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【短編小説】ことばの贈り物、クリスマスの夜に

夜更けの団地に、洗濯機の音だけが低く鳴っている。
キッチンの換気扇は止めた。リビングの照明も、スタンドライトひとつだけ。
ここが、いまのわたしの「書斎」だ。

テーブルの上には、娘がさっきまで遊んでいたクレヨンと、包装紙の切れ端。
その横に、一冊分だけ抜けてしまった本棚の隙間が、ぽっかりと口を開けている。

――『賢者の贈り物』。

大学生の頃、図書館の片隅で読んだクリスマスの物語。
お金のない若い夫婦が、お互いの大切なものを手放して、相手への贈り物を買う話。
オチを知っている今でも、読み返すたびに胸のどこかがきゅっと痛くなる。


「ねえ、凜ちゃん。これ、すごいよね」

あのとき隣で言ったのは、今の夫・シンくんだった。
細い指で本のページをそっと押さえながら、真剣な顔で続けた。

「ここまで手放せるもの、いまの俺らにあるかな」

「あるわけないじゃないですか」

わたしは笑って答えた。
貯金だってほとんどない学生だったし、ブランド物の時計も、宝石も、持っていなかった。

「でもさ。本当に大事なものって、たぶん物じゃないんだろうな」

そう言って、シンくんは少し照れくさそうに、わたしのノートを指でつついた。
そこには、書きかけの童話みたいな短編が、ボールペンでびっしりと書き込まれていた。

「凜ちゃんは、これを手放さないようにね」

――あれから十年以上経った今。
あのときの言葉を、わたしたちはどれくらい守れているだろうか。


今年、娘のさくらは三歳になった。

「さんたさんにね、ドレスとおかしのいえと、
 パパとママのおしごと、やさしくなりますようにってかいたの!」

保育園から帰ったさくらが胸を張る。

「ざっくりしたお願いだなあ」

夕飯のあと、さくらの話を聞いたシンくんが、苦笑しながらわたしを見た。
わたしは、味噌汁のお椀をシンクに運びながら肩をすくめる。

「きっと、“怒らないで”ってことじゃない? 最近バタバタしてるし」

わたしは、週に数日、図書館で非常勤として働いている。
本に囲まれて過ごせるのは幸せだ。でも、家のこと、さくらのこと、そして密かに続けている「書くこと」を全部乗せようとすると、どうしてもどこかが軋んでしまう。

シンくんは、会社員をしながら、公認心理師としての仕事や勉強も続けている。
だけど現実は、残業とオンライン研修と、休日の家族サービスで、時間はいつもぎりぎりだ。

「おしごと、やさしくなりますように、か……」

そうつぶやいて、シンくんは冷めかけたお茶をひと口飲む。

「ねえ、クリスマス、今年どうする?」

「どうって?」

「シンくんに、何か贈りたいな」

わたしがぽつりと言うと、シンくんは目を瞬いた。

「いやいや、お金ないって。ボーナスだって、ほぼ生活費と保育園代だし」

「分かってるよ。でも、物じゃなくてもいいからさ。なんか、“エール”みたいな」

その言葉に、シンくんがふっと笑う。

「灯火杯の影響?」

「うん、まあ、ちょっとね。“エール”ってテーマ、ずっと頭のどこかに残ってて」

わたしは、テーブルの端に置いたノートパソコン――ではなく、古びた大学時代のノートを指で撫でる。
本当は新しいパソコンが欲しい。
さくらが寝てから、キーボードで一気に物語を書きたい。
でも、それはきっと「ぜいたく」の部類に入るのだろう。

「じゃあさ」

シンくんが、ひざの上のさくらの髪を撫でながら言った。

「お互いに“エールの贈り物”をしようか。予算は、お小遣いの範囲で」

「……賢者の贈り物ごっこ?」

「そこまでは無理しなくていいけどさ。お互いに、相手の“これから”を応援できるものにしよう」

その瞬間、大学の図書館で読んだあの一行が、頭の中に蘇る。

――クリスマスに贈り物をする人の中で、彼らは最も賢いと言えるかもしれない。

「いいね、それ」

わたしは頷いた。
そしてその夜から、わたしたち夫婦の、ささやかな「オマージュ」が始まった。


わたしが向かったのは、駅前の古本屋だった。
レジカウンターの奥には、昔ながらのガラスケース。その中に、少しだけ高級そうなペンや革小物が並んでいる。

「すみません、このノートカバー、まだありますか?」

わたしが指差したのは、シンプルな濃紺の革カバーだった。
A5サイズで、手になじみそうな厚み。
シンくんがいつも持ち歩いている、使い込まれたメモ帳にちょうど良さそうだ。

