今日も、呪いを解いている。
今日も、呪いを解いている。
何十年も縛られていたものが、ある日ふっとほどけることがある。
不思議なのは、呪いは解けたあとになって初めて、「あれは呪いだった」と気づくことだ。
いまから話すのは、そのひとつ。
「応援できない呪い」の話である。
応援できない私は、黄色の波に流される
知るのと知らないのとでは、人生が180度がらりと変わる──そういうものが確かにある。
私にとって、香川ファイブアローズとの出会いがまさにそれだった。
・・・・・
画面に映った選手は、たぶん、泣いていた。
確証が持てないのは、水のなかに閉じ込められたみたいに、よく見えないからだ。ただ客席から見ていただけなのに、それなのに、急に視界がじゅわっと滲んだ。
目の前のぜんぶがピントの合わない写真みたいになった。
自分が泣いていることに気づくまでには、すこし時間がかかった。
慌てて目頭を押さえた。でも、手遅れだった。
目の端から数滴の雫がつ、つとこぼれてびっくりした。なにげないふりをして、指先で弾き落とす。
でも自分の変化に戸惑ったのはほんの一瞬のこと。
それまで脱力していた私は、まっすぐ前を見た。彼の表情を忘れないようにしようと思った。
カテゴライズできないくらいさまざまな感情と、この半年以上の記憶。
それが一気に駆け巡ってゆくのを感じながら、私は、開始からたったの5分でぐしゃぐしゃになっていた黄色のハリセンを、感謝と応援のきもちをこめて、改めて鳴らした。
・・・・・
私には、応援という感情が欠落しているのかもしれない。
そんなことを思いながら生きてきた。
なんでも自分でやるのが好きで、自分ができないことには興味がなかったのである。推し活をするべきだ、人生損してると、私を強く変えようとする人に出会うと、疲れてそっと離れてきた。
なかでも、スポーツは鬼門だった。観戦どころか、創作物ですら見ることができない。
一方の夫は、スポーツ観戦が好きだった。
行きたいと言われていたのを「興味ない」とずっとつっぱねてきた。夫には「そっちだって本に興味ないじゃん」と告げて。
自分でもどうしていやなのか、よくわからなかった。
とにかく自分でも理由のわからない、高い壁があった。
そんな私がバスケ観戦に足を運んだのは、子どもがチラシをもらってきて「行ってみたい」と言ったからだった。
思えばあれが分水嶺だった。
熱気あふれる空間に、気後れしながら入る。
すれ違う人たちは、みんなパキッとした黄色のユニフォームに身を包んでいる。
モノトーンの服を着たわたしたち家族は、妙に浮いていた。
指定席の場所を探していたら、急に照明が落ち、音楽が鳴りはじめた。足もとが不確かになり、子どもたちが私の袖を掴んだ。ペンライトが光りはじめ、選手が入場してくるところだった。
「わあ……」
子どもたちと同じように声を上げていた。
光と音楽に彩られた空間。
非日常な感じで、それだけでもすこしわくわくする。
やがてはじまった試合のルールは、当然わからない。
けれども、横にいた夫が子どもたちにもわかるように、解説をはじめた。私は熱々のポテトを食べながら「へえ」とか「そうなんだ」とまじめに相槌を打っていた。
「でも俺も、ファウルはようわからんのよなあ」
けれども、そこは観戦初心者にもやさしい設計だった。どんなファウルだったのか、毎回画面に表示されるのだ。
そのときは、選手のこともあまりわからずに、単にシュートを見て「すごーい!」とテンションが上がるくらいだった。
けれども、終わってみると、面白かった!という感想が残った。
そのときは、良い記憶で終わった。純粋に楽しく、良い時間だった。
また来てみたいとすら思って、自分でも驚いた。
選手たちが手を振りながら退場していくのを見送ったあと、わたしたち家族も立ち上がった。周りを見渡すと、黄色の波ができていた。
