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【短編小説】桜の庭にて

春の都、まだ薄い霞のかかる朝。
庭の桜は満開で、花びらが風に散っては小袖の袖に降り積もる。
私は十五、花霞の御家(みけ)の血を引く幼い姫。
裳着を終えたばかりの身で、まだ人知れず精霊の声を聞くことができる。
白い障子の向こうでは女房たちが笑っているけれど、私はひとり庭に下り、桜の木の下で小さく息をついた。

「姫……」
声がしたような気がして振り向くと、桜の幹に寄りかかる少女がいる。
淡い桃色の小袖、髪に桜の花を散らし、透けるような姿。
――桜の精、だろうか。
その瞳は、私の胸の奥を見透かしているようにやさしかった。

「花は散るもの。でも散るからこそ、美しいのです」
かすかな囁きが風に溶け、精の姿は消える。

そのとき、足音がした。
若い臣下の男が立っている。
桜の枝をよけながら、私を見つめている。
年は十八ほどか、武芸にも筆にも長けているが、身分は低く、名を呼ぶことさえ許されない家来。

「姫さま、風が強うございます。御身が冷えまする」
「……ありがとう」
声が震える。
彼の肩に一ひら、桜の花びらが落ちた瞬間、胸の奥がきゅっと鳴った。

その日から、毎朝のように桜の庭で彼と交わす小さな言葉が、私の唯一の楽しみとなった。
でも、身分の壁は厚く、誰にも話せない。
花びらが散るように、いつかこのひそやかな時間も終わってしまうと知っていた。

ある日、彼は私の前にひざまずき、小声で言った。
「姫さま、これ以上はお傍にいることができませぬ」
「なぜ……」
「桜は散り、私は遠い任へ発たねばなりません」

桜吹雪が二人の間を裂くように舞い、私の頬に冷たい風が触れた。
その風の中で、桜の精の声がかすかに響いた。

「散る花に 身をまかせつつ 恋ひわたる
  春の限りを 君に捧げん」

私は袖口に花びらを包み、彼に向けてそっと詠んだ。
彼は目を伏せ、微笑みながら花びらを受け取った。
それが最後の朝だった。

桜はあの日を境に散り、庭は静まり返った。
けれど風が吹くたびに、あの桜の精の囁きと花びらの記憶が胸の奥で淡く香り立つ。
私はまだ十五の姫、けれどひとつ、恋の痛みと花の秘密を知ったのだ。

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