午後0時、右へ。
「意味ある?」
夫は呆れたように眉を下げた。
「意味、……あるよ」
助手席のわたしは、呼吸を整えながら、意思に反して浮かんでくる涙を見せないようにして言った。
午後0時。わたしたちは山奥に向かっていた。
以前、子どもを連れて行った山の上の公園は、やや辺鄙な場所にある。
その駐車場は、平日に立ち寄ったらほとんど誰もいなかった。
そこが、目的地だった。
市街地からどんどん離れていく。
気がつくと来た道以外のすべてが山に囲まれていた。山のふもとまで広がるのはすべて田んぼだけで、たまに家がぽつんとあるくらい。
オフロード車が、くねくねした道を進んでいく。
わたあめのような薄い雲が、這うように山に降りている。
今朝起きたときは土砂降りで、娘を起こしに2階の子ども部屋に行くと、カーポートの上に叩きつけるような音と波紋が広がっていた。
それから天気は落ち着いていたものの、今にも降り出しそうな、不穏な空だ。その薄い鈍色を見てなぜだか懐かしく感じ、不思議に思っていると、夫が答えを言った。
「こういう天気さ、青森に多いよね」
そうか、ふるさとと同じだから、懐かしく思うのか。
子ども時代の思い出を呼び起こそうとすると、こういう、ぐずぐずした天気の方が多く記憶の中にある。
妙に納得しているうちに、だんだん傾斜がついてきて、空の面積が少なくなった。鬱蒼と茂る木々に囲まれた目的地に着いた。
その駐車場は、ものすごく広いわけではない。
でも、三十~四十台駐められる程度にはスペースが確保されており、なおかつ、人がいない。
わたしの目的には合致していた。
ふたり、同時に車のドアを開ける。
夫は助手席に。
わたしは、運転席に。
位置を入れ替えた。
わたしは、浅くなりはじめた呼吸を整えようと胸に手を当てた。
このエッセイは、先日書いたものの”後日談”です。ここまででも、一応、ひと区切りとしてお読みいただけます。
このあとは、先日のエッセイ含め、5年間にわたる悩みについて書いていて、やや重たいので、ほっこりしたものが読みたい方には向きません。
重めでも大丈夫だという方は、事前にこちらのみくまゆたんさんの記事、そして、記事内で紹介してくださっているわたしが書いたエッセイ『午前0時のママチャリ』を見てもらえたらと思っています。
わたしが、家族だけじゃなく、たとえば美容院だったり整体だったり、知人ですらないようなはじめましての方を含む、ありとあらゆる人から不審がられていたとあることについて書いたものです。
文章を書いて数日が経ち、同じ境遇の方がいることを知って、正直、救われました。
同じ境遇の人にはほとんど会ったことがなかったんです。
ただ一つのことをやらないだけで"異常"と扱われることが堪えていました。それでいて、つねに自分を責める気持ち、情けなく思う気持ちも出てきて。助けて支えてくれる人には申し訳なくて……。
みんな同じように罪悪感を抱えていることも知りました。
書いた文章をきっかけに同じ境遇の人に出会って、シンプルに共感してもらえて。
いつものように”否定”からはじまらない。
だから、はじめて、前を向けました。
重たいくもり空から、雨が降っている。
赤いランドセルに、ぼつぼつと音を立てて叩きつけられる水滴が冷たい。
学校の敷地内には、数台の車がとまっていて、同じクラスの男子が、可愛い色の軽自動車に乗り込んでいった。
わたしは、雨の中を全速力で家に向かって走った。
家に着く頃には、そのままプールに飛び込んだようにずぶ濡れで、寒かった。
母はペーパードライバーだった。
叔母も、二人の祖母も、二人の祖父も、大叔母もみんなそう。お隣の老夫婦も、反対隣のおばあちゃんも、ピアノの先生も。だれも運転していない。
わたしの周りで運転席に座っていたのはたった二人だけ。
父と叔父だ。
”友だちのお母さん”は運転している人も多かったけど、親族や近所の人たちがこういう感じだったから、多少の不便さは感じつつも、そういうものかと思っていた。
習い事は小学生のころから、すべて自力で通っていた。ピアノとバレエと習字は徒歩で。スイミングは送迎バスが来てくれる。塾はバスに30分揺られて自分で通った。
それでも送迎が必要なときは、いつも父がしてくれた。
父もずっとペーパードライバーで、わたしが生まれたのをきっかけに運転を始めたのだという。