「お目が高いですねえ。これ、クリスマス前に入ったばかりで」

白髪まじりの店主が、ケースの鍵を回しながら笑う。

値札には、わたしのお小遣いほぼ一か月ぶんの金額が書かれていた。
ためらいが喉の奥に引っかかる。
でも、わたしの頭には、残業明けでも真面目にオンライン講座を受けているシンくんの姿が浮かんでいた。

「これください」

財布から、紙幣を一枚一枚抜きながら、心の中で小さく深呼吸をする。
レジの音が、なぜかやけに大きく響いた。

「それと……買い取りもお願いしたいんですけど」

わたしは、持ってきたトートバッグから、一冊の本をそっと取り出した。
ハードカバーの、少し古い英語の短編集。
中ほどに、『The Gift of the Magi』。

大学卒業のとき、シンくんがくれたものだ。

「これは、いい本ですねえ」

店主が、ページをぱらぱらとめくる。
栞代わりに挟んだ、あの日の映画の半券が、ふわりと床に落ちた。

「大切な本だったんじゃないですか?」

「……はい。でも、きっと、またどこかで会える気がして」

わたしは拾い上げた半券を、そっとポケットにしまう。
冷たくなった指先が、少しだけ震えた。

査定額は、思ったよりもずっと低かった。
それでも、そのお金があれば、ノートカバーを買っても、さくらへの絵本を一冊追加できる。

帰り道、信号待ちの交差点で、わたしは空を見上げた。
十二月の空は、夕方でももう夜みたいに暗い。
街路樹に巻きついたイルミネーションが、ちらちらと瞬いている。

――ごめんね。でも、たぶんこれが、いまのわたしにできる「賢者の真似事」なんだ。

胸の奥でそうつぶやいて、わたしはトートバッグを抱きしめた。


一方その頃、シンジは駅ビルの上のリサイクルショップにいた。

「スミマセン、このヘッドホン、買い取りお願いできますか」

カウンターに置いたのは、少し前にボーナスで買ったノイズキャンセリングヘッドホンだ。
通勤電車の騒音を消してくれる、彼のささやかなぜいたく。

「え、これ手放しちゃうんですか?」

査定をする若い店員が、目を丸くする。

「もったいないですよ。まだ新しいのに」

「ちょっと、クリスマスで、物入りで」

シンジは苦笑いを浮かべてごまかした。
本当は、別の理由もあった。

――凜ちゃんに、パソコンを買ってあげたい。

さくらが生まれてからも、凜は細々とノートに物語を書き続けていた。
夜中に、眠そうな目をこすりながら、ボールペンを握る姿を何度も見てきた。

「パソコンがあればねえ」と、一度だけこぼしたことがある。
その言葉が、彼の胸にずっと刺さっていたのだ。

査定額は、やはり少し寂しいものだった。
それでも、手元の貯金と合わせれば、中古のノートパソコンくらいは買えるかもしれない。

……はずだったのだが。

「こちらの本、なかなか出ないレアものなんですよ」

リサイクルショップを出て、ふらりと立ち寄った古本屋で、シンジはそれを見つけてしまった。

ハードカバーの英語の短編集。
角がほんの少しだけ擦り切れて、紙の端がやさしく黄ばんでいる。

『The Gift of the Magi and Other Stories』

背表紙を撫でた瞬間、指先がピクリと震えた。

――これ、うちにあったやつと同じじゃないか?

パラパラとページをめくる。
中ほど、『The Gift of the Magi』の最初の一行に、小さな鉛筆の線が引かれていた。

「One dollar and eighty-seven cents. That was all…」

その下に、見覚えのある、丸い字の日本語訳。
「1ドル87セント。それが全部だった。」

「……凜」

あまりに胸がざわついて、シンジは思わずその場にしゃがみ込みそうになった。

「大丈夫ですか?」

店主が心配そうに声をかける。

「これ、買います」

ほとんど反射的に言っていた。
値札の金額を見る前に、財布を掴んでいた。

予定していた中古パソコンの予算は、その瞬間に消えた。
店を出てから、自動ドアの前で頭を抱える。

「……やってしまった」

冷たい風が頬を刺す。
でも、胸のどこかで、小さな灯りがぽうっと灯った気もした。

――たぶん、これもまた、バカみたいな贈り物なんだろうな。

帰り道、シンジはコンビニに寄って、コピー機の前に立った。
A4の白い紙を取り出し、ボールペンを握る。

「エールの贈り物チケット」と、タイトルを書いた。
その下には、こう続ける。

① このチケット1枚で、3時間ぶんの「執筆タイム」と交換できます。
② その間、パパがさくらを連れ出します。公園でも、図書館でも、どこでも行きます。
③ チケットは10枚あります。期限はありません。使いたいときにいつでもどうぞ。

