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喜びは、いつも小さくてまぶしい。

「“嬉しい”って、なんだろう?」

そう思ったとき、浮かんでくるのは、何かを手に入れた瞬間でも、大声で笑ったときでもない。
むしろ、静かに心がふくらんで、じんわりあたたかくなるような――
そんな、ほんのひとときの光景たちだ。

わたしの「喜び」は、いつも小さくて、でもたしかにまぶしい。
そのいくつかを、今日は記しておこうと思う。

「おはよう」の声が、今朝はいつもよりすこし大きかった。

まだ寝ぼけ眼のわたしの顔を、ぐいっとのぞきこむ3歳の娘。
お布団から飛び起きると、両手を腰に当てて、得意げにこう言った。

「きょうは、ぜったい、おこしてあげようって、おもってたの!」

その瞬間、胸の奥がふっとあたたかくなった。
なにかを“してもらった”とか、“もらえた”とか、そういうわかりやすい喜びじゃない。
でも、間違いなくこれは――わたしだけの、今日の「喜」だった。

あの日もそうだった。
保育園帰り、道端に小さなつつじが咲いていた。

「ママ、みて! かわいいおはな、さいてるよ!」

娘の指さす先を見て、わたしもつられて顔を近づける。
いつも通ってる道なのに、気づかなかった。

たったそれだけのことで、風がすこしやさしく吹いたように感じられた。

お風呂あがりの水分補給にと、コップを渡した夜。

「ママが、いちばん、やさしいね。」

それはきっと、ただの思いつき。
でも、それでいい。
言葉の重さや意味なんて、いつも後から追いかけてくるものだから。

わたしの心には、まっすぐ差し込んだ光のように、きらんと“喜び”が残った。

いつも探してると、見つからない。
でも、ふとした拍子に、「あ、これだ」とわかる瞬間がある。
“喜び”って、そんな存在かもしれない。

忙しい朝も、眠い夜も、すこしだけ心に余白があるとき。
誰かのまなざしが、自分に向けられているとき。
そっと咲く花みたいに、きらきらと、そこにある。

だから、ちゃんと見つけてあげたい。

喜びは、いつも小さくて、まぶしいから。


喜木 拝


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