運転免許は持っている。
大学生のとき、父に言われて渋々取った。就職に必要だから、絶対に取っておいたほうがいい、と。
でも、自分が毎日運転する。そういうビジョンは持たずに生きてきた。むしろ、祖父のことがあったときに、生涯ハンドルを握らないと、漠然と決めていた。今までは、それで何の問題もなかったのだった。
地元にいたときは、タクシー会社に電話したらすぐに来てくれた。大通りに出て待っていたら、問題なくつかまった。
わたしは何度か引っ越しをしたけれど、ふるさとを離れたあとに住んだのはいずれも都市部で、電車とバスだけで不自由しなかった。
歩くにはすこし遠いけど、電車では行けない場所にはタクシーで。配車アプリを使って申し込めば、たったの5分で家まで来てくれた。
ここのところ、夫に運転のことを言われるたびに勝手に涙が溢れ出す。
「運転しようよ」とママ友が明るく言うときも、ふつうの顔を取り繕うのに苦心する。
先週、夫にペーパードライバー講習に行くように言われたわたしは、トイレに駆け込んだ。
過呼吸を起こしたのを見られたくなかったからだ。大人なのに。こんなことで、なんて不甲斐ない。
なんとか呼吸を整えながら、ふと疑問が浮かんだ。
わたし、こんな状態なのに、なぜ、免許を取れたんだろう。
前は、こんなふうではなかったのでは……?
そう気づいたとき、いつもの自分のやりかたで、何とかなるかもしれない、と、思いはじめた。
わたしは実用書を書いている。
その中では、苦手だったことを克服した経験についても触れている。
絶対に自分にはむりだと思うことがあるとき、その理由が"複数"ある場合、それで立ち止まっている可能性が高い。
そういうときは、理由を一つひとつ丁寧に発掘する。それぞれに解決策を宛てがい、試していく。失敗したら微調整する。
このステップをこの悩みにも適用してみた。
その結果、わたしは、山奥へ向かうことにした。
細かいものから根本的なもの、言い訳まで、いろいろ記憶をさぐった結果、このあたりが影響していそうだとわかった。
ぜんぶがごちゃごちゃになっていて、理由がわからないから、怖いんだ。そう思った。
失敗体験によるトラウマ。
まだ起こっていない不安。
その不安を植え付けた免許更新でのできごと。
異質なものとして見られた経験。
母だからやらなければという、重圧。
気が進まない付き合いのときに角を立てずに断れる言い訳「車がないから」の消失がいやだから
いま以上に増えるであろう負担への憤り。
祖父のこと以外にとくに重そうな部分は、失敗体験と、人から奇妙なもののように見られた恥のふたつだと思った。
わたしの最初で最後の運転は、夫と旅行をした21歳のとき。
観光する前に荷物を置こうとホテルに立ち寄ったら、そのまま夫が眠り始めた。
まだお昼ごはんも食べていないのに、いくら声をかけても揺すっても起きず、腹を立ててひとりでレンタカーに飛び乗った。
車の一台も見当たらない安全な場所でよかった。
免許を取ったばかりだったのに、ちっとも運転の仕方がわからずに、左折、左折、左折、左折。なんとかホテルにもどり、半泣きで頭から駐車して、憔悴しきって、起きたら真っ暗になっていた。
失敗体験はもうひとつある。
すっかり忘れていたけれど、大学生のとき、じつは、原付に乗っていた。
最初に取ったのが普通車免許ではなく原付の免許だったのだ。
それは、長い間眠っていた祖父が亡くなった、1年後だ。
バイクの免許を取ろうとして教習所へ行き、むりだと一笑されて追い返されたので、原付免許を取った。
──そう、自分でも驚くくらいに記憶からすこんと抜けていたのだけれど。
当時のわたしは、自発的に「免許を取ろう」「(車ではないけれど)運転しよう」としていたのだ。
(仲良しの女の子がバイクを持っていて、よく後ろに乗せてくれて遊びに行ったのが理由だったと思う。最高にかっこよくて憧れた。#なんのはなしですか)
免許が取れたら、すぐに原付を買って乗りはじめた。
ところが、道路に出てみると、怖すぎた。
なにもわからず、怖くて。左折、左折、左折、左折でなんとか家に帰った。
バイト代をはたいたのに、結局、数えるほどしか乗らなかった。
祖父が亡くなった時点では、わたしはまだ、運転することに前向きさがあった。
