【短編小説】 逆さの鐘が鳴る夜に
ゴーン、ゴーン……。
真夜中。大きな鐘が鳴った瞬間から、
時計台の針が反時計回りに動き出す。
真夏の夜の夢のように大きすぎる月が、
時計台を照らしている。
わたしは時計台の階段を登っていく。
鐘に導かれるように、一歩ずつ。
やがて頂上に着いた時、
あなたがゆっくりと振り向く。
◆
まだ少女だった頃、ばあやとはぐれて
この時計台にたどり着いた。
街の中心部にありながら、
忘れ去られたような場所。
散々迷って、深夜にひとり。
真夜中の街は、異世界みたいな顔をして
わたしを惑わせた。
鐘が鳴り響いている。
「上から見れば、屋敷が見えるかもしれない」
子どもながらの知恵でそう思い、
暗くてかび臭い階段を登った。
そこに、あなたは立っていた。
◆
「誰だ、何しに来た?」
負けん気の強そうなグリーンの瞳が、
不思議そうにわたしを見てくる。
「道に迷って……」
サマードレスの裾が風でめくれるのを
抑えながら、わたしは言った。
あなたは羽ばたくように滑らかに、
わたしの手を取って
「こっち」と言う。
時計台の窓から下を見下ろすと、
一面にレンガ造りの家々が並んでいた。
「うわぁ」
街は、おもちゃ箱の中みたいだった。
部屋の灯が四角い窓から漏れ出して、ぼんやりと明るい。
「いいだろ」
「ここは、あなたの家なの?」
「いや、違うけど」
わたし達は、顔を見合せて笑いあった。
大きな月が、明るくおもちゃの街を照らしていた。
◆
やがて夕方になり、太陽が遡り南の空を照らす。
それから東に沈んでいき、また夜が訪れていった。
その間わたし達は、街を歩き回り、
冷たい果実水を飲んで、パンを頬張った。
道に迷ったことなんか、忘れていた。
知らない路地に入っては、
新しい店を見つけ、疲れたら時計台で休んで、
お昼寝をした。
「名前は?」
「ハンス」
「あたし、レイチェル」
ハンスは自由な鴎みたいだ。
◆
真夜中の鐘が鳴ると、時が巻き戻っていた。
1日前の真夜中に。
けれど、再び鐘は鳴らなかったし、
時計台に登っても、ハンスには会えなかった。
◆
毎年、この真夏の夜に鐘が鳴り、
わたし達はまた出逢う。
背が伸び、がっしりとしていくハンス。
わたしの胸も、果実が実るように膨らんでいった。
「レイチェル、また街へ行こう」
幾度も、幾度も、そんな夜と昼を繰り返す。
緑の瞳に吸い込まれるように。
◆
ゴーン、ゴーン……。
鐘が鳴り、時計の針が巻き戻る。
いえ、今回は止まったまま。
わたしは階段を登った。
あなたはそこにいる。
「やっと一緒に行けるな」
あなたはわたしの手を取った。
わたしは、もう少女じゃない。
あなたも、もう少年じゃない。
ひとりの老婆と、老爺だ。
止まっていた針が巻き戻るように、
わたし達は、少年と少女に変わっていく。
光り輝く階段を、一歩ずつ登って。
了



