見出し画像

無名の自分が読者になって感じること

今日は小雨になったり、ちょっとやんだりを繰り返した一日。バスは乗客が増えるので乗り降りに時間が掛かり、結果として遅れ気味になります。そういう時にSuicaやPASMOの残高不足は、それに輪を掛けるので避けたいものですね。

さて、……。

note界(あるのか?)において、自分は無名の存在。そうだからこそ、記事を読みに来て頂けるのはとても嬉しい。あなたに心より感謝を申し上げる次第。

でもnoteを始めた頃は、1日のビュー数が一桁だったことも珍しくない。そういう時代を経験しているので、今でも読んでもらえるだけで心が浮き立つ。その思いは今でも変わらない。

ただ、自分も一読者の立場になることは当然ある。自分の興味のある分野の記事、或いは読み応えのある記事を探しているのだけど、読んでいて、何かが違うと感じるものも少なくない。この違和感はどこからくるのだろうか。

率直に言えば、二つある。
一つは有名な方の記事を引用する記事に多いのだけど、結局要約になってしまっていたり、内容について説明しているだけだったりで終わっている文章。

これだと、書いている方のキャラが立たない。もう少し自分なりの見方、考え方、感じ方を出さないと、もったいないと思う。ぶっちゃけ、要約だったら敢えて書く必要があったのかと感じてしまう。

もう一つは、総論的な内容の記事。皆これなら納得するだろうという内容の記事で、その点に異論はない。でも、読み手としては「それはそうなのだけど、常識的なことを書いているだけではないか」とかえって腑に落ちなくなる。

いずれも筆者自身のキャラが見えず独自の見解や主張がない(弱い)ので、面白みに欠ける。敢えて逆張りをしたり、尖った意見をぶつけたりする必要はないのだけど、自分なりの思いがないと読む方が辛くなってしまう。

いきなりだけど三次曲線に例えれば、ある区間だけは増減するけどその他の区間は増え(or減り)続けるだけ。その大部分には誰も関心を持たず、数学で問題にもされない。この増減する部分に焦点を当てて記事を書けるかが大事だと思っている。

万人受けを期待し、批判を避けたい気持ちは分かるのだけど、おそらくnoteでは増減変化の部分について、自分の考えや感じたことを伝えていくことが求められている。少なくとも私はそう考える。

もしかしたら。こんなことを考えているから自分が無名のままなのかも知れないという疑問も湧くが、それならそれでやむなしだと受け止めるのみ。あなたがどう考えるかは、あなたにお任せするしかない。

お読み頂き、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!

辻六道🥚 読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。