に出してくれてありがとうございます。本当に。躁鬱にはなったことがないですけど、あんまりに個人的共感性の高い文章を書くんですよ。恭平さんの文章は、私たちが根拠なくダサいと思ってることの根拠を掘り返して、いやいやほんとはこうなんですよと独自の持論で解きほぐしてくれる。そのしてこの人の根底に、人生に、本気で素直に向き合ってきたという、人としての強度を感じるんです。だからフラットな文章でありながら笑っちゃうような説得力があって、そのカジュアルな説得力が読んでて楽しすぎるし、私含め多くの人を救っていると思う。
本なんか全然読めないくせに、1年に1冊読むか読まないかだったのに、この人の本はこの1か月間で既に3冊目に突入している。本人の言葉の通り、飲むように文章を読むことができるから「流れ」しか感じない。本を読むという感覚じゃないのよ。読むという感覚ではない。確かに飲んでるかも。ピアノの音が勝手に目に入ってくる感じ。ありがとう恭平さん。そして小宮さん。人生一本目の映画に坂口恭平を持ち出すとは中々楽しい人ですね、恭平さんに陶酔してるよね。面白いよねこの人。今ね、私は坂口恭平を浴びるほど飲みたいんですよ。こういう欲求を大っぴらにした方が読みやすいでしょ。今はたまたま朝イチで文章書いてるのでまだ私の言葉がメインですけど、恭平さんの文章読んだ後に書くと完全に坂口恭平構文になるよね(笑)。

溺れてもいいんだよ

よし、ちょっと書きたいこと書き始められました。読んでくれた人は本当にありがとうございます。このまま流れを止めずに書きます。ちなみに、この文章を書き始めたきっかけは、過去に伏線はありつつも、恭平さんの「お金の学校」を読んだことがきっかけです。これはお金のことについてもちろん書いているんだけど、じゃあお金ってどういう流れで発生してくるのかを、人生レベルに掘り返して坂口恭平哲学になぞらえて「経済」をとらえ直すという内容だったように思います。これがまあ楽しい。坂口恭平哲学は気持ちいいのよ。もう流れること、気持ちいいこと心地いいこと、そういうことしかしなくていいの。むしろそれをやらなきゃなのよ。と、こういった感じで私はすぐリスペクトしたいと思った人に、魂ごと陶酔しておぼれかけちゃう癖があるんだけどね。一応おぼれちゃうことは自認してるから、おぼれる手前まで自分を自由にさせてあげてるんです。いや、浅瀬までは溺れてOKにしてます。浅瀬でも溺れちゃうからね(笑)。とにかく、まずは好きなだけ溺れに行ってみなよって。でも溺れてる途中に気付くんですよ、ああ、今溺れてるなって。さあ、ここでやっと私を召喚。いい感じの場所まで引き上げて、体を乾かしてあげます。びちょびちょだからね、もう池の水結構飲んじゃってるわけ。いいのいいの。そのままそのまま、とりあえず体が乾くのを待ちましょう。そんで、溺れたくらいだからあんまり落ち着きがないんですよ。死んだおばあちゃんでも見つけたのか?って感じですぐに池に戻っていくんです。でもそこで止めちゃうとね、せっかくこんな機会あんまりないのに、もったいないから止めたくないんです。というか、おぼれるほどの池を見つける勢いがあるんだから、その流れは止めちゃだめだよね。うまく流さないと。だから、溺れなくていいから、泳ぎに行ってごらんよって。この池がどのくらい深いかちゃんと見に行ってみてって自分に伝えるんです。私だってとっても素直なかわいこちゃんですから、ちゃんとどのくらい深いか見に行きます。でもね、そもそも溺れるような池って深すぎて底は見えないんですね。溺れてたのは浅瀬だけど。
前回はね、おぼれちゃったんです。それは小池博史っていう演出家がいたんですけど。私は武蔵野美術大学にいたもんですから、芸術やデザインの海に舟を浮かべていたわけです。そこで小池博史っていう海溝があって、そこにおぼれちゃったんですよね。それはそれは学びの多い海溝でしたよ。美しい出会いもあった。後悔はしてないですけど、終わりはあんまりよくなかった。まあ、人間同士の関わり合いなので終わりっていうのはないわけなんですが、海溝から出てきたのは結構無理やりだった。現実世界だったら、肺が爆発する勢いで深海から水面に出てきちゃったんですね。だいぶ無理やりだったけど、同期で肺が破れちゃった子もいた。もちろん正確には肺じゃないけど、心がね。その子は出ようとかではなくて、完全に壊れちゃってから引き上げられてたからね。知り合いにそういう人がいるのは初めて見たから、こんなにリスペクトしてた人が友人の心を壊してしまって(正確にはその人が壊したとは言えないよね、自分の捉え方で全ての認識は変えられるから)、それを既に私は水面に上がってきてから見つめていて、はあ、溺れてたなあって思ったわけ。でもね、ここまで読んでわかる人もいるかもしれないけど、溺れること=悪ではないのよ。深さとか居る時間の長さとか、実は自分の意思で深いところで自由に泳げてたとか、いろんな人がいると思うのね。

素直は得する


私はある程度泳いでましたし、水面に上がるタイミングは何度か見てたけど、実際にどうやって水面に上がればいいのかが全然わからなかったんです。そしたら、マイパートナーがあるとき海溝の近くまでやってきて、タイミングを見て少しづつ引き上げてくれたんですね。だから、水圧で肺は壊さなくて済んだんですよ。壊れてないんかい(笑)。でも最後の方はほんとに無理やりな早さだったね、あと100-200M位を一気に。本当にありがとう、マイパートナー。素直に生きてると、いいこといっぱいあります。馬鹿なこともいっぱいやってるけど、それは無知な状態で素直だからだと思うんですよね。もしくは自分にとって開かれてない、自分の進む方向に向いてない矢印的な知識がついちゃってるとか。


ああ、もうも少しでお仕事の時間です、意外とあっという間ですね。
少し書けてよかったです。誰かの役に立つようなことはまだ書けませんが、延々と描きたいことを書いてれば、誰かを救うことはできるでしょう。ぜひ面白がってください。ではまた明日続きを~!私の教育論については結局かけませんでしたね。明日はそんな気分になるかわからないけど、書きたいことはいっぱい書きます。

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