【短編小説】 カフカのポーズを決めないで。
カフカの「変身」を読めていた頃に、戻りたい。
梅雨のじめじめした朝だった。
夏用の布団が少しずつ水分を含んで、
繊維がそれぞれほんの少しずつ重くなる。
それだけが、やけに重たい。
髪も肌も湿気を吸い込んで、
ベッドから身を起こすのが億劫だ。
昨夜、夢中で読んでいたからかもしれない。
寝不足で瞼まで重い。
「変身」は、ベッドからぽとりと落ちていた。
身体を動かし拾い上げようとして、
ベッドから滑り落ちてしまった。
カランカラン……カラーン……。
透明な音が響く。
それは反響して、あたしの頭に響き渡る。
身体の下にある本を拾い上げようとして、
ふと、気づいた。
◆
あたしの腕、こんなに硬かった??
◆
表面がまるでつるつるで、
肘を動かそうとすると、パリパリ……と音がする。
錆びた蝶番のように、肘が捻れる。
「***」
冷たい。氷のように冷たい。
喉が凍ったように、声も出せなかった。
◆
「ユカリ……??」
ドアが開き、兄が入ってきた。
お兄ちゃん……!!
あたしの声は届かない。
お兄ちゃんは、ベッドを見て、
やがてベッドの下のあたしを見た。
ひどく、長い間。
その間にも、
どんどん身体が固まっていく。
「変身」を読んだせい?
あたしは何に変身しようとしているの?
「ユカリ!!身体……ガラスに……」
お兄ちゃんは、あたしの元に跪いた。
そっと抱き上げてくれる。
まるで壊れ物を扱うように、そっと。
あたしは、せめておかしなポーズで
固まらないといいなと思った。
よくあるでしょ?
おぃー!みたいなポーズで石化しちゃうギャグ漫画。
あぁ、お兄ちゃん。
あたしをマトモなポーズにさせて。
◆
お兄ちゃんは、
あたしの気持ちなんかお構いなしに、
あたしをこわごわと抱きしめていた。
お兄ちゃんの部屋の匂いがする。
瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
ポトリ。
涙の粒があたしの身体に落ちた途端、
その部分からゆっくりとガラスが割れ、
もとの人間のあたしが……。
なんておとぎ話はなかった。
「はいはい、現実はそう甘くないみたいね」
声は出せないけど、そうボヤいた。
視界に見えるのは、お兄ちゃんだけ。
子どもみたいな泣き顔。
それが、あたしが見た最後の景色だった。
◆
ねぇ、お兄ちゃん。
泣いてないで、
マトモなポーズにさせてよね!
クローゼットの奥のえっちなアイテム、
お母さんに見つかるから隠しなよ!
視界が霞んでくる。
あぁ、水底に沈むみたいだ。
「バイバイ」
あたしは心の中で、そう、呟いた。
了

