ユーチューバー・バーバと幽霊と。
喪服に身を包んだ ”ばぁば” が、小走りでこちらに向かってくる。
幼稚園の制服を着たふたりの子どもたちは、まるで正反対の反応を見せた。
6歳の娘は「ばぁば!」と駆け寄り、飛びついた。
一方、3歳の息子は、車を降りる前につけさせたプラレールのマスクを剥ぎ取り、ぽかんと口を開けたまま、その場に凍りついたように立ち尽くしていた。
視線はまっすぐにばぁばに向けられているが、どこかゆらいでもいる。
わたしや夫が手を引いても、息子はかたくなにその場から動こうとしない。
現実に頭が追いついていない感じが、ひしひしと伝わってきた。
「あら~。わがんねが?」
ばぁばが、マスクをそっとずらす。
「ばぁばだよ~。おかえり~!」
あっ。口がちいさくひらいた。声にならない声がもれた。
息子の予感が、確信に変わる。おずおずと踏み出した。けれどもその顔には、まだたくさんの「?」が浮かんでいた。
スマホ画面のなかにしか存在しない。──そう思っていた人物が、なんの前ぶれもなく目の前にあらわれたのだ。
息子にとっての”ばぁば”とは「会話ができるユーチューバー・"バーバ"」だったのだ。
虫の知らせというのだろうか。
その日はどうしてもねむれなくて、気づくと明け方になっていた。
ふとんの中でごろごろ悶えていると、ふいに、向こうの窓がまっ白に輝きはじめた。
寝室のすぐとなりには、わたしの書斎がある。2畳くらいの空間で、子どもがねむったあとでも仕事ができるようにつくってもらった小部屋だ。

そこが、外から強い光で照らされたみたいに明るくなった。床にぽつんと落ちた光がどんどん強くなっていく。
わたしたちが寝ている部屋はまっ暗なのに、書斎だけが別な世界みたいな──昼間のような明るさになった。
「なに……?」
こわくなって、すぐ横で寝息を立てている息子の手をにぎった。
息子は「んー」と不快そうにつぶやくと、手を振り払い、こちらに背を向けてしまった。
荒い呼吸をしながらぎゅっと目をつむる。
どれくらい時間が経っただろう。
おそるおそる薄目を開けると、何事もなかったかのように部屋は暗くなっていた。
ふとんから出るのもためらわれ、つま先までしっかり隠れるようにふとんをかぶり直す。鼓動がいやな感じに波打っていた。
北窓の向こうが少しずつ淡い青色に変わってくる。ほっとしてわたしはねむりに落ちていった。目覚まし時計は、午前5時をさしていた。

「なんかさー、夜明け前に、外が明るくてこわかったんだよね。なんだったんだろう。ニュースとか調べたんだけどなにも見当たらなくてさ」
朝、子どもたちを送ったあと、夫に話す。
夫はゲームをしながら適当に聞き流した。むう、とふくれてスマホに目を落とし、ふとLINEの通知があることに気づく。──母だ。
「午前5時ごろ、ばっちゃが亡くなりました」
家族のグループLINEには、たったそれだけが書かれていた。
翌朝、わたしたちは飛行機に乗っていた。
羽田で2時間の待ち時間があり、青森空港に着いたのは夕方だった。
コロナは少しずつ落ち着いていたものの、旅行をためらう空気はまだ残っている。そんな秋だった。
地元から遠く離れた四国に引っ越したこともあり、実家にはずっと帰れていない。前回の帰省は、息子が生まれた直後──3年前のこと。
まだ、雪が降る時期ではない。
それでも朝までいた香川と比べてひどく硬質な、肌を刺すような空気に戸惑いながら、夫の運転するレンタカーで青森空港をあとにした。
山に囲まれた道を弘前方面に進んでいく。
長旅で疲れた子どもたちは、くったりとチャイルドシートに沈み込むようにぼうっとしていた。
「ママ見て。白い木がある!」
娘がばっと窓に貼りつき、山の斜面を指さした。
白樺だ。幹まで白くてうつくしい木。
家を建てるときシンボルツリーにしたかったのだけれど、四国では育ちにくいと諦めた木だ。
視線を反対に映す。
はじめに頭のなかに浮かんだのは「あ、帰ってきたんだ」という言葉だった。
斜面を飾るように茂り、しゃらしゃらと風に揺れるすすきを見たとき、涙が出そうになったのだ。
急に幼い子どもにもどったみたいに不安になった。
そもそもあの植物がすすきなのかはわからない。
でも、子どものころからすすきだと思って見てきた草が、四国では見当たらなかったのだ。
似ている植物はある。むしろそれこそが本当のすすきなのかもしれない。
けれども、穂の感じが、わたしが知っているものとはどこか違うのだ。すすきにも品種があるのだろうか。
わたしの秋の原風景といえば、”この” すすきたちが、夕日に照らされて橙色にきらめく空き地や河原だった。
それを帰ってきてはじめて実感させられた。

