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十五年越しのエンジン音


屋根にぼつぼつ落ちてくる雨の音。
灯りがまだついていない体育館。外の曇り空のせいで夕方にもなっていないのに薄暗い。

ふざけている後輩を見て笑っていたら、とつぜん校内放送がかかった。

私の、名前。

「何やらかしたんすか」と見送られながら職員室へ向かう。

告げられたのは、祖父が事故にあったからすぐもどるようにということだった。


私は身内をふたり、知人をひとり、交通事故で亡くしている。

あの日から、一生運転しないと決めていた。

けれども、地方住まいの母親にそんな選択肢は許されない。


ー❅ー


先日──。

ようやく決意して、ペーパードライバー向けの講習を受けてきた。
4時間受けてもひとりで乗る覚悟はまだ持てないけれど、ひとりじゃなければぜんぜん乗れるようにはなった。すこしずつ練習を重ねてゆくための、とりあえずの第一歩を踏み出せたという感じはある。


間接的なきっかけは、香川ファイブアローズとの出会いだった。

かつての私はスポーツ観戦そのものがきらいだった。
憎んですらいた。
強引に誘われたらなんとしてでも逃れていた。

それなのに、今は平日夜でもふらふらになりながら、電車やバスを乗り継いでまで応援に出かけていた。考えられない。

べつな人間として生まれ変わったみたいに。

そうやって中に飛び込んでみると、ふしぎに思う。

どうしてあんなにもむりだったのだろう?

単なる好き嫌いとかそういうのではなく、もやもやとした形のない感情がある気がした。
紐解いてゆくと、さまざまなトラウマが原因で「スポーツ観戦が」きらいだと錯覚していたことに気がついたのだった。


ー❅ー


子どもたちがふたりとも小学生になったら、せめて緊急時の学校の送り迎えだけはできるようになろう。自分のなかで、そう、期限を決めていた。
先延ばしにしてきた。

でも、4月になっても、すぐに動けずにいた。

どうしてこんなにも運転することに抵抗があるのだろう。

祖父の死だけじゃなくって、スポーツ観戦のときと同じように、もしかして、さまざまな原因が複雑に絡み合っているのでは?

そう思った。


ー❅ー



"運転しない母親”である私の話は、暗くて重い。

だれかに相談することなんてできず、AIに壁打ちを手伝ってもらうことにした。

予想は当たっていた。
私は単に「自分の判断ミスで事故を起こすことが怖い」のだと思っていた。でも、対話を進めていくうちにそれだけじゃないことがわかった。

大きく分けただけでも7つもの理由が複雑に絡み合っていたのだ。


▼AIが私との対話から分析した7つの理由

1.事故によって、大切な人を失った記憶が免許更新の映像で増幅された
2.はじめての公道が怖かった記憶から「混乱して動けなくなるかもしれない」という事故への恐怖
3.教官に怒られながら免許を取った苦い記憶
4.「母親なら運転して当然」という周囲からのプレッシャー
5.自分で選んでいない人生を歩かされるような反発心
6.家族の中で自分だけが変わらなければならないような不公平感
7.「行かなければならない場所」しかなかったこと


そして面白かったのが、ずっとトラウマしかなかった私のなかに「やってみたいこと」があるのをAIが発掘してくれたことだ。


たとえば、家族のためにしたいこと。

たとえばこの間秘境に行ったようなプチ遠出。そういうときの運転はぜんぶ夫だから、代わってあげたいという気持ち。
家族がしんどいときに自分で病院に連れていきたいという気持ち。


それから、意外なことに自分のためにしてみたいこともあった。

自分でもお金を出して買ったのに一度も運転したことのない愛車を運転してみたいというきもち。
夫から子どもが眠ったあとにジムや温泉、映画などに行ってみるのはどうかと提案されたけど、自力では行けなくって、行けたら素敵だなという気持ち。


