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わたし、たぶん“優しいふり”がうまい。

優しい人になりたい。
そう思ってきたはずなのに、
気づけば「優しく“見える”人」になっていた。

たとえば、返信は早め。
予定はなるべく合わせる。
相手の気持ちを先回りして、角が立たない言い方を選ぶ。

それは、たしかに“やさしさ”だと思う。
でも、ときどき。

やさしさの顔をしたまま、心だけが疲れている夜がある。



わたしの「優しいふり」は、便利にできている

断れない予定が増える。
頼まれると、断ったあとの空気を想像してしまう。
だから、最初から“いい人”で片づくほうを選んでしまう。

「大丈夫だよ」
「全然いいよ」
「気にしないで」

口から出るのが早い言葉ほど、
自分の本音を置き去りにする。

……でも、わたしは知っている。
その言葉の後に、ちゃんと疲れることを。


優しいふりが上手い人は、だいたい「我慢が上手い」

表面上は、穏やか。
空気も読める。
相手のために動ける。

だけど実際は、
我慢することで全体を丸くしているだけだったりする。

その場がうまくいけばいい。
波風を立てなければいい。
嫌われたくないし、重い人にもなりたくない。

そうやって、
“いい感じの自分”で今日もやり過ごす。

それができるって、ある意味すごい。
でもそのすごさは、
自分の心を削って成立しているときがある。


「優しいね」と言われるたび、ちょっとだけ置いていかれる

褒め言葉のはずなのに、
心の奥が少しだけ冷える。

「優しいね」って言われた瞬間、
わたしの中にいる“本当のわたし”が、
ひとりで置き去りにされる感じがするから。

本当は、
優しいんじゃなくて、言えないだけ。
優しいんじゃなくて、怖いだけ。
優しいんじゃなくて、諦めただけ。

そういう日も、ある。


でもね、優しさって、本当はもっと図太いものだと思う

誰かに合わせすぎることが優しさなら、
優しさはいつも息切れしてしまう。

優しさって、
もっと鈍感でもいいし、
もっと不器用でもいい。

自分を守ったうえで、
なお残った分を渡せるのが“優しさ”なんじゃないか。

そう思えるようになるまで、
わたしはずいぶん時間がかかった。


ここまで書いておいて、
いちばん言いづらいことを、まだ書いていない。

わたしが「優しいふり」をするとき。
それはたぶん、
相手のため“だけ”じゃない。

自分のためでもある。

ここから先は、わたしの本音です(※有料)


「優しいね」が免罪符になる瞬間と、優しいふりで自分を削らないための線引きの作り方も。

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