ばぁばがユーチューバーではないと実感した息子は、おそるおそる差し出された手をにぎった。
ばぁばの、色素の薄い琥珀色の目がやさしげに息子を覗き込んでいる。
火葬場に着くと、会ったことのない、わたしにとっては遠い母方の親戚も集まっていた。ずっと「おかあさん」だった母が、少女のようにしゃべっているのを見てふしぎなきもちになる。
親戚が子どもたちに話しかけるが、東京生まれで四国育ちの子どもたちは、わたしでもあやふやなくらい訛りのきつい言葉に気圧されていた。
ふたりとも、あいまいに笑いながら居心地悪そうにしていた。
青森では、葬儀の前に火葬を済ませることが多い。
だから、夫の親族が亡くなったとき、知っている風習とはちがい、生前の姿のままみんなでお別れをすることに驚いたのを覚えている。
今度は四国生まれの夫が驚く番だった。
火葬場での待ち時間に従弟と話す。
幼いころはよく遊んでいたが、前に会ったのは10年以上前──祖父の葬儀だった。
話しているうちに昔、ふと伯父家族と祖母とわたしの7人だけで旅行をしたことを思い出した。フェリーに乗って北海道に行き、伯父の運転する車で、北海道をあちこち回った夏休みがあった。
わたしと祖母が同室になり、生まれてはじめてのユニットバスがなんだか面くて、6歳だったわたしはきゃらきゃら笑った記憶が残っている。
それ以降も、夏休みの思い出は、たいてい祖母とともにある。
毎年、ひとりで祖父母の家に泊まっていたのだ。
そこは、ずっと遠くまで田んぼに囲まれており、歩きではどこへもゆけない静かで小さな町だ。
50メートル走ができそうなくらい広い敷地に、曾祖母のつくった花畑と祖父の趣味の日本庭園、古い本がたくさん積まれた納屋がある。そしてその裏には祖母の小さな畑があった。
朝の打ち水からはじまる生活が新鮮だったのを覚えている。
祖父と将棋をさしたり、川柳はたのしいぞとノートを1冊渡されて、それを持って庭じゅう移動して、トリケラトプスみたいな形の岩の上にあぐらをかいて、短い言葉の組み合わせをたのしむ。
祖母の畑には、そのころ、茄子とピーマンときゅうりが植わっており、収穫を手伝った年もあった。つやつやしたもぎたての茄子は、縦半分に切って、切り込みを入れ、あいだに甘い味噌だれを詰めて焼いた料理になる。
「かへ(食べな)」
あれが特別好きで、おかわりをいくつもねだるわたしに「からだ冷やすはんで、おなごがたくさん食べればまいねよ」とむずかしい顔をしていたっけ──。
話しながらきっと目が赤くなっていったのだろう。
「りっちゃん、ばっちゃと仲良かったもんね」
従弟が悲しそうにわらった瞬間、わたしの目からは、急にスイッチが入ったみたいに涙がぼろぼろとこぼれ出した。慌てて身体の向きを変える。夫と手をつないでいる子どもたちからは見えないように、背を向けた。
祖母が亡くなってから泣いたのは、それがはじめてだった。
ずっと会えていなかったから、実感がどうしても湧かなかった。まるでテレビの中の”死”を覗いているだけのような非現実的な雰囲気があった。
祖母と最後に会ったのは6年前。
娘が生まれて数ヵ月ほど経ったころだった。

椅子に腰かけた祖母が娘を抱いた。
大きく生まれた娘は重たそうで、母が支えるように手を添え、わたしも横に並んで写真を撮った。
実家に飾られた当時の写真を見ると、時の流れを感じた。
娘は、レースのついたベビー服に身を包んでいる。
明るい茶色の髪の毛が、ふわふわと産毛のように生えているだけの頭に、ふっくらしたほっぺた。
「ばぁば1年目」だった母はなんだか若々しく見えた。髪の毛をぱつっと直線的なボブカットにし、大きな幾何学模様のシャツを着ている。
わたしはグレーのパフスリーブのカットソーを着て、淡い水色のスカートを履いていた。
くすんだ紫のビオラの花がプリントされているお気に入り。小柄なわたしには丈が長すぎて、妊娠中に母がミモレ丈になるように裾上げしてくれたものだ。
祖母はわたしが物心ついたころからずっと、強めのパーマを当てたショートカットの髪の毛を黒染めしていた。けれども久々に会ったそのとき、グレイヘアになっており、なんだかちいさく見えた。
「女4世代だねえ」
父がシャッターを切るとき、母が上機嫌で言った。

