でもさ、それでも。
「人と違う生き方は、それなりにしんどいぞ」
──わ、おんなじ台詞だ。
私はぱちぱちと目を瞬かせ、それから俯いて、制服の裾をきゅっとにぎった。
ジブリ映画『耳をすませば』で、主人公の雫が父親に言われた言葉。
けれども、いま目の前にいるのは、真剣な顔をした私の父だ。
「でもさ、それでも……」
私はまっすぐに父の顔を見た。
授賞式のために上京する、前の夜のことだった。
私の書く人生がはじまったのは、10歳のころだ。
金曜ロードショーを見終えた瞬間、自室まで一気に駆け上がった。
机の上にあるものをブルドーザーみたいに手の甲でどかして、スペースをつくる。使いかけのノートを引っ張り出し、破ってまっさらにする。ぎざぎざのちぎれ目が気になった。
ふだんならそこでやめるのに、なにかに突き動かされるように言葉をつらねていた。
終わりすら決まっていない物語を書きはじめた瞬間だった。
書店も図書館もない街で生まれ育った。
家は本の森のようだったけれど、父の蔵書の中に、10歳の私が読みたいものはほとんどなかった。自室の天井まである本棚も、絵本や児童書はすでに読み尽くしていたか、興味を持てないかのどちらかだった。
今の年齢に合っていて、堅苦しくなくて、暗すぎないけどしっとりしたものを読みたいと思っていた。
そんなとき、『耳をすませば』を見た。
図書館にこもり、資料を積み上げて、ノートに手書きで文字をつらねていく雫。その姿を画面越しに見て、がつんと殴られたような衝撃を受けた。
まだ、何者かになりたいみたいな気持ちはなかったように思う。
ただ、書くことがたのしかった。
やっと自分の趣味を見つけられた気がした。
その気持ちに突き動かされるように、いつもノートに向かっていた。
でも、あの頃書いたものを、大人になったいま読み返すことはできない。
「きもちわるい」と、そう言ったのが誰だったかもう覚えていないけれど、素人の子どもが書いたものは、とても読めたものじゃなかった。
その自覚があったからこそ、物語を最後まで書き切れることもほとんどなかった。もし当時のノートを見つけたら、きっと燃やしたくなるだろう。それくらい拙い。
このあいだ、なにかの選評を読んでいて思った。
「独りよがりで、自己陶酔感のある文章」
自分ではないだれかに書かれた厳しい言葉が、あのころの自分を思い出すたびに刺さる。
書き続けることに、行き詰まっていた。
理由はいくつかあったけれど、そのときの私は、うまく言葉にできなかった。
ただいつものように、ぼんやりと家の廊下を歩いていた。
天窓から差し込む金色の光が、無造作に積み上げられた本の表紙をなぞるように、ちらちらと揺れている。
廊下の両側には、本棚が隙間なく並んでいる。ぎっしりと本が詰まっているのに、それでも入り切らず、背表紙を隠すみたいに積み重なっている。
地震が来たらどうしよう……。
そんなことを考えながら、ふとビジネス書に目が止まった。
興味のある分野──速読や文章術といったものはすでに読み尽くしていたのに。
今さら読むものなんてないと思っていた。
それなのに、いつもと違う単語が、まるで光って見えた。
きれいな日本語を集めた本、文章の書き方の本、文章を読み解く力に要約のやり方……。
手にとってぱらぱらめくって、気がついた。
私にはあまりにも書くスキルが足りていない──。
書くっていうのはたぶん、ただ文字を並べればいいわけじゃない。
この間「悲しい」って書いていて違和感があった。淋しいでも悲しいでも言い表せない感情が確かにあった。それをどう表現したらいいのかが私にはわからなかった。
言葉を知らないから書けないのだ。
読書量もきっと必要だ。
それでいて、飾った言葉が多すぎるから自分に酔ったみたいになってしまうのだろう。
シンプルにわかりやすくまとめる必要もある。
目にとまった本を、水みたいにごくごく読んだ。
そして、書いた。父から強奪したワープロで書いて、印刷して、赤ペンで直して。それを何度も何度もくり返す。
さらに書き上げた作品を何度も読み返して、封筒に詰めて郵便局へ向かった。
受賞の連絡が届いたとき、父は私の意思を確認した。
そしてこう言ったのだ。
「人と違う生き方は、それなりにしんどいぞ」
「君の文章は確かに美しい。だが、男性的だ。少女らしさが感じられない」