流されるようにして、私たち家族は、ぽつんと私服のまま会場を後にした。
「またいつか、見に来たいね」
娘が言った。
まだ幼稚園だった息子は「よくわかんないからいやだ!」と言った。
夏祭りの夜に
「夏祭り、友だちと待ち合わせしてるんだ」
娘がそう言ったのは、一年近く前のこと。
いっしょに来てほしい。でも、別行動する。
そんなはじめてのお願いに驚く。
「みんなのお母さんに、ほんとうに伝わってるのね?」
念押しをした。だって私、だれも知らない。
不安に思いながら、娘に淡いラベンダーグレーの浴衣を着付けた。北西の窓から差し込む金色の光が、後ろで編み込んだ娘の髪に散っていた。
祭りの会場まで、家族で田んぼ道を歩いていく。
日は傾いてきたけれど、空はまだ明るい。
照りつける日差しに汗の珠が浮かんだ。
門をぬけた瞬間、色が迫ってきた。
色とりどりの浴衣をまとった数人の女の子たちが一斉に駆けてきて、娘の手をとると、風のように走り去っていく。
祭り特有の香ばしいにおいだけが残った。
とっぷりと暮れた夜空を、橙色の提灯が彩っている。
娘は帰りたがる素振りもみせず、来てからすでに何時間も経っていた。ふと、そばにいたママから「バスケ好きなんですか?」と聞かれた。
観戦に行ったことを、娘が話したようだ。
「すき……?」
答えに困って、浴衣姿でみんなと走り回っている娘のほうに視線を向けた。
「あの子が行きたいっていうので……」と告げた。
自分でもよくわからなくって、熱々のポテトを口に運ぶ。
「えー、じゃあ、いっしょに行きませんか?」
「みんなでよく観戦してるんです」
ひとりのママが言うと、別なママもにこにこしてうなずいた。
うれしい。でも……。
「私、ペーパードライバーなので、遠出が……できなくって」
これを切り出すのには、いつも勇気がいる。
どんな言葉が返ってくるかわからない。また、責められてしまうだろうか。
緊張でくらくらしてきて、ベンチに手をついた。汗ばんで冷えた手に、砂のざらざらした感触がやけに鮮やかに残った。
「えー! なら、ぜんぜん乗せていきますよ~」
・・・・・
それを皮切りに、週末に何度かバスケ観戦に足を運ぶようになった。みんな家族ぐるみで観戦を愛していた。
楽しい。私もたしかにそう思う。
周りのひとたちとの熱量の差を感じながらも、娘に言われてバスケ観戦に通い続けた。
それでも、まだ私の呪いは解けていなかった。
好きかと聞かれて、うなずくことができない。
そのうち、好きな選手ができた。気づくと目で追ってしまう。
何度も解説画面を見ているうちに、意味不明だったファウルへの理解が深まってきた。意味がわかると、試合って面白い。
好きな選手が増えてゆき、どの選手にも愛着のようなものが芽生えてくる。
そうして秋が終わり、冬がぬるみ、春になっていた。
やがて、子どもに「行く?」と聞く前に、自分で勝手に「行く」と決めていた。
いやがるのは息子だけだった。そのきもちもわかるので、夫にまかせて、別行動する休日が増えてゆく。
気づくと黄色のユニフォームを羽織っていた。
会場で配られていたから。
せっかくだし、なんて言い訳をして被ってみたら、なんでこんなかんたんなことを今までしなかったのだろう?と不思議に思えた。
はじめのころは、会場で食べもの買うことを楽しんでいた。
けれども、グッズを買うお金を捻出するために、おにぎりをつくって持っていくことが増えた。
プレーオフ期間は、ほぼすべて通い詰めるまでになっていた。
土日も祝日も、平日の夜も。
学校から帰った子どもたちが宿題をしているあいだに、お弁当をつくる。公共交通機関を乗り継がなければならないので、開始よりも3時間近く前には家を出なければいけない。
