雨の日のわたしにも、芽吹くものがある。|穀雨
雨の日は、やっぱり少し気が滅入る。
朝、カーテンの向こうが白っぽく曇っているだけで、身体がいつもより重たくなる。
洗濯物は乾かないし、靴は濡れるし、傘を持つ手はふさがる。
子どもを連れて歩く雨の日なんて、もうそれだけで小さな修行のようだ。
レインコートを着せて、長靴を履かせて、傘を持たせて。
それでも水たまりを見つけた瞬間、娘の足取りは急に軽くなる。
「ママ、みて!」
こちらは濡れないように、転ばないように、急がなきゃ、とばかり考えているのに、娘は雨の日の世界をまっすぐ楽しんでいる。
水たまりに映った空。
傘に当たる雨の音。
葉っぱの上でまるく光るしずく。
大人になると、雨はどうしても「予定を乱すもの」になってしまう。
髪が広がる。
服が濡れる。
荷物が増える。
気分まで湿ってくる。
けれど、二十四節気の「穀雨」という言葉に触れると、雨の見え方がほんの少し変わる。
穀雨。
穀物を潤す雨。
そうか。
この雨は、ただ降っているだけではないのだ。
誰かの足元を濡らしながら、
誰かの気分を沈ませながら、
それでもどこかで、芽を育てている。
見えない土の中で、静かに根が伸びている。
まだ名前もつかない小さな芽が、雨を飲み込んでいる。
今日の空の重たさは、明日の緑のためにあるのかもしれない。
そう思うと、気が滅入る自分まで、少しだけ許せる気がした。
雨の日に元気でいられなくてもいい。
春だからといって、いつも明るく芽吹けるわけじゃない。
新年度の疲れが出る頃でもある。
慣れない予定、変わった生活リズム、知らないうちに張っていた気持ち。
そんなものが、雨音と一緒にじんわり滲み出してくる日もある。
でも、滲むことは、悪いことばかりではないのかもしれない。
固くなっていた心が、少しやわらかくなる。
抱え込んでいたものが、輪郭をゆるめる。
「ちゃんとしなきゃ」と思っていた気持ちが、雨にほどかれていく。
穀雨の雨は、たぶん急かさない。
早く咲けとも、すぐに実れとも言わない。
ただ静かに降って、土を湿らせる。
私たちの毎日にも、そういう時間が必要なのだと思う。
何かを成し遂げる日。
前に進む日。
ちゃんと書ける日。
笑顔で過ごせる日。
そういう日ばかりを、つい「いい日」と呼びたくなるけれど、
何もできずにぼんやりする日も、
気分が沈んでいる日も、
雨の音を聞くだけで終わる日も、
きっと何かを育てている。
まだ見えないだけで。
娘は今日も、水たまりの前で立ち止まる。
長靴の先で、そっと水面をつつく。
ぱしゃん、と小さな音がして、灰色の空が揺れる。
その揺れた空を見ながら、私は思う。
雨の日の私は、あまり上手に笑えない。
でも、そんな私の中にも、きっと何かが育っている。
焦らなくていい。
すぐに芽を出さなくていい。
今日はただ、降る雨を受け止める日でいい。
穀雨。
気が滅入る雨の中にも、たしかに恵みはある。
それは、明るい顔をしてやってくるものばかりではない。
少し重たくて、少し冷たくて、少し面倒で。
それでもあとから振り返ったとき、
「あの日の雨があったから」と思えるようなもの。
春の終わりに降る雨は、
次の季節へ向かうための、静かな準備なのかもしれない。
私もまた、濡れた傘をたたみながら、
まだ見えない芽を抱えて歩いている。
喜木 拝
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