【短編小説】 金魚鉢
熱帯夜は息ができない。
濃い熱気の中、パクパクと口を開く。
金魚鉢の中のように、
限られた空気の粒を求め、パクパクと。
◆
ある日、身体に金魚のヒレが生えてきた。
耳の後ろ、長い髪で隠れる場所に
それぞれ1つずつ。
ヒレはオレンジと白の2色が混ざり、
薄い花びらのよう。琉金。
蒸し暑いと呼吸をするみたいに
パタパタと開閉し、
すっと体温が冷めていく。
「ちょっと、便利かも」
気に入ったから、ヒレがよく見えるように
髪を耳にかけた。
熱帯夜が来るたびに、泳ぎ揺れるヒレ。
寝苦しさがすこし、和らぐ。
◆
ヒレあり人間は、少しずつ増えていた。
すれ違う人の、10分の1くらいの割合で。
あのおばあさんは、透けるような透明。
あの青年は、白地に小さな黒い斑点模様。
和金と三色出目金が、空中を泳いでいる。
おばあさんは、
炎天下の道で立ち往生していたけれど、
ヒレが動くと、また歩き出した。
青年は、
Yシャツを濡らしていた滝汗が引き、
涼しい顔で、また電車のつり革を握り直した。
ほんの少しだけ、世の中の呼吸が軽い。
◆
ヒレあり人間は金魚人と呼ばれ、
今や5分の1にまで、増えていた。
不思議なことに、首都圏の人間だけで、
それ以外の都市には金魚人はいなかった。
◆
「俺達は、選ばれた金魚人だ」
そんな声が広がるようになった。
真っ黒なヒレの男性が、拡声器で叫ぶ。
駅前広場には、人だかりが出来ていた。
色とりどりのヒレが、広場を埋めている。
熱気が渦をまく。
あちこちで、小競り合いの声が響く。
「気持ち悪い、出ていけ金魚人」
「金魚人以外は、世の中に必要ない」
人の群れが暴力になる。
金魚の瞳は、血のように赤い。
◆
やがて夏が過ぎた。
ヒレが開くとすこし寒い。
普段の秋より、冬の訪れが早い気がする。
赤く色付いた紅葉は、茶色く枯れて、
ハラハラと落ちた。
◆
冷たい空気が街を覆った。
ヒレから強い冷気が入ってくる。
パタパタと開く度、
氷水に漬けられたように全身が凍りつく。
内側から、外側から。
わたしは髪を伸ばし、
ストールをヒジャブのように巻いて、
ヒレを覆った。
オレンジと白は、くすんで色を失っていく。
街中に、金魚人の身体が散らばっている。
水から打ち揚げられた金魚が、無数に。
首都圏の人口は、5分の4になった。
◆
「これでやっと息が出来る」
人の少し減った街で、
誰かがそう、呟いた。
了

◆シロクマ文芸部
◆お題:熱帯夜

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