つまり、祖父の事故で感じた「怖さ」を増幅させたなにかがあるのだと、あたりをつけた。
これを書いていてもう一つ思い出したのが、免許更新のときにできたトラウマだ。
わたしが「こわい」「不安だ」と思っている根っこは、きっとこれだ。──そう確信した。
何度か引っ越しをしているので、いろいろな場所で免許更新を受けたことがあるのだけれど、香川県での講習は、もう行きたくない。
映像は香川県独自のものだ。詳しくは書かない。ひどく心をえぐられた。
その場で泣きそうになった。
わたしはなんとかこらえたけれど、後ろのほうから、鼻をすする音も聞こえた。
(わたしが更新したときのもので、今どうなっているのかはわからない)。
ほかの県で更新したときに見たビデオの内容は、ほとんど覚えていない。
でも、香川の講習で使われるビデオの内容はふとしたときに浮かんできて、ぞっとする──。たとえば、娘が小学校から帰って来るGPSの通知が鳴ったとき。急に不安にかられて、娘が帰ってきて安心する。
何年経ってもこういう影響があるくらい、ものすごくリアルで、悲しい映像だった。
すでに運転している人の気持ちを引き締めるためには良いと思う。
ただ、運転するのが怖いなと思っているわたしのような人が見ると、絶対に乗りたくないと思ってしまうかもしれない。
さらに、車社会で運転をしないことで向けられる”目”。
母としての重圧。
このふたつが、車への拒絶感をさらに駆り立てているのではないかと思った。
会う人のほとんど、それこそ知人ですらないような初対面の人にまで、「なんで運転しないの?」「運転しなよ」「誰でもできるって」と言われることに疲れた。
家族や友だちはまだしも、初対面の人に関しては、わたしのことなんてほっといてほしい、と思ってしまうこともある。
自分の力で人を変えられるわけではない。
もうこんなふうに対応するのには疲れた……。
それならやっぱり、わたしが変わるしかない。──結論を出した。
決めたとき、やっぱり、ぽろぽろと涙が落ちた。
どうしてだろう。泣きたくないのに。勝手にあふれだしてくる。
体の底からあふれるように、勝手に出てくるこれを、どうしたら止められるのだろう。
”わたしにはできない”
その思い込みを、どうしたら払拭できるのだろう。
”こわい”
という気持ちを、どうしたら少しでも軽くすることができるだろう。
わたしの境遇から脱出したママたちには、何人も会ったことがある。
大きく2つのパターンに分かれた。
「やってみたら簡単だよ。やろうよ」
「わかるよ……。本当にこわいよね」
後者のママたちは、決まったルートしか使わないことを心がけていたり、事前にGoogleマップやストリートビューでしっかりルートを下調べしたりしていた。
また、いつも自転車でしか移動していないので、車を運転できると知って驚いたパターンもあった。
わたしが目指すべきは後者だと、ロールモデルも決まった。
勝手にあふれてくる涙をぬぐったあと、わたしは夫にメールを送った。
最近、わが家のカーポートには、義父に借りたファミリーカーが置かれている。子育てをするうえで、そちらのほうがラクだからだ。
夫に頼んだのは、このファミリーカーじゃなくて、”わたしたちの車”を持ってきてほしい、と。
それから、教習所には行くけれど、行く前に、いっしょに車に乗ってほしいこと。
じつは、わたしは、車好きだ。(#なんのはなしですか)
夫とは車の趣味だけはよく合っていて、ふたりで相談して、車種を決めた。まだ東京で暮らしていたころ。移住の話が決まったときに、車を探しはじめた。
中古車で値段の割になるべく良い状態のものを探した。
夫がいてくれるからこそ生活ができているけれど、車の頭金や外構工事のような特別な出費のときは、わたしが自分で仕事をして、何年もかけてこつこつ貯めたお金で振り込んでいる。
”働かずにラクをしているママ”と知らない人たちには思われているふしがあるけれど、ふたりのお金ではあるものの、車は夫だけに買ってもらったわけではなくて。
わたしにとっても人生ではじめての、大きな買いものだった。
とても思い入れがあった。
運転を恐れる一方で、この車を自分で動かしてみたいと、憧れたことはある。
これがもしかしたら、大きな一歩になるかもしれない。そう思ったのだ。
わたしの異常な恐怖の根っこ。