それでも私は二の足を踏んでいた。


そんなある日、夜中に夫に起こされた。
腹が痛くてねむれないから痛み止めを探してほしい。そう言ってずっと苦しんでいた。

急に不安になった。病院に連れて行ったほうがいいだろうか。
でも、救急性があるわけでもない。
どうやって。

以前、夫が高熱で動けなくなったときは、オンライン診療で薬を出してもらって、自転車で往復2、3時間かけて夜中でも空いているところまで取りに行ったことがよみがえる。
東の空がうっすらと白んでいた。明け方だった。だれにも助けを求められないし、そんな資格もない。


結局、夫は夕飯を食べすぎて胃もたれしただけだった。
拍子抜けして、ほっとして、それからこれからのことを考えた。


そう思って、夫には内緒でこっそりと講習を申し込んだのだった。
すぐに受けないとたぶん、また怖くなって、不安のほうが勝って、動けなくなってしまう。


そうして私はついに、当日を迎えた。
不安で不安でしかたなくて、ずっとマリオカートをしながら部屋のそうじをしていた。3年前に子どもとはじめてひとりで夢中になったこれも、はじめは曲がることすらできなかったのに今ではレートも1万を超え、それでも1位を取れるくらいにはやりこんだ。

運転、なのに。
いくらぶつかっても平気だから怖くないんだよなあなどと思いながら。


ー❅ー


食欲もなく、体の節々が痛かった。カフェオレを飲んで気を紛らわせた。


そして、ついに、そのときがやってきた。約束の時間だ。
やってきた教官から教習車を借りて運転した。設備の説明を受けたらもう道路であわあわしていたけれど、ふつうに目的地へたどり着いた。

1時間も経たないうちに「もう自分で乗れそうですよ」と言われた。

「あとは交差点の判断とかそういうところですね。切り上げてここで終わりでもいいですし、マイカーで運転してみますか?」

勝手に使ったら怒られるのではないか……。

でも、誘惑に抗えなかった。
教官がいるならぶつけない。今後乗れないとしても、今だけは乗れるのではないか。

そう思って鍵を手に取った。


東京を離れたのをきっかけに買った、中古の愛車。

これだけは、夫の働いたお金だけじゃなく、私の貯金も半分入っている。ずっと憧れていたのに、一度も自分でハンドルを握ることはなかった。
もう古い車だから、あと何年乗れるかはわからない。

だから、今、乗ってみたかった。

ー❅ー


聞き慣れたエンジン音。

それまで乗っていた軽自動車とは違って、一気に目線が高くなる。幅もある。

ドキドキしながら車を動かした。
やっぱり軽自動車とは勝手が違った。はじめは安全な道をぐるぐる回って車幅に慣れて、道路に向かった。

軽自動車のときはすぐに右折のある大きな交差点での実践だったのだけれど、こちらは慎重に左折と直進をくり返してぐるりと回って帰ってくる。
だんだん車幅にも慣れてきた。


でも、車体が大きいから、一度では駐車することができない。
狭い駐車場だと人に迷惑をかけてしまうし、家の周りの細くて水路に囲まれた、すれ違うのすら大変な道を走るのは怖いと感じた。

夫からはただ乗るのを禁止されていたけれど、確かにこれをひとりで乗りこなすのはむりかもしれないなあと、やってみて納得することもできた。

それでも元通りに狭いところに駐めて、教習が終わった。
何度も切り替えして、きちんと夫がやったのと同じように停めることができた。

たったの数時間だったけれど、好きな車を、自分の手で安全に運転することができた時間はかけがえのないものになった。


ー❅ー


でもあの日は、スタート地点に過ぎないのである。これからすこしずつ練習を重ねて、慣れてゆく。

自分のちからで運転できるように。

義務だけじゃなく、自分の意思で運転を楽しめるようになれたら素敵だと思う。子どもに付き合ってバスケ観戦をしていたのに、今では自分の意思で楽しんでいるみたいに。

今までは欠片も想像できなかった、そういう未来がすこしだけ見える。







去年書いたお仕事小説。生活実用書著者である主人公・リラの車です。
中古で買って何年も経つからそろそろ限界かもしれない。今書いたらもうちょっと臨場感が出そう。


#ビンゴエッセイ


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三條 凛花 最後までお読みいただき、ありがとうございます♡