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『アンパンマンのマーチ』が好きすぎる、司書の偏愛。

『アンパンマンのマーチ』を、ただの子どもの歌だと思っている人にこそ聞いてほしい。

愛くるしい笑顔の仮面をかぶって、容赦なく人生の核心を突いてくる。

私はこの歌が、好きすぎる。

子どものころから、アンパンマンは当たり前に存在していた。 テレビをつければそこにいて、キャラクターの顔はパンで、困っている誰かがいたら助けに飛んでいく。 あまりにも身近で、あまりにもやさしくて、私はその存在を、空気みたいに受け取っていた。

深く考えるより先に、口が覚えてしまっている歌。 だからたぶん、その歌の本当の重さに気づいたのは、大人になってからかもしれない。

ふとした瞬間にあの歌を聴いて、立ち止まる。
「あれ、こんな歌だったっけ」と。

もっと明るくて、もっと単純な、元気いっぱいのヒーローソングだと勝手に思い込んでいた。 けれど聴き直してみると、この歌は最初から、私たちが普段なるべく見ないようにしている問いを、まっすぐ差し出してくる。

「何のために生まれて 何をして生きるのか」

そんなこと、簡単に答えられるわけがない。 大人にだって難しい。年齢を重ねるほどに、ますます難しくなる問いかもしれない。 それなのに、この歌はそれを、子どもが口ずさめる言葉で歌ってしまう。 高い場所から教え諭すのではなく、もっと低いところ、もっとやわらかい場所から、そっと差し出してくる。

作者のやなせたかしさんは、こんなことを語っている。

「逆転しない正義というのは、ひもじい人を助けること」

この一節に出会ったとき、私はハッとした。正義ってなんだろう。 アンパンマンというヒーローは、強いから格好いいのではない。敵を倒すからヒーローなのでもない。 ただ、目の前で困っている誰かのために、自分の一部を削って差し出す。 そのあり方が、あまりにも不器用で、あまりにも切実だ。

自分を削ることは、本当はきれいごとでは済まない。
身を削れば血も流れるし、欠けた部分は元には戻らない。
かっこ悪いし、怖い。
やなせたかしさんは、こんな言葉も残している。

「人生はよろこばせごっこ」

「よろこばせごっこ」という言葉を知ったとき、私は、ああ、と思った。
勝つことや、誰かに評価されること。
華やかな「成功」よりも先に、目の前の相手の心やお腹が、ほんの少しだけ満たされること。
この歌の真ん中に流れているのは、そんな静かな祈りで。

図書館で働いていると、日々の仕事はとても地味だ。 けれど、その地味さの中に、小さな喜びがたしかにある。 探していた本が見つかった瞬間の、利用者の顔。 言葉にならない問いが、少しずつ輪郭を持っていく時間。 その一つひとつに、派手ではないけれど、指先に残る確かな手応えがある。

家に帰れば、3歳の娘がいる。
絵本を開き、同じ場面で笑い、お気に入りのページを何度も何度も往復する。 その繰り返しのなかで、私は思う。
「生きるって、こういうことかもしれない」と。
大きな答えを出すことじゃなく、目の前の誰かと、同じページをめくること。その時間を、嘘偽りなく渡し合うこと。

文章を書くことも、私にとっては少し似ている。 誰かを圧倒したいわけじゃない。読んでくれた人の心に、ほんの少し灯りが残ればいい。 ちょっとだけ息がしやすくなればいい。 それはきっと、私なりの「よろこばせごっこ」で。

『アンパンマンのマーチ』を聴くたびに、子どものころには見えなかった景色が増えていく。 この歌のやさしさは、傷ついたことのない人の無垢なやさしさではない。絶望の淵に立ち、自分を削る痛みを知り、それでもなお、微笑んで手を差し出す人のやさしさ。

だから、刺さる。 大人になってからのほうが、狂おしいほどハマる。

懐かしい歌はいくらでもある。 けれど、歳を重ねるたびに新しく意味を持ち、そのたびに自分の人生へ別の角度から光を当ててくる歌は、そんなに多くない。

子どもの歌の顔をして、こんなにもまっすぐ人生を問いかけてくる歌を、私はほかに知らない。



無職教のコミュティでも語らせていただいた偏愛。
お読みいただき、ありがとうございます💖

喜木 拝

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