それは、”積み重なった失敗体験”と”各種トラウマからの不安感”だ。
それを書き換えることにした。
小さな成功体験。
そして、”ちょっとしたわくわく感”。
この2つで塗りつぶして、涙が出ないようにする。
はじめの一歩を踏み出す。
「意味ある? ……昨日のポエムさあ」
夫は呆れたように眉を下げた。
わたしはかっとなって「そうやって馬鹿にするからわたしもイライラするんでしょう」と目を吊り上げ、早口でまくし立てた。
これじゃあいつもと同じだと、くっと息を飲み込む。
夫とわたしは人生のほぼ半分近くをいっしょに過ごしているので、お互いに遠慮がない。そのくせ素直に伝えることができない。
口頭だとけんかになるとわかっていた。だからわたしは、前の晩、夫にメール(ポエムといわれたもの)を送っておいたのだ。
教習所にはちゃんと通うこと。
でも、泣いてしまいそうで不安であること。
義父の車じゃなくて、わたしたちの車を持ってきてほしいこと。それは、わたしに寄越せということではなくって、好きな車を動かすことで、まず謎の怖さを軽減できないか試したいから。
そういう内容は、エッセイと違って、端的に書いたのだけれど、”大人が涙を流す”ことを否定する夫からすれば夢見がちなポエムだったらしい。
夫はわたしをバカにするように言った。
でも、昨日はカーポートにあったファミリーカーが、今朝見たら、わたしたちの車に変わっていた。だから、わたしたちは山奥に向かっている。
「意味、……あるよ」
助手席のわたしは、呼吸を整えながら、意思に反して浮かんでくる涙を見せないようにして言った。
ふたり、同時に車のドアを開ける。
わたしはスカートの裾を押さえて、助手席からいつものように滑り降りた。
夫と交差するようにぐるりと移動して、右側、運転席へ。はじめて腰掛けるその椅子は、いつもと向きが違うから登りにくい。左手で柱を押さえながら、なんとか登る。
いつもと、見える世界がちがう。
浅くなりはじめた呼吸を整えなければ。── 胸に手を当てた。

こっそりと決意の写真を。
震える手で撮ったので、ぼやけてしまった。
それから30分ほど。
誰もいない駐車場で、わたしたちは、車をぐるぐると動かした。
夫が細かく指示を出す。意外と身体が覚えていて、動かすのは問題なさそうだった。
最初は浅かった呼吸も落ち着いてきた。視界も滲んでいない。
あとは、実際に道路に出て、慣れなければ。
べつに今すぐ運転できるようになりたいわけでも、道路に出るわけでもなくて、とにかく「怖い」という気持ちをなんとかしたかったから。
意思に反してこぼれ落ちてくる涙が止まった。
本当はそのままペーパードライバー講習を申し込みに行く手はずで、印鑑やら何やらを準備していたのだけれど、子どもを迎えに行く時間になってしまい、次回へと持ち越しになった。
夕方、娘を習い事に送ったあと、夫が寒気がすると言い出した。
すこし熱っぽい。
どうしよう……。
動かすことはできたけれど。
この車は大きすぎる。駐車もできない。それに、まだ、道路は走れない。
"まだ"
わたしは、自分がそう思ったことに驚いた。ふだんなら、タクシー会社を検索しただろう。
思考が、確実に前に進んでいた。
ペーパードライバー歴40年だった母が、還暦を過ぎてから、運転をはじめた。そのとき、わたしはもう実家を出ていたので、助手席にいた母が右側に移ったのはとても違和感があった。
「ずるい」と少し思った。わたしだって、雨の日に迎えに来てもらいたかった。
でも、話を聞いて納得した。父が免許を返納したいからだという。
極力運転しない姿勢は変わらないけれど、それでも必要なときは車を出している。
習い事の迎えは、結局夫が車を出してくれた。
わたしはたぶん、ペーパードライバー講習を受けても、道路に慣れても、自転車や徒歩をメインに使い続けるだろう。自分の能力を怪しんでいるので、本当に必要なとき以外は乗らない予定だ。
でも、少なくとも、夫が体調を崩したときに「わたしが」といえるように。娘が土砂降りの中を歩いて帰らなくても済むように。
”運転をしないママ”に出会っても、気持ちに寄り添えるように。
──それを目指して、練習を重ねたいと思っている。次は、教習車で。
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