すこしずつ暑くなってきた夕方の街を、大きめのリュックを背負って足早に歩いた。
そうして迎えたのは、決勝戦。
はじめは嫌がっていた息子も、別行動するのをやめた。姉の友だちと仲良くなったからだ。
みんなで楽しむ場所という、価値観の上書きがされたのだと思う。
それだけではない。彼もまた好きな選手ができたのをきっかけに、ちらちらとゲーム機から顔を上げてコートに視線を向けるようになった。
娘もまた、15番のユニフォームを買ったのがきっかけで熱量が増した。
好きだと自覚すること。
そして、そのきもちを言葉すること。
もしかしたらそれが、沼にはまっていくきっかけなのかもしれない。
ファイブアローズは順調に勝ち進み、平日の19時から決勝戦が行われた。
わが家はたまたま夫が休みだったけれど、ほかの家庭でも、パパが仕事から急いで帰宅したという。
みんなで観戦することになった。
ところが、ファイブアローズは、決勝戦で敗退。準優勝となった。
平日の夜だった。
なのに、4000人も集まった。
アリーナの広い会場はほとんどが黄色のユニフォームで埋めつくされていた。
私もその中に違和感なく溶け込んでいた。
選手たちが退場していったあとも、私はしばらくそこから動けなかった。
負けた瞬間の脱力感は、その後のスピーチを聞いているうちに薄れていたけれど、これで見に行けるのは最後だと気がついた。
明日も行こうと思って。あると信じて、子どもの習い事を休み、振り替えにしていた。
でも明日はないのだ。
半年もの間、月に何度か、当たり前のようにそこにあった時間が、しばらくなくなってしまう。
シーズン中は、月に数回、土日に試合がある。
家族が体調を崩さない限りは、毎回出かけていた。そんな生活が、半年以上続いた。試合が近くなるとグループLINEがぽんぽん飛んでいたのに。
それが淋しくて仕方がなかった。
「さみしい……?」
私は自分がそう思っていることにおどろいた。
自分がプレイするわけじゃない。ただ観ているだけなのに、本当に楽しかった! 楽しかったのである。
思い返してみると、私は、すべての時間を愛していたのだと思う。
たとえば、試合がはじまる前に、早いうちに到着しておくこと。イベントを楽しんだり、ウォーミングアップを眺めながらぼんやりごはんを食べたりすること。
一番の醍醐味。
観戦を楽しみ、応援すること。
会場で感じられる一体感のようなものは、スポーツともライブとも無縁だった私にとって未知の世界だった。
そして、光や音楽に彩られたステージの様子……。
試合が終わったあとはみんなで出かけることが多かった。
バスケ観戦というひとつの趣味を通して、ひとはこんなにも急激に深く仲良くなれるのかと驚くくらい、仲良くなった。
そういうことを半年以上続けているうちに、何もかもがどんどん好きになっていったし、応援したいきもちが湧いてきた。
自分のなかに「応援」という感情があったことに驚いている。
この半年以上のあいだファイブアローズからもらったものは、単に勝ち負けとか、試合の楽しさといったものだけではないと思う。
まだうまく言葉にできないけれど、黄炎に出かける時間、そこに付随するすべてのもの。関わることのできた時間そのものが、とても素晴らしかったと思う。
試合会場には、子どもたちや、若いひとや、家族連れ。いろいろなひとがいる。年配の方もいる。この間、ママ友たちと「子どもたちが巣立っても観戦来ましょう」と話していた。
そしてそれはたぶん、現実になるのだろう。
呪いの根っこ
うれしいというよりも、怖い──というのが先にたった。
目を覚ますと、SNSの通知が止まらなかった。
試合からもどってきた夜中の熱量そのままに書き殴ったこのエッセイが、拡散されていたのだ。
きっと悪いことが起こるにちがいない。
怯えてなにも手につかなくなった。