祖母は、腕のなかの娘をふしぎそうな顔で眺めていた。
「りっちゃんと似てないねえ」
切れ長の目に、どちらかというと大人びた雰囲気。
たしかに娘はわたし似じゃない。
でも、わたしと母も似ていなければ、母と祖母も似ていない。
同じ血が流れているはずなのに、4世代の女たちは、それぞれが父親似で、まったくべつの顔をしているのだった。

結局あれが、祖母に会った最後の日になってしまった。
ユーチューバーだと思っていたばぁばに、3歳の息子はすぐになじんだ。
通夜やら葬式やらといったことはなにもわからず、まだぶかぶかの、通いはじめたばかりの幼稚園の制服を着て、ばぁばの膝に乗っていた。
息子はわたしにそっくりだとよく言われる。
だれもが息子を見ると「りっちゃんにそっくりだねえ」と、記憶の底にあるのだろう幼い日々のわたしを重ねるような目をして言った。
マスク越しでわからないけれど、きっとみんな、笑っていた。
初孫が生まれてから一度も会えていないという伯母は、息子に「抱っこしていい?」と聞いた。息子はちょっと緊張した顔で「いいよ」と答えた。
娘の好物がシャインマスカットだと知ると、あんなにも高価なものなのに、たっぷり買ってきてくれた。
「おかあさんとばっちゃって、似てないと思うんだけど」
母が言った。母は純日本人だが、色素が薄くてはっきりした顔立ちをしており、ハーフに間違えられることがある。
「でもさ。年取ってから、あ、ばっちゃに似てるなって思うことあるんだよ」
「前から似てる気がするけど」
「えー、やめで」
母が笑う。
「そういえば、じっちゃのお葬式のとき、ばっちゃが言ってたんだよね。わたしはばっちゃに似てるって」
「顔が? 似てないべさ」
「性格。おかあさんはしっかりしてる、ばっちゃはいつもおかあさんにお世話されてたってさ。わたしもそうだって言われたよ。ばっちゃといっしょで子どもみたいだってさ」
祖父の葬儀のとき、母は祖母が喪服を着るのを手伝っていた。
背中のジッパーを閉めてあげる横顔を見ていたら、どちらが母親なのかわからないようなシーンだったから、よく印象に残っていた。
「じゃあ、あんたもお世話されるんじゃないの」
母はそう言って、娘の大人びた横顔を見つめた。
「聞いて。きのう、ばっちゃが来たの」
そう言ったのは、だれだっただろう。
「うちも」
「……うちにも」
みんながそんなふうに打ち明けていく。
「もう、なんだの~。こわがらせてきてさ」
聞いてみると、祖母の姿が見えたとか、そういうはなしではなかった。けれどもみんな不思議なことが起こったのだという。
オカルトは読みものとしてだけたのしんでいるわたしは、普段ならきっと「こじつけだ」と思っただろう。
でも、他人事だと思えなかった。
だって、わたしの身にもふしぎなことは起こっていた。祖母が亡くなったくらいの時刻に見た、あの、──まっ白な光。
「ばっちゃ、さみしいんでない?」
「でも大往生だっきゃ。96だよ」
「ねむるように亡くなったって。あたしもそういうふうに死にたい」
「苦しまないのがいっきゃ」
「んだってぇ」
葬儀の前日、午後にすこし時間ができた。
手伝うつもりで帰省したのだが、集まった親族のなかで、子どもがいるのはうちだけ。
大人ばかりのところにいたらつまらないだろうと、少し外の空気を吸ってくるように言われたのだった。
遊び場に行く気にはなれず、4人でぼんやりと公園を歩いていた。進むたびに、落ち葉や枯れ枝を踏みしめる乾いた音だけが響いていた。
「まま! ふくろ!」
息子は収集癖があって、落ち葉や木の実を拾うのが好きだ。
わたしは、コンビニで飲みものを買ったときの袋を息子に渡し、ペットボトルを手に持った。
あちこちに落ちているまつぼっくりを、ビニール袋にどんどん詰めていく。目がきらきら輝いている。大人たちの憂鬱や寂しさは、子どもには関係ない。自分もそうだったと思い返す。
夕暮れの金色の光が、息子のちょっと長めの髪の毛を縁取っていた。
「まつぼっくり!」
息子が声を上げた。袋はぱんぱんになっていた。
「こんなにいらないんじゃない? 持って帰れないよ。飛行機だもん」
夫とわたしがそう言うと、息子はにこにこして「ばぁばにあげるの!」と言った。

