タクシーで余分にお金を支払った結果
遠ざかっていくタクシーを見送りながら、謝りたい気持ちでいっぱいになった。
その運転手さんが"雑談したいタイプの人”だとはわかっていた。
けれどもわたしは、人見知りなことも、疲れていたのもあるけれど、話がふくらまないように、──していたのだ。
毎年、夏休みには単発の習いごとを入れる。今日もそうだった。
チラシに書いてあった開催地は駅の目の前。これなら電車で行けそうだと申し込んだ。
ところが前日にもらった連絡によると、入口が複数あるという。指定された場所は駅から遠く、この灼熱の中、子連れで歩くには厳しかった。
しかも迎えまでは2時間もない。
近隣にはなにもなく、わざわざ歩いて電車に乗って1時間だけ時間をつぶしてまた戻ってきた。
日傘は息子に渡してしまったし、朝出るときはカチカチだった首元の氷もぐにゃりと粘土みたいにやわくなってしまっている。てらてらと頬が汗で濡れていて、何度もタオルでぬぐった。
やっとの思いで迎えに着いたのに、終わりが遅れているようだ。15分ほど待って、ようやく娘が出てきた。
「もうだめだ、タクシーにしよう」
ようやくタクシーを見つけたのは10分近く歩いたあとだった。
走り出してすぐに「観光の方ですか? 地元の方ですか?」と運転手さんがきいた。
話好きなタイプの運転手さんなんだなとすぐにわかった。東京時代は気軽にタクシーに乗っていたから。
でもわたしはあえて、質問しやすい雰囲気をつくらなかった。
疲れていた。暑くて軽い熱中症だったのもある。人見知りなのも。でもそれだけじゃない。──わたしの中には軽いトラウマがあったのだ。
吹雪の夜だった。
20代前半。友人の結婚式のため、仕事終わりに北陸へ向かった。ひどい片頭痛で倒れそうになりながら新幹線を降りると、21時を回っていた。生まれてはじめて降り立つ街を楽しむ気力もなく、駅前でタクシーを拾う。
運転手さんは細身で眼鏡をかけた人だった。
わたしのトランクを荷台に積み込むと「いやあ、洒落たスーツケースですねえ」と褒めた。
ホテルの名前を告げ、「すみません、具合がわるくて」と告げて座席にくったりと沈み込む。
タクシーはあちこちを曲がりながら進む。運転手さんはずっとしゃべっていた。吐き気がひどく、目も霞んで見えない。──いつ、ホテルに着くのだろう。
そんなに駅から遠かっただろうか。早くねむりたい。朝からもう2回も痛み止めを飲んだのに、耐えられないくらい痛い……。
そう思いながらもがんばって答える。
何度も何度も、彼はスーツケースをほめた。それだけが記憶に残っている会話だ。
ようやくホテルにたどり着いたのは、駅を出てから20分以上経ったころだった。料金は覚えていないけれど、数枚の千円札を渡した記憶がある。
「いやあ、洒落たスーツケースですよ、本当に」
運転手さんは、ホテルの前でスーツケースを下ろしながら何度目かわからないその言葉を告げた。
翌日。
結婚式のあと、友人とふたりでタクシーに乗り、駅へ向かった。
駅には、5分かからずに着いた。
一度も曲がることなく。
初乗り料金をふたりで割って支払った。
わたしの話を聞いた友人は、怒った。
「レシート見せて!」
そこに書いてあった情報は名字と携帯番号だけ。
どうにかなるとは、思えなかった。
たった一度のあの出来事が、わたしを臆病にさせている。
それからというもの、タクシーでの雑談には慎重に対応するようになった。あの人が、悪い人には見えなかったのが怖かったのだ。
タクシーは長い道のりを経て、見慣れた街並みにたどり着いた。細かい道順を案内する。
それまでにも、運転手さんは何度か話しかけてくれた。わたしの答えはシンプルだった。もしあと一言付け加えれば、きっと話は弾むのだろうなと思った。──でも、それをしなかった。
タクシーが家の前に着いた。きちんと納得できる道順で。
わたしは数枚の千円札と、小銭を受け皿に置いた。
運転手さんは息子のほうを振り返って「ぼく、車は好き?」と聞いた。困惑する息子に笑いかけながら運転席を降りると、後ろのトランクからなにかを取り出した。
「これ、カルピス買ったらついてきたんだけどね。よかったらあげるよ」
息子の小さなてのひらに、トミカの箱が収まった。
「あ、ありがとうございます……!」
そのときはじめて、わたしは運転手さんの顔をまっすぐに見た。
60代くらいで、ふくふくとした表情の、──見るからに人の良さそうな男性だった。
わたしはとても臆病な性格で、一度の失敗や、悪意をずっと引きずってしまいがちだ。
でも、それはすごく損をしていると思うのだ。
数十分の道のりを、きっとあの運転手さんは少しでも心地よいものにしてくれようとしていた。行き方を告げたときの受け答えも、すごく丁寧で紳士的だった。
次に雑談したいタイプの運転手さんに出会ったら、──話に乗ってみよう。そう思いながら、わたしは遠くなっていくタクシーをぼんやりと見送った。
(2,000字)
タクシーって、ドラマがありますよね。
ちょっと引いてしまった運転手さんや、逆に、人生ここ一番っていうときに心を軽くしてくれた運転手さんもいたこと──書いていて思い出しました。また機会があれば書いてみようかな。
息子は、生まれてすぐに東京を離れたので、先月、はじめてタクシーデビューをしました。
タクシーという存在は知ってるけど、パパやママ友以外が運転している状況をふしぎそうに眺めていました。
それにしても香川は本当にタクシーがつかまりません……。
東京はもちろん、青森はもっと気軽に乗っていたような気がします。公共交通機関の利用も青森のほうが多いような気がします(本数は少ないけど)。
雪がないから、高齢の方の運転も多いのかも知れない。
東京では、長い距離を乗ることはほとんどなかったけれど、歩くには遠いけど電車やバスがつながってない……みたいな場所に行くときに乗っていました。アプリで配車できるのがらくだったなあ。
追伸、あなたのタクシーエピソード、教えてください!

いいなと思ったら応援しよう!
最後までお読みいただき、ありがとうございます♡