「お母さん!ズレてますよ……」我が子をニートに追い詰めた私が、家を出て『自分の人生』を生き直すと決めるまで#8
ちょっと待った~!!!
👇こちらの記事を読んで・・・
共感するなぁ~って思いました
日々、私がお伝えしたい内容でしたので
私なりの言葉で伝えたいなと思い記事を書く事にしました😊
まずはあーる先生の記事から読み進め頂ければ
より理解が深まると思います😊
結論から話します!ちょっと辛口😫
あのね・・・
お母さん・・・お気持ちわかりますが
これやってると・・・お子様との関係性悪化します・・・😭
何故、そう言えるのか・・・
私が、そんな親だったから・・・
そんな母親だったからです・・・
私が親子関係崩壊の経験者だからです・・・
私の子供はニートでした・・・
大学もいかず、家でゴロゴロして
バイトはしていたけれど
ぜ~んぶ推し活につぎ込み
夜中まで遊びフラフラしておりました
大学に行ってるものと思っていたけれど
単位は取れず大学卒業は叶いませんでした
中学受験を経て、中高一貫校に通っていました
中学生までは、上位の成績・・・
高校生になってからは、奈落の底に転げ落ち・・
気付いた時(この現実を直視した時)既に手遅れ状態
高校は卒業できましたが・・・
楽しんでいる様子はなく
仕方なく学校に通っている感じでした
地獄のファンファーレは・・・既に鳴っていました

見て見ぬふりで過ごした結果・・・
高校卒業時点での進路状況
滑り止め大学だけ合格(当然無名大学)
(滑り止め大学も当時の担任に言われた学校で見学すらしていません)
大学受験には失敗
滑り止め大学には進学せず、編入試験で入学できる術を探し
予備校へ
同時に通信大学に入学
勿論、専門学校を探したのも私です
一応本人には、滑り止め大学に行くのか編入学するのかは聞きました
そして、いざ編入試験の日が来ました(2年後)
勿論願書も出して試験料も払い込みました
試験は受けずに3日程家出
結局、編入入学することもなく通信大学3年生に
そして、通信大学は卒業出来ず
留年するのか、退学するのか迫られました・・・
退学して、就活する事に・・・
家庭内暴力もありました・・・穴だらけのドア
生きていたくない・・・
生きている意味がないといわれました・・・
私が、不妊治療をしてやっとの思いで授かった我が子が
目の前で私にそう叫んだのです・・・
泣き崩れる私と子供・・・
地獄絵図でした・・・
我が子が生きている意味がないって・・・
そう叫ぶまで私は
ここまで追い込むまで
気づかないふりをしてやり過ごしていたのです
どうでしょうか?なかなかの壮絶な体験でしょ?
それでも、続けますか?
お子さんの人生に口出し続けますか?
そして、もう1つこの現実を突きつけますね😫
夫婦関係は良好ですか?
人間関係良好ですか?
幸せですって言い切れますか?
どうでしょうか?
きっとこんな声が聞こえると思います
でもそんなこと言って
子供の進学が上手くいかなかたっらどうするのよ
子供の将来が台無しになったらどうするのよ
私のやってることは、間違ってないのよ
子供の為に、必死でやってるのよ
あなたの話なんて聞かないわ
そんなこと噓よ
私の子育ての何がわかるの?
子供のことは一番わかってるから
わたしが正しいの
子供はそれで幸せなのよ・・・
って思ってる方は、この先は読み進めないで下さいね
どうぞ、そのままお子様の人生に口を出し
先回りして、人生の道を準備してあげて下さい
覚悟ができたお母さん/しっかりと受け止めてくださいね
1. 覚悟の正体:犯人は「私」だった
心理学でいう「境界線(バウンダリー)」が、当時の私には全くありません
でした
子供の人生を自分の人生のように扱い、子供の失敗を自分の失敗のように恐
れていた
私が「良かれ」と思って握りしめていた手は
子供の首を絞めていたんです
それに気づいた時、私は「もう、この子の人生に口出しはしない」と
血を吐くような思いで決意しました。
2. 「課題の分離」:沈黙という名の修行
そこから、私と子供の「課題の分離」が始まりました
大学をどうするかは、子供の課題
就職するかしないかも、子供の課題
その結果、どうなるかも、子供の課題
今まで否定しかしてこなかった私が、初めて「黙って見守る」
という修行に入ったのです
子供が自分で就活を始め、内定をもらってきた時
「最初の内定先でいいじゃない」という言葉が喉まで出かかりました
でも、飲み込みました
また別の会社を受けると言った時も、「せっかく内定もらったのに」という
不安を、ギュッと飲み込みました
「口を出さない」ことは、何もしないことより
100倍エネルギーがいります
でも、それが子供を「一人の人間」として尊重する
ということだったんです
3. 境界線を引いた先にあった「奇跡」
結局、子供は自分で納得する会社を見つけてきました
私は、会社名すら聞きませんでした
「あなたが決めた道なら、それでいい」
心からそう思えたからです
就職祝いに、夫と3人でスーツを買いに行きました
子供が自分で選んだ、新品のスーツと靴
その時、子供の口から出た言葉
「母ちゃん、ありがとう・・・」
穴だらけのドアの前で泣き崩れていたあの頃には
想像もできなかった言葉でした
私が「コントロール」を手放し
子供を「信じて見守る」と決めた結果
壊れたはずの絆が、新しい形で結び直された瞬間でした
4. 今、苦しんでいるお母さんへ
もし今、あなたが「私がいないとこの子はダメになる」
と思っているなら、それはズレています
お母さんが手を離したとき、初めて子供は自分の足で立ち上がります
信じることは、放り出すことではありません
「何があっても、あなたの味方でいるよ」という無言の
メッセージを送ることです
勇気を出して、一歩下がってみませんか?
その一歩が、お子さんの人生を動かす「本当の力」になります