ビニール袋いっぱいの枯れ葉とまつぼっくりをもらった”ばぁば”は、すこし困ったようにわらっていた。
そのころには、息子の中でのばぁばは、もうユーチューバー・バーバではなくなっていた。
生身で等身大の「ばぁば」に変わっていた。
最後の夜、台所に立ちながら、母と話をしていた。
「手ぎわよくなったじゃない」
母が感心したように言う。
「もう何年自炊してると思ってるの。でも、それでもおかあさんみたいにうまくつくれないけどね。……ばっちゃの茄子、おいしかったな」
「あれねえ。ひいばあちゃんのころからある料理なんだって。百年以上前からだよ。みんな味つけがちょっとずつちがうんだよ。ばっちゃのは一味ふって、ピリ辛だった。ひいばあちゃんのは甘いの」
油をたっぷり吸って、蒸し焼きにした茄子は、元の大きさからは想像できないくらい、薄くくたくたになる。茶色くって映えるおかずではないけれど最高においしいあれを、わたしはうまく再現できない。
「ほかにも、たくさんあったの。おもしろい料理。おかあさん、そういうの聞いたりしようと思わなかったからさ。──もう、つくれないんだよ」
火葬のときも葬儀のときも、母が泣いている様子は見られなかった。けれども語尾がほんの少し、滲んだ気がした。

そのとき、祖父母の家で過ごした夏の、夕方の食卓に頭の中で還っていた。
窓から差し込む西日が、赤い金魚のもようがついたグラスの中の麦茶を照らしていて。透き通った茶色の中に光が躍っていた。
食卓に並ぶのは、豆腐とわかめの味噌汁と、つやつやのごはんと、なすの味噌焼きと、漬物がいろいろ。砂糖がかかったトマト……は好きじゃなかった。
まだ子どもで、ただ守られていたあの時代に、ほんのひとときでいいから還りたいとそう思ってしまった。
翌朝、わたしたちは朝早くに実家を出た。
長旅がはじまる。やっと家に帰るのだ。
最後に家の前で家族写真を撮った。
四国から青森は遠すぎる。あと何度実家に帰ってこられるのか──本当は、考えたくない。
祖母のように何年も会えないまま、急な別れになる可能性は十分あった。
飛行機が離陸する瞬間、娘が泣き出した。
「ばぁばのおうちに帰りたい」
わたしはそっと、娘の肩を抱いた。
しばらく、しくしく泣いていたけれど、羽田でラーメンをたべているうちに落ち着いてきて「早く家に帰りたい」と笑顔がみえてきた。

昨年、母がわたしを生んだ年齢に追いついた。
鏡のなかや写真にふと母の面影を見るようになった。
ずっと「父のコピー」だと言われて育ったのに、不意に、笑った口元や横顔が母と重なる瞬間がある。
色素が薄いわけでも、鼻が高いわけでもない。それなのに、なにかが似ている気がするのだ。
娘もいつか、わたしに似ていくのだろうか。
その答えがわかるころ、きっとわたしは泣くのだろう。
床に落ちたおもちゃを踏んでころんだ痛み。
狭いところを走り回ったり、ソファから跳ぶ息子。
「宿題早くして!」と怒鳴るわたしの声を聞き流してソファで本を読む娘……。
危ない。
けがするよ。
やらないと自分が困るんだよ。
そんな思いで、毎日、毎瞬、がみがみ言わずにはいられない。
そうしてぐったり疲れてしまう。
でも、きっといつか、”今の家”に還りたくなる日がくる。──とてつもなくめんどうで愛おしい喧騒のなかに。
もっと抱きしめてあげればよかった。
いっしょに遊んであげればよかった。
……後悔はいくらでも予想できる。
そんな未来を確信しながらも、やっぱり、きょうもがみがみ怒ってしまう。
でも、せめて、昨日よりも今日、1%でもやさしい時間を過ごせるように自分に言い聞かせている。
子どもたちもこの瞬間に帰りたいと思えるように。


コピーして渡せるように記録しておいた。

折り紙や手紙をもらう
忙しさを理由に返せていない

戻ってきたときの惨状。爆発する6秒前。

これが散らかる原因なので、
遊べるように考えた。

ほっとする。

つくりたい。
いいなと思ったら応援しよう!
最後までお読みいただき、ありがとうございます♡