ちょっと不自由でも、ジムには人がいてほしい
意気揚々とジムへ向かっても、自分のリズムでトレーニングを始められない日がある。
人気のマシンは埋まり、使いたいパワーラックも大混雑。
少し離れた場所から、空く瞬間を待つ。
この時間が、とにかく長い。スクワットのインターバルは、あんなに短く感じるのに。
待ちくたびれた頃、パワーラックを使っていた人が、プレートを外し始める。
そろそろだ。
ベンチ台を拭き終えたのを確認し、急ぎ足で向かう。
すると、横からスッと人が入った。
後から入館した人に、あっけなく取られる。
「ちょ、俺が先に狙ってたって!」
もちろん、声には出さない。
ラックへ熱い視線を送り続けていたところで、予約にはならない。前の人へ声をかけていなかった私にも、落ち度がある。
仕方なく、別の種目を始める。
すると、一セット目の途中で、さっきまで埋まっていた別のパワーラックが空いた。
「今日のタイミング、どないなっとんねん!」
沈黙のツッコミが、私の中で響き渡る。
あのときの私には、周囲の人が、同じ場所で鍛える仲間には見えていなかった。
自分の予定を狂わせ、使いたい機材を先に取る存在。言ってしまえば、トレーニングを阻む障害物だった。
混んでいる景色
みんなで機材や場所を共有する以上、待ち時間は避けられない。
頭では分かっている。それでも、思い通りに進まなければ、普通に腹は立つ。
今日は胸を鍛えるつもりだった。
この順番で、種目を回すつもりだった。
その予定が、知らない誰かによって次々と崩されていく。
ただ、人が増えた景色そのものは嫌いではない。
老若男女を問わず、それぞれが自分なりの目的を持って、体を変えようと、ジムの扉を開く人が増えている。
それは、フィットネスにとって明るい景色だと思う。
そう思いながらも、パワーラックを取られた瞬間だけは、明るさがだいぶ見えにくくなる。
アクシデントは、突然に
ある日、ジムで一人の男性が倒れた。
男性はベンチに横たわり、ダンベルフライをしていた。腕を震わせながら最後の一回を終え、ダンベルを床へ置く。
それから、立ち上がった。
次の瞬間だった。
男性は身も取らず、そのまま床へ倒れ込んだ。
体が激しく痙攣し、意識を失っていた。
さっきまで各自のトレーニングをしていた人たちが、一斉に動いた。
近くにいた人が、男性へ駆け寄る。
別の人が、救急車を呼ぶ。
私も、その輪へ加わった。
普段は話したことがない人たちだった。名前も知らない。何を鍛えているのかも、週に何回来ているのかも知らない。
けれど、その瞬間は、誰も機材の順番など気にしていなかった。
男性は、やがて意識を取り戻した。
本人は、倒れたことを覚えていなかった。
申し訳なさそうに、「もう大丈夫です」と立ち上がろうとしたが、救急隊が来るまで休んでもらった。
その場にいた全員が、男性の無事を願っていた。
少し前まで、周りの人を、自分の予定を邪魔する存在として見ていた。
でも、異変が起きた瞬間、その人たちは迷わず動いた。
ラックを先に取る人も、インターバルが長い人も、誰かが倒れれば助ける側になる。
私の中で、ジムにいる人たちの見え方が変わった。
ジムは、安全な場所ではない
もし、あのとき周囲に誰もいなかったら。
発見も対応も、確実に遅れていたと思う。
その先は、あまり想像したくない。
ジムでは、重いものを持ち、息を詰め、限界に近いところまで体を追い込む。
冷静に考えれば、少し狂っている。
それでも、私たちは慣れてしまう。
いつもの重量。
いつもの種目。
いつものジム。
その「いつも」の中に、危険があることを忘れる。
隣り合わせなのが事故だけなら、怖くて追い込めない。隣に誰かがいるから、限界までいける。
もちろん、人がいるから無茶をしていいわけではない。危険を減らす責任は、自分にある。
それでも、万が一が起きたとき、異変に気づき、動いてくれるのは人だ。
マシンやセーフティバーだけではない。同じ場所で鍛えている人たちも、ジムを安全にする存在だった。
混雑は、ただの不自由ではなかった。
偉そうに言った後で
あの場面を見て、安全の大切さは理解したつもりだった。一人で限界を試す危険も、分かったつもりでいた。
最後に一つ、白状したい。
この前、真夜中のジムで一人、ベンチプレスの1RMへ挑戦した。
そして、普通に潰れた。
バーの下でもがきながら、あの日、人が倒れた光景が頭へ浮かんだ。思い出すタイミングとしては、かなり遅い。
セーフティバーがなければ、今ごろあの世でトレーニングしていたかもしれない。
人が倒れた現場を見た。
安全の大切さも知っていた。
それでも、自分のことになると無茶をした。
危険を知っていることと、正しく行動できることは別だったらしい。
偉そうに安全を語りながら、一人で潰れている私を、どうか許してほしい。
次は、隣に誰かがいるときに挑戦する。
ちょっと不自由でも
これからも、使いたいパワーラックを先に取られたら、腹は立つと思う。
沈黙のツッコミも止められない。
インターバルが長い人を、遠くから見つめてしまう日もある。
それでも、誰もいないよりはいい。
自分の予定を邪魔するように見える人が、いざというときには自分を助けてくれるかもしれない。
反対に、自分が誰かの異変へ気づく側になるかもしれない。
同じ空間にいる人たちと、機材だけでなく、安全も共有している。
だから、ちょっと不自由でも、ジムには人がいてほしい。
できれば、私がパワーラックを使い終わったあとに。
同じ場所で過ごすには、認める力も必要でした。
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