読めない手紙は、いちばんの『あい』だった
「あのね、ママにおてがみ、かいたの」
そう言って、娘が一枚の紙切れを差し出してきたのは、いつもの夜のバタバタがひと段落したあとのことだった。
洗い物と洗濯物と、明日の保育園の準備。
頭の中は「やらなきゃ」でぎゅうぎゅうなのに、その紙だけは、やけにゆっくりとわたしの手のひらに落ちてきた。
広げてみると、そこには、ぐるぐる、ぐにゃぐにゃ、点と線が入り混じった世界が広がっていた。
意味のある文字は、ひとつもない。
「……わあ、すごいね。なにが書いてあるの?」
そう聞くと、娘は胸を張ってこう言った。
「ナイショなの。ママのこと、いっぱい、かいたの」
ナイショなのか。
ママのことを、いっぱい。
読めないくせに、胸の奥だけが先に読まれてしまった気がして、思わず笑ってしまった。
わたしは図書館で働いている。
毎日、本物の「文字」に囲まれている。
背表紙のタイトルを読み、請求記号を目で追い、レファレンスの質問に答えるために、せっせと本を開く。
文字は情報で、知識で、物語で。
「読める」ことは、世界をひらく鍵だと信じてきた。
だから正直に言うと、娘のぐにゃぐにゃのお絵かきも、「そのうち文字になる前段階」として眺めていたところがある。
丸が線になり、線が「〇」「△」「□」になり、やがて「ひらがな」へと育っていく――そんな「発達のプロセス」として。
でも、その夜わたしの手に乗った一枚の紙切れは、そういう説明をすべて飛び越えてきた。
ただの殴り書きにしか見えないのに、どうしてこんなに、あたたかいのだろう。
「ママ、おてがみ、ここにいれておいてね」
娘が指さしたのは、リビングの本棚のいちばん下の段だった。
絵本たちの間にそっと挟むと、彼女は満足そうにうなずいた。
「ここなら、いつでもよめるからね」
いや、それがね。
ママには、まだ読めないんだよ。
そう心の中でつぶやきながらも、「うん、いつでも読むね」と答えた。
その夜、娘はすぐに眠らなかった。
「おてがみ、ちゃんとある?」と何度も起き上がっては、わたしの顔を確かめる。
「あるよ。ママのたからものにしたよ」
そう言うと、ようやく安心したように目を閉じた。
きっとあの紙は、彼女なりの「だいすき」の証拠なのだろう。
まだ「ママ、だいすき」と字で書くことはできないけれど、心の中に溢れてしまった気持ちを、「線」に変えて、紙にうつしたのだ。
読めない手紙には、読める言葉よりも、ずっとたくさんの「あい」が詰まっていた。
思えば、わたしは長いこと、「言葉にならないもの」に不器用だった。
しんどいときも、「大丈夫です」と笑ってやり過ごして。
泣きたい夜ほど、誰にも頼れなくてひとりで耐えて。
産後、眠れない夜が続いたときもそうだった。
「母親なんだから」「ちゃんと育てなきゃ」と、自分を追い詰める言葉ばかりを握りしめていた。
娘が夜泣きで大騒ぎした日、つい声を荒らげてしまったことがある。
「もう泣かないで」「ママも疲れてるの!」
言ってから、あ、と息が詰まった。
彼女の大きな瞳に浮かんだ涙と、ひゅうっと細くなる呼吸。
しぼむ風船みたいに、娘の顔から一気に表情が消えていく。
そのあと、彼女が眠った横で、わたしは静かに泣いた。
ごめんね、と声に出しても、誰にも届かない「ごめんね」だった。
あのとき、わたしは自分の「あい」に、自信をなくしていた。
ちゃんと愛せているのか分からなくなって、
愛していると言葉にする勇気もなくて、
ただ、目の前の小さな命を抱きしめるしかなかった。
わたしがどんなに不器用でも、
失敗ばかりの母親でも、
彼女の中にはちゃんと「あい」が育っている。
わたしが与えたつもりでいたものを、
いつの間にか彼女から、返してもらっている。
「ねえ、このぐるぐるは、なに?」
そう尋ねると、娘は少し考えてから答えた。
「ここはね、ママとぎゅーってしてるとこ」
「ここの点々は?」
「ママが、おはな、なでてくれたとこ」
たぶん、あとから作った物語も混ざっている。
それでもいい。
意味は、あとからいくらでも書き足せる。
けれど、その紙をわたしに渡すときの、ほんの一瞬の照れくさそうな表情だけは、やり直しのきかない「本番」だった。
翌朝、娘は保育園の行きしなに、ふとこう言った。
「ママ、おてがみ、よんだ?」
「うん。ママ、いっぱい、しあわせになったよ」
そう答えると、娘はにこっと笑った。
読めない手紙を、読んだことにしてしまうのは、嘘かもしれない。
でもあの瞬間、わたしにはたしかに読めたのだ。
ぐるぐるの線のむこうにある、
「ママ、みててね」
「ママ、だいすきだよ」
そんな気持ちが、全部まとめて。
文字にしなくても、
声にしなくても、
たしかにそこに在るもの。
それを、わたしたちはきっと「愛」と呼ぶ。
あの紙切れは、いまも本棚のいちばん下の段に、絵本たちとならんで眠っている。
ときどき取り出して眺めるたび、胸の奥でなにかが静かにほどけていく。
いつか娘が本当の文字を覚えて、
「ママへ」と書いた手紙をくれる日が来るかもしれない。
そのとき、わたしはきっと言うだろう。
「ねえ、知ってる?
ママね、娘ちゃんの初めての手紙を、大事にしてるんだよ」
読めない手紙は、
わたしにとって、いちばんまっすぐな『あい』だった。
喜木 拝

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