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映画『国宝』を観て得た体感(体感なのでネタバレなし笑)

話題の映画「国宝」を観てきた。

私ごときがどんな言葉を連ねても、薄っぺらくなりそうで怖気が付く…そう思ってしまうような映画だった。

と言いながらも、身体の深層に残る微細な波が消えないうちに、この感覚だけは書き残しておきたいという、衝動。


今朝、のんびりと朝寝坊したままベッドの上でスマホを触っていた私。
ふと、「今日「国宝」を観に行こう」と閃いた。
しかも、今すぐに。

1日に何度も上映されているし、スケジュール的にどの回でも行ける。
それでも「今すぐ」。そんな直感。

普段の私なら、そこから身支度やいつもの朝のルーティンを済ませ、余裕をもって午後の回に行っただろう。
「今すぐはムリ」と自分に反論しながらも、ベッドの上で近所の映画館を調べてみた。

朝一の上映はすでにだいぶ席は埋まっている。
けれど、最後列の真ん中が1席ポツンと白色に抜けていた。
ぴったり今から1時間後に上映開始。

「今すぐはムリ」と思っていたのが、1時間後ちゃんと私はその席に座っていた。


3時間の上映の間、「芸」というもの、「生」というもの、「熱」というものをずっと突きつけられた気がした。

観終えた後、大きく揺り動かされた感じはしない。
けれども、確実に内奥に染み渡り、気づかぬうちに軽い火傷を負ったようなヒリヒリした感覚が残る。

作品自体からは言うまでもないんだけど、作品を形づくるピースである各演者や制作者個人からも「芸」「生」「熱」が波紋のように伝わってくる。

分かりやすく目に飛び込んでくる”役者”を例にとってみると、その”役”が発する波だけでなく、演じている”役者”自体から放たれる波の動き。
イケメン過ぎる二人にしても、見惚れてしまう美しさを超えてその奥から出ているものに深く魅了された。

加えて、映像美と音。
特に音は、舞台を踏む音、衣装が揺れる音、息づかい…
”臨場感”という言葉では追いつかない。
物理的な臨場感というより、心理的な臨場感ともいうんだろうか。
すっと目を伏せるシーンさえ、睫毛が微かに音を立てたんじゃないかと錯覚する。

この映画、私にとっては「感じとる作品」だった。

帰り道、ずっと渦巻いていたのは、「どうなったらあんな表現ができるんだろう…」という自分には途方もなく感じる、感嘆。
私は言語化するのも、し切れない。

まだ残る身体の奥の方にあるヒリヒリ感。

いったい私に何をもたらしたんだろう。


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