なんだか子どもっぽいアイディアだと思う。
でも、凜が本当に必要としているのは、「モノ」よりも、「書く時間」と「応援」なのかもしれない。

コピー機から出てきた紙を丁寧に折りたたんで、封筒に入れる。
そして、もうひとつの小さな包みと一緒に、リュックの中にしまった。


クリスマスイブの夜。
さくらは、保育園でもらった紙の王冠をかぶったまま眠ってしまった。
枕元には、小さな靴下と、サンタさんへの手紙。

「さんたさんへ
 おかしのいえは、ほんとうじゃなくてもいいです。
 パパとママ、あんまりおこらないでください。
 さくらより」

読み上げながら、わたしとシンくんは顔を見合わせ、思わず吹き出した。

「“ほんとうじゃなくてもいいです”って、現実的だなあ」

「夢と妥協のバランスを覚えてきたのかもね……」

さくらの頬に布団をかけ直し、そっと部屋のドアを閉める。
リビングに戻ると、テーブルの上には、ふたつの包みが置かれていた。

「じゃあ、メリークリスマス」

「メリークリスマス」

わたしたちは、息を合わせて包みを交換した。

先に開けたのは、シンくんだった。
紺色の箱を開くと、中には革のノートカバーがきちんと収まっている。

「……これ、もしかして」

「いつか、自分の相談室を持つときに、使ってほしいなと思って」

わたしは、少し照れくさくて視線をそらす。

「ここに、クライアントさんのこととか、たくさんメモしてさ。シンくんの“これから”がつまっていく感じがするかなって」

シンくんはしばらく何も言わなかった。
ノートカバーの手触りを確かめるように撫で続け、それから、ぽつりと言う。

「凜ちゃん……ありがとう」

「安物だから、すぐ傷だらけになるかもだけど」

「それでいいよ。むしろ、そのほうが好きだ」

顔を上げたシンくんの目は、すこし潤んでいた。
その視線から逃げるように、今度はわたしの番だ。

封筒を開けると、まず出てきたのは、一枚の紙だった。

「……何これ?」

「読んでみて」

そこには、少し不恰好なフォントで、さっきコピーした文章が印刷されている。

「“エールの贈り物チケット”?」

読み上げるうちに、喉の奥が熱くなっていく。

「三時間ぶんの……執筆タイム?」

「うん。10枚あるから、合計30時間。好きなときに、俺にLINEして。“いま一枚使うね”って」

シンくんは、ソファの背にもたれながら微笑んだ。

「その間、さくらは俺が連れ出すから。図書館でも、公園でも、実家でも。凜ちゃんは、家でもカフェでも好きなところで、書いてきていい」

「でも、お金とか……」

「お金のことは、なんとかするよ。プレゼントなんだから」

冗談めかしてそう言いながら、シンくんは、もうひとつの包みを差し出した。

包装紙をほどくと、見慣れた手触りのハードカバーが現れる。
一瞬、時間が止まった気がした。

『The Gift of the Magi and Other Stories』

震える指先で、表紙をなぞる。
ページをめくると、中ほどに、見覚えのある鉛筆の線と、日本語のメモがある。

「……え、なんで、これ」

言葉が喉につっかえた。
シンくんは、少し気まずそうに頭をかいた。

「古本屋で見つけたんだ。まさか同じ本だとは思わなかったけど、中身見て、ああ、やっぱりそうかって。半券とか、挟まってなかった?」

わたしは、ポケットに入れていた映画の半券を取り出す。
そこには、大学生の頃行った、クリスマス特集上映のタイトルが印刷されていた。

「ご、ごめん。勝手に売っちゃって」

「いいよ。そのおかげで、俺、このカバーもらえたんだろ?」

シンくんは、革のノートカバーを大事そうに撫でる。

「多分、“賢者の贈り物”的には、さ。お互い、ちょっとバカなことしてるんだと思う」

そう言って笑う顔が、なぜだか、大学生の頃と重なって見えた。

チケットを見つめていると、
胸の奥で何かがじんとあたたかくなった。

「……シンくんこそ、ヘッドホン売ったんでしょう」
「まあ、お互いさまだな」

ふたりで笑ったそのとき、
さくらの「おしごと、やさしくなりますように」という願いが、
少しだけ叶った気がした。