「今、私は幸せです」
もちろん、世間一般で言う『理想の家族』の形とは違うかもしれません
私はその後、夫と離婚し、今は再婚して子供たちとは離れて
暮らしています
子供たちは、元夫の家で生活しています
離婚の話をした時、家を出る時、子供たちには正直に話し
彼らの意思も聞きました
再婚のことは、まだ話せていません
母親として、至らない点も、合わせる顔がないと思う瞬間も正直あります
でも、今の私と子供たちの間には、あの地獄のような日々にはなかった
『静かな時間』が流れています
先日、元いた家を訪ねた時のことです
一番上の子は、まだ少しぎこちなさはあるものの
私と同じ空間にいてくれました
会話らしい会話はありません
でも、こたつの中でたまに足が当たっても
嫌がる素振りも見せず、ただそこにいてくれました
隣に座ってくれる・・・同じ空気を吸ってくれる
それだけで、私は震えるほど嬉しいのです
私は、子供に何かあったらいつでも支えてあげたいと思っています
でも、自分にできないことは『できない』と、今はちゃんと伝えます
それが、一人の人間として彼らを尊重し、境界線を引くということだと
学んだからです
かつての私は、『こんな私の子供だから、私がついていないとダメになる』
と、自分への自信のなさを子供に投影して心配していました
でも今は違います
『私の子供なんだから、何があっても、どこにいても、
この子たちは大丈夫』
そう心から信じられるようになりました
離れて暮らしていても、私は彼らの母親です
そして、彼らにとっての母親も、私しかいません
ずっと、ずっと、遠くから見守り続けていく
それが今の私の愛の形です
もし今、お子さんとの関係に絶望し、自分を責めている
お母さんがいたら、伝えたいです
形はどうあれ、あなたが『自分の人生』を生き
子供を『一人の人間』として信じることができた時
必ず新しい絆が結び直されます
私は今、自分の人生を歩んでいます
そして子供たちも、彼らの人生を力強く歩んでいます
そのことが、今の私の幸せです
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
私の経験が、今、暗闇の中にいるお母さんにとって、ほんの少しでも前を向
くきっかけになれば幸いです
あなたも、あなた自身の人生を歩んでいい
そして、お子さんの力を信じていい
心から応援しています

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