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勝てなくても、出した言葉は消えない

コンテストと聞くと、少しだけ身構える。
選ばれる人と、選ばれない人がいる。

noteの街が「創作大賞」の熱気に包まれいく。タイムラインに並ぶハッシュタグを見て、マクドナルドのポテトを齧りながら、心の中で白目を剥いた。

「……え、みんな筆、早すぎない?」

どれだけ「楽しんで参加すればいい」と言われても、私は結果を気にしてしまう。書くことが好きなのに、コンテストの前では急に自信がなくなる。

この文章でいいのだろうか。
もっと上手い人がいるのではないか。
こんなことを書いて、笑われないだろうか。

悩み出すと、なぜか急にマイページの設定画面を開き、プロフィールをいじり始める。「少しでも強そうな書き手に見せたい」という邪念が芽生え、『言葉を紡ぐ司書』を『言霊を操る魔術師(見習い)』に書き換えようとして、「いや、ただの司書だし!」とセルフツッコミを入れて戻す。

応募ボタンを押す直前の私は、世界で一番不審な動きをしている自信がある。

けれども私は、コンテストに惹かれてしまう。
勝ち負けのためだけではない。
締切があること。お題があること。それだけで、書けることがある。
普段なら胸の中で温めたまま終わる言葉も、「今の自分で出してみよう」と思えて。完璧じゃなくても、外へ出す勇気をもらえる。

現実的に書けるのは、寝かしつけが終わった22時。娘の寝息をBGMに、ようやくパソコンを開く。……はずが、気づけば動画サイトで「効率的な収納術」や「美味しい蒸しパンの作り方」を眺めていて。
「あぁ、逃避したい」。
そんな自分と「書きたい」自分が、脳内で泥仕合を繰り広げる。

締切の鐘が鳴って、正気に戻り、生活のすきまから必死に時間をかき集める。眠たい夜に紅茶の香りで意識を繋ぎ、言葉を紡ぐ。
「これが今の私です」と、震える指で世界へ差し出した事実は、結果よりも長く自分に残る。

何度、自分の名がない画面をスクロールしてきただろう。
それでも、出した文章まで嫌いになることはなかった。あのとき確かに、私は迷って書いた。その事実は、筋肉痛のような心地よい重みとなって私を支えてくれる。

選ばれるかは自分では決められないが、書くかどうかは自分で決められる。創作大賞に、少し震えながら書こうとする自分を見つける。
怖がりなくせに、書くことを諦めきれない自分を知る。

震える指で「ポチッ」と応募ボタンを押してみよう。
マックのポテトの塩気を、指先に少しだけ残したままで。


(1000字)

#チャレがや

こちらの企画に応募します。
みくさん、コッシ―さん、よろしくお願いいたします。
コンテスト、なんだかんだ好きです。
昼休憩にマクドナルドを食べながら。
お読みいただき、ありがとうございます💖

喜木 拝

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