授賞式のあと、学校にこんな手紙が届いた。
差出人はほかの県に住む男子生徒。授賞式では一度も話していない。壇上でスピーチをしていたひとだ。
連絡先がわからないから学校に送ったと書かれていた。
読んだ瞬間、むっとした。
自作したコンクリート・ロードの歌詞に嫌味を言われて、肩を怒らせて歩く雫のように、「なんなのなんなの」とぶつぶつくり返した。
でも、家に帰って改めて自分の受賞作を読んだ。綺麗に書けたと気に入っていた。
けれども、なんだか気取っているし、漢字ばかりで無骨だった。
それから紆余曲折を経て、自分が好きな文章の見た目を、リズムを模索していく。
やがて今度は、私が壇上でスピーチをすることになった。
その場には、審査をつとめた小説家や漫画家の方々も来ていたのだけれど、その中のひとりがこんなことを言った。
「君はね、まだ若い。若すぎる。急ぐ必要はないんだよ。もっといろんなことを経験して。それが作品をつくるから」
言われたときはぴんとこなかった。
けれどもそのうち、気がつくことになる。
どこにもない、自分が読みたいものを書きたくて書く人生をはじめたはずだった。
それなのに、私の頭が生み出すのは、どこかで読んだものをつなぎ合わせたようなものばかりだった。
大事な記憶の種も、私らしさも、あのときの作品に全部使い果たしてしまったような気がした。
私のなかにはもう何も残っていない。
ほかにも、自分ではどうしようもない出来事が重なって、私は筆を折ることになった。
桜並木を歩きながら、会社に向かった4月1日。
就活のころから着ているスーツは、暑くて、重くて、どこか野暮ったくて。
きっと綺麗なはずの桜の花びらを見ても、なにも感じない。
また父の言葉が蘇った。
「人と違う生き方は、それなりにしんどいぞ」
でもさ、それでも。
私には、人と同じ生き方も、うまく合わなかったみたいだ。
書く人生がはじまる前のことをあまり覚えていないように、それから数年間の記憶はほとんどない。
ベビーカーを押して、小走りで23区の道を進んでいた。
書店の開店前に着いてしまい、途方に暮れる。
やがてシャッターが開く。
まっ白な蛍光灯の光に照らされた店内に、ごくりと息を飲んで足を踏み入れる。
そうして私は、自分の名前が書かれた本を見つけた。
震える手でそうっと背表紙をなぞり、そのままレジへ運ぶ。
今からもう、10年近く前の話である。
書店に並んだ私の本は小説ではない。
家事が苦手だった主婦が、日々の暮らしを人並みに回すまでの工夫を書いた、生活実用書である。
けれどもあの1冊が呼び水となって、今も書く人生を続けている。
「人と違う生き方は、それなりにしんどいぞ」
雫の父や、私の父が言っていたとおり、楽しいだけじゃなかった。
好きだという気持ちだけではやっていけないくらい心がえぐられる出来事だっていくつもあった。
もう一度、筆を折ろうと悩んだこともある。
でも私は知っている。
一度筆を折ったあと、世界から色彩が消えた。意味も、消えた。
書く人生を続ける限り、私の世界には色が溢れ続ける。
もう一度色のない生活に戻ることは、だれかに存在を否定されるよりも、ずっとずっと虚しい。
あのとき先生が言った意味がようやくわかった。
30代になった私は、いくらでも小説を書くことができる。
これまで生きてきた時間すべてが種になって、それをつなぎ合わせていくと、いくらでも物語が浮かび上がる。
実用書も書き続けたいけれど、やっぱり小説も書きたい。
ううん、役に立つことをずっと書いてきたけれど、それもまた小説の種になる。
それでも私にはまだまだ足りないものがある。
スキルも、経験も。
それを埋めるようにこれからも書き続けていくと思う。
きっと、命が尽きるその日まで。
『でもさ、それでも。』(了)
みくさんのコンテストに参加します。
文字数は3000字ちょっとです。
みくさん、改めてご出版おめでとうございます!
下の子が入学して少し時間が落ち着いたら感想記事を書きたいです。
(日々ばたばたでコンテスト、もう間に合わないかと思いました。なんとかすべりこみで参加できてよかったです……!)
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