どうしても変えられなかった「物事の捉え方」から、自由になるまで㉘|「苦しまない方法」を探すこと自体が、かえって「苦」になる
こんにちは、野村りなです。
苦しいと感じるとき、かつての私はいつも「どうすればこの状態を抜けられるか」を考えてきました。
「早く立て直す方法はないか」
「もっと効果的な思考法はないか」
「感情を軽くする技術はないか」
その姿勢は、前向きで建設的にも見えます。実際、解決志向は仕事の場面では大切な力でもあります。
けれど、あるとき気づきました。「苦しまない方法」を探しているあいだ、私はずっと「苦しみ」を握り続けているのだと。
どうにかしなければならない対象として、苦を中心に置き続ける。すると、解決のための思考が、結果的に苦を延命させてしまうことがあります。
落ち込んでいることが問題になり、その問題を解決できていない自分が、さらに問題になる。
「まだ抜けられていない」という評価が、次の焦りを生みます。出口を探すほど、「いまここは間違っている」という前提が強まっていく。
仏教の「一切皆苦」という言葉は、苦をなくす技術の提示というよりも、苦があるという前提を受け入れる視点のほうに重心があるように思います。
苦しみをなくそうとする努力そのものが、すでに苦の構造の中に含まれている。
もしそうだとしたら、「どうすれば苦しまないか」という問いの立て方自体を、いったん静かに眺めてみる余地があるのかもしれません。
苦があることを、すぐに修正すべきものとせず、そのまま置いておく。解決に向かう前に、いま起きていることを否定しない。
それは、何もしないことではなく、「いまが誤りだ」という前提を少し緩めることなのだと思います。
よろしければ、みなさんの「早く抜け出そうとして、かえって苦しくなった経験」を、コメントで教えてくださいね。
マガジンのご紹介
この文章は、マガジン「どうしても変えられなかった『物事の捉え方』から、自由になるまで」の一篇です。
各回800字ほどの読み切りで、日常や仕事の中で生まれる感情や違和感を入口に、しがみついていた前提が少し外れる視点を、静かに言葉にしています。
