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毛布と水遊びのあいだに、夏が立つ。

暑い日があったかと思えば、急に空気が冷たくなる。
半袖で出かけた日には汗ばむのに、翌朝には上着を探している。
季節は、いつだって少しだけ、こちらの準備を待ってくれない。

それでも暦のうえでは、もう夏なのだという。

「立夏」。

二十四節気のひとつで、春分や夏至、秋分や冬至のように、一年を二十四に分けた季節の目印。
立夏は、その名のとおり「夏が立つ」ころ。
夏が、はじまる。
まだ本格的な暑さではないけれど、光の強さや風の匂い、木々の緑の濃さの中に、夏の気配が少しずつ立ち上がってくる時期。

でも、現実の季節はそんなにきれいに線を引けない。

朝は寒い。
昼は暑い。
夕方になると、また少し肌寒い。
洗濯物はよく乾くのに、夜には毛布が恋しくなる。

わが家の3歳の娘も、季節の境目を全身で生きている。

暑い日には、すぐに水に入りたがる。
公園の水道を見つければ、目がきらんと光る。
「おみず、はいりたい」
まだ五月だよ、と言いかけて、でも暦のうえでは夏なんだよな、と思い直す。

そのくせ、少し冷えた夜には、押し入れから毛布を引っぱり出してくる。
「さむい」
そう言って、からだを丸める。
昼間は夏みたいに水を求めていた小さな人が、夜には冬の名残みたいに毛布にくるまっている。

その姿を見ていると、季節というものは、カレンダーの上だけで進むものではないのだと思う。

肌で感じるもの。
鼻先をかすめる風で気づくもの。
子どもの「暑い」と「寒い」のあいだに、ふいに現れるもの。

大人になると、季節を予定で受け止めるようになる。
衣替えをしなきゃ。
日焼け止めを買わなきゃ。
そろそろエアコンの掃除をしなきゃ。
冷たい飲みものを用意しなきゃ。

でも娘は、もっと単純で、もっと正直だ。

暑ければ、水に入りたい。
寒ければ、毛布がほしい。
そのまっすぐさに、わたしはいつも少しだけ救われる。

季節の変わり目に、心や体がついていかない日がある。
昨日まで平気だったことが、今日は少ししんどい。
薄着で出たことを後悔したり、冬物をしまいきれない自分に、なんとなく落ち着かなさを覚えたりする。

でも、立夏という言葉を思うと、少しだけ気持ちがゆるむ。

夏が「来た」のではなく、夏が「立つ」。
それは、いきなり始まるというより、そっと姿勢を正すような響きがある。
まだ迷いながら。
まだ春の名残をまといながら。
それでも、季節は次の場所へ向かって立ち上がっている。

わたしたちも、きっと同じなのかもしれない。

完全に準備ができてから次へ進むわけではない。
寒さを残したまま、夏へ向かう。
不安を抱えたまま、新しい生活へ入っていく。
昨日の疲れを引きずったまま、今日の朝を迎える。

それでも、季節はめぐる。
そして、わたしたちの暮らしも、その中で少しずつ形を変えていく。

昼間、水に入りたがった娘が、夜には毛布にくるまって眠っている。
その寝顔のそばで、わたしは思う。

夏は、まだ完全には来ていない。
けれど、たしかに立ち上がっている。

窓の外の緑が、昨日より少し濃く見える。
夕方の光が、少しだけ長く部屋に残る。
娘の半袖の腕が、まぶしく見える日が増えていく。

季節の境目は、どうしたって落ち着かない。
でも、その揺らぎこそが、いましかない季節の証なのだと思う。

冷たい毛布の肌触りと、キラキラ跳ねる水しぶき。
その矛盾したふたつのあいだを、娘の手を引いて歩いていく。

3歳の小さな「暑い」と「寒い」に揺られながら、今年もまた、夏が立つ。

喜木 拝

#私の二十四節気

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