【短編小説】 蟹
実家の母から送られてきた蟹が、
食卓の真ん中に、どーんと並んでいる。
突然、どうしてこの時期に?
初夏だぞ。
と、思わないわけでもなかったが、
母にはそういうところがある。
「お義母さん、急に蟹蟹蟹!って思ったんですって」
妻の千春が、娘の芽衣のスタイを整えている。
僕は、日本酒を準備しながら
母の気まぐれに感謝した。
蟹と日本酒、最高じゃないか。
◆
思えば子どもの頃は、蟹が苦手だった。
クセの強い味に、ちまちまと蟹の身を解す作業。
手が蟹の汁でベタベタになり、
心なしか痒い気がする。
それがいつの間にかご馳走になるのだから、
人って不思議なもんだ。
◆
1週間後、僕は病院の待ち合い室にいた。
どうも胃の調子が悪いんだ。
蟹の食べ過ぎだろうか。
でもなぁ。
食べた直後でもないしなぁ。
胸やけのような不快感が続き、
常にみぞおちが痛い。
吐き気が収まらない。
胃カメラを飲むはめになって、
先生に告げられたのは、
「胃がんです」
◆
冷たい風が、急に吹いた。
窓辺のレースカーテンが浮き上がる。
えっと、すき間風かな?
待て待て、待ってくれ。
俺には千春も、幼い芽衣もいるんだぞ?
胃がんなんて、なってる場合じゃない。
そんな訳に、いかないんだ……!
◆
家に帰ると、千春がソファでスマホを触っていた。
「ねぇねぇ、蟹って、
英語でキャンサーって言うでしょ?
これさ、癌の意味もあるんだねぇ」
背筋が固くなった。
なぜ、今このタイミングで。
「あぁ、そうだな」
ははは、と笑いながら返したけれど、
我ながら引き攣っていたと思う。
そういえば。
母はなぜ今、蟹を送ってきたのだろう。
初夏に蟹なんておかしい。
病院でも、急に冷たい風が吹き
レースカーテンが浮き上がったり。
何かの予兆だったんだろうか……。
◆
スマホが鳴る。
病院からだ。
「はい、桜井です」
「あ、桜井さん?申し訳ありません。
午前中お伝えした件、検査結果の取り違えでした」
レースカーテンが揺れる。
「え?」
「ほんとうに、申し訳ありません。
前の方と取り違えていたようで……。
桜井さんは、蟹アレルギー気味の胃炎でした」
電話を切った。
なんだ、蟹アレルギー、胃炎か……。
ホッとして力が抜けた。
千春がスマホを触っている。
芽衣がハイハイをしている。
目の奥が霞んだ。
「千春、愛してるよ」
千春はキョトン、として、
「なぁに、突然」
と微笑んだ。
◆
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
「はーい」
千春は、宅急便のダンボールを抱えて戻ってきた。
「お義母さんから。えっと、また蟹ですって!」
あ、そういや母、蟹座だったわ。
了

■セリフ
「すきま風かな?」
■三題
・胃カメラ
・かに
・レース
