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どんぐりの歌が響くとき、言葉も芽吹く

美術館には、独特の静けさがあります。

この夏、3歳の娘と訪れたレオ・レオニ展。
広い会場には、作品と作品のあいだに流れる余白がありました。
娘は原画を見上げ、じっと立ち止まったかと思えば、次の瞬間には別の部屋へ駆けだす。小さな体いっぱいに「見る」と「動く」を繰り返すその姿は、まるで絵の中の登場人物のようでした。
私は、静かな空間に響く、娘のささやかなリズムに耳を澄ませます。

会場に漂っていた静けさは、言葉の余白にも似ていました。

美術館は、ただ作品を展示する場所ではありません。
真っ白な壁の余白があるからこそ、色彩が映える。
沈黙があるからこそ、言葉が立ち上がる。
それは、文章を書くことと重なっている気がします。

季節はうつろい、肌寒く感じる日も増えてきます。先日、娘は道ばたに落ちていたどんぐりを見つけ、両手いっぱいに抱えて集めていました。転がるどんぐりを追いかける小さな姿が、秋の光に照らされてきらめきます。
「どんぐりころころ〜」と歌い始めた娘は、すぐに自分のオリジナルソングへと変えるのでした。
「どんぐりさん、こんにちは」
「どんぐりさん、おやすみなさい」。
即興のフレーズを楽しそうに重ねる声は、秋風に溶け込みながら、あたりに響いていきます。

その姿を見て、私はハッとしました。
創作の原点は、こうした自由さにあるのではないか、と。落ちていたどんぐりを宝物に見立て、そこから歌を紡ぎだす。幼い想像力が、その瞬間をアートに変えていく。芸術の秋は、こんな小さな遊び心から始まっていくのだと思いました。

小さな手のひらにのるどんぐり。ひとつひとつが物語のかけら。

書くことはいつも楽しいわけではありません。
机に向かっても一文字も進まない夜があります。
白い画面を前に、言葉が降りてこない沈黙だけが続く時間。
私自身、そんな「書けない夜」を幾度となく経験してきました。

そんなとき、思い出すのです。
美術館の余白と、娘がどんぐりを手に歌っていた姿を。
描かれていない空白があるからこそ、色が生きる。
沈黙の休符があるからこそ、メロディーが響く。
ならば、書けない時間や言葉の沈黙もまた、作品を形づくるための一部なのではないでしょうか。

娘の小さな歌声が教えてくれました。
空白は、決して「なにもない」わけじゃない。
そこには、次の言葉の芽吹きを待つあたたかな土壌がひそんでいるのだ、と。

秋は、余白の季節です。
葉を落とした木々のあいだから、空がひときわ広く見える。夜が長くなり、静けさが増す。心もまた、立ち止まり、内に向かう余白を持ちやすくなる。

もしあなたが今、言葉に出会えず立ち止まっているのなら、焦らなくても大丈夫です。
その沈黙もまた、表現の一部だから。
美術館の静けさと、娘が紡いだ歌声が私にそう教えてくれました。

秋の余白は、書く人の背中をそっと押してくれるでしょう。

喜木 拝


#灯火杯4th
以下の企画に参加させていただきます。

ともちゃん、素敵なアートが集まりそうですね!!
よろしくお願いいたします。


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