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新マガジン「どうしても変えられなかった『物事の捉え方』から、自由になるまで」の紹介

こんにちは、野村りなです。

今日から新マガジン「どうしても変えられなかった『物事の捉え方』から、自由になるまで」を書き始めたいと思います。各回読み切りなので、どこから読んでいただいても大丈夫な構成です。

今日は、なぜこのマガジンを書こうと思ったのか、どんなことを書きたいのかについて、お話ししたいと思います。

かつての私の話です。別の捉え方があることは、頭ではわかっていました。心理学や理論を学び、「そういう見方もできる」と説明することもできました。それでも、実際に何かが起きた瞬間、私はいつも同じ捉え方に戻ってしまっていました。

たとえば、仕事の場で少しぞんざいに扱われたと感じたとき。怒りや落ち込みが湧き、

「ちゃんと考えているのは自分だけなのではないか」
「これを気にしない人は、何も考えていないのではないか」

そんなふうに思っていました。

別の見方があることは理解している。けれど、それを採用してしまうと、自分が感じた違和感や苦しさまで軽く扱ってしまうような気がして、どうしても手放せなかったのです。

そんな私にとって、大きな転機になったのが、

「捉え方を変えなくてもいい」
「そもそも、その捉え方に執着する必要がない」

という視点でした。

この視点の前提にある考え方は、仏教では「四法印(しほういん)」と呼ばれるものです。ただし、これは考え方を矯正するための教えではありません。世界や自分を、どう見ているか。その前提そのものを、少し緩めてくれるものです。

このシリーズでは、仏教を解説することを目的にしていません。日常や仕事の中で生まれる、ささやかな感情や違和感を入口に、ときどき四法印をはじめとする仏教的な視点に触れながら、私自身の経験をベースに、

「どうしてあんなに苦しかったのか」
「なぜ少し楽になれたのか」

を、静かに言葉にしていきます。

各回は800字ほどの読み切りです。前向きになることも、正しい捉え方を身につけることも目指しません。ただ、しがみついていた前提が、少しだけ外れる。

その感覚を、必要な方にそっと手渡せたらと思っています。

マガジンのご紹介


この文章は、マガジン「どうしても変えられなかった『物事の捉え方』から、自由になるまで」の一篇です。

各回800字ほどの読み切りで、日常や仕事の中で生まれる感情や違和感を入口に、しがみついていた前提が少し外れる視点を、静かに言葉にしています。


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