クリスマスが終わったあと、わたしはさっそく、チケットを一枚使わせてもらった。

「すべり台10回乗ってくるからなー!」
玄関の外で、シンくんの声と、
「もっとのるー!」というさくらの声が遠ざかる。

静かになった部屋で、
わたしはスマホでnoteの画面を開いた。

――【企画告知】灯火杯5th Re:クリスマス。

季節のテーマは「クリスマス」。
共通テーマは「エール」。
そして「Re:クリスマス」。過去の物語への返事でもいいし、新しい物語でもいい、とそこには書かれていた。

「……過去の物語への、返事、か」

わたしは『賢者の贈り物』のページをそっと開く。
若いふたりが、互いの宝物を手放して贈り物をする、あの場面。
あのときは遠いフィクションだった場面が、今は少しだけ、現実の延長に見える。

ノートの一番上に、タイトルを書いた。

『ことばの贈り物、クリスマスの夜に』

そして、ペン先を宙に浮かせたまま、しばらく考える。

これは、わたしたち三人の、ささやかなクリスマスの「続きの物語」だ。
『賢者の贈り物』に対する、いまのわたしからの「Re:(返事)」でもある。

わたしは深呼吸をひとつして、ノートパソコン代わりのスマホでnoteの新規記事画面を開く。
最初の一行を、打ち込んだ。

夜更けの団地に、洗濯機の音だけが低く鳴っている。

画面に浮かんだその文字は、
さっきまで胸の中にあった景色と、ぴたりと重なった。


花邑灯火さんの企画に応募したくて綴りました。
よろしくお願いいたします!

あとがき ― 賢者の贈り物へのRe:

このお話は、O・ヘンリーの『賢者の贈り物』へのオマージュとして書きました。

若い夫婦がお互いの大切なものを手放して、相手のための贈り物を用意する――
あの名作を初めて読んだときの、胸がきゅっとなる感じが、ずっと心のどこかに残っていて。
「もし今、この時代、この生活の延長線上でやるなら、どんな“賢者の真似事”があるだろう?」
そんな問いから、生まれた物語です。

原作では「髪」と「時計の鎖」だった“手放すもの”を、ここでは

  • 凛が売ってしまう、大学時代の思い出がつまった『The Gift of the Magi』の本

  • シンくんが手放す、通勤時間をちょっとだけやわらかくしてくれるヘッドホン

という形に置き換えました。
そしてふたりが最終的に贈るものは、「モノ」よりも、「これから」を応援するためのチケットやノートカバー――つまり“エール”そのものです。

もうひとつ、今回どうしてもやってみたかったのが「メタ構造」です。

物語のラストで、凛が灯火杯5th「Re:クリスマス」の告知noteを読み、
自分たちのクリスマスの出来事を題材に、小説を書きはじめます。

夜更けの団地に、洗濯機の音だけが低く鳴っている。

と、彼女が書き出した一行目が、そのまま、あなたが今読んでくださったこの物語の冒頭につながっていく。
つまり、
「灯火杯に応募するために凛が書いた小説」
=「いま読者として読んでいるこの小説」
という、ぐるりと輪を描く構造になっています。

灯火杯の共通テーマが「エール」、
そして「Re:クリスマス」というお題だったからこそ――
過去のクリスマス物語へのお返事としてのオマージュと、
いまここで誰かに届いてほしいエールを、一本の線でつなぎたいと思いました。

凜もシンくんもさくらちゃんも、どこかで誰かのようで、どこにもいない誰かです。
でもきっと、
「お金も時間もぜったい的に足りないけど、ささやかにエールを送り合って生きている人たち」
のどこかに、重なる部分があったらいいなあと思いながら書きました。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。
あなたにとっての「賢者の贈り物」や「エールのチケット」は、どんな形をしているでしょうか。
よかったら、このクリスマスに、あなた自身の「Re:クリスマス」も、そっと思い描いてみてください。

喜木 拝



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