そう思っていたのに、怖いことはひとつもなかった。
むしろ、数え切れないほど書いてきた文章のなかで、こんなにもほめてもらったのははじめてだった。ほかのバスケチームのブースターをしている方からも優しい声が届いた。
話をお聞きする中で心に残ったのが「ファンになることなく、一度だけ楽しんで帰ってしまうひとたち」を惜しむ声。
──それはまさに、最初の私だ。
でも、ファンになるまでは、私自身も数ヵ月を要した。
いっしょに来る相手がいて、誘ってもらえること。そこで過ごした時間が楽しかったこと。好きな選手ができたこと……。
ファンになれたきっかけを挙げればきりがない。
けれども、逆に、「好きなんです」と言えなかった一年前の夏祭りを思った。
私はどうして、こんなにもスポーツ観戦を恐れていたのだろう。
・・・・・
そんなとき「料理」についての本を書いていたときのことを思い出した。
わかったのは、ある夏の記憶──。
あれは中学校の部活の大会だったと思う。
文化部だった私は、決められた競技の決められた会場へ、自力で行かねばならなかった。
はじめに思い出すのは、かげろう。
目の前の空気がゆらゆら揺れる暑い日だった。
球場の決められた位置に座ったときには、すでにぐったりと疲れていた。
徒歩圏内に駅などはなく、バスをいくつも乗り継がなければたどりつけないところ。
試合がはじまると、先生は大きな声を出すように言った。
そういうのが苦手だから文化部にいるのに。言い訳はゆるされなかった。もともと、先生からのあたりが強かった私は、まるで見せしめのように怒鳴られた。
それにしても、顔が熱い。
周りにいる同級生たちも、みんな、真っ赤になっている。
「せんせー、お茶飲んでいいですか」
そう手を上げたのは誰だっただろう。
先生は長い髪を振り乱して「駄目にきまってるでしょう!」と怒鳴った。もう何時間も炎天下のなかにいる。
喉がからからで、苦しくて、涙が出そうだった。
「もっと声出せ!」
先生が怒鳴る。
「うちの学校を応援しないでどうするの!」
……私には関係ない。
このとき、そんなことを思った。
だって、グラウンドに立っている男子たちには、いい思い出がない。会うたびに嫌なことを言われるのに、なんで、応援しなきゃいけないの。
「倒れるかも……」
そうつぶやいたとき、席を外していた学年主任の先生が走ってきた。
「何してるの! あなたたち、顔が真っ赤じゃない」
主任は早く水筒を飲むように言った。
だれかが、禁じられていたと伝えたけれど、そのあと主任がどうしたのかは覚えていない。それくらい朦朧としていた。
ふと思った。
私の呪いの根っこにあった原体験は、これなのではないか。「スポーツを観に行って、嫌なことが起きた」。
それと、応援を無理強いされた、ということ。
記憶が呪いをつくるのだとしたら
数ヵ月前、料理の本を書いていた。
料理がきらいじゃないのに苦痛に感じていた私なりの、乗り越え方をまとめたものだ。
食育の資料をめくってわかったことがある。
それは、記憶が好き嫌いに影響しているという話だった。
子どもにきらいなものを無理やり食べさせると「味と不快感」がセットで記憶されてしまうのだという。
そしてそれが、好き嫌いの一因になることがある、と。
観戦に足繁く通うようになった時期だったからこそ、響いた。
私の観戦嫌いもそうだったのかもしれない。
でも、それだけじゃない気もする。
スポーツそのものが不得手で、動くたびに嗤われた記憶だとか。
観るように強く言われることだとか。
大小問わず、さまざまな記憶が、底が見えないくらい混ざり合っているのかもしれないと思った。
筆を洗ったあとの絵の具の水みたいに、もとの色がわからないくらいにごってしまった記憶。
もし、複雑に絡み合った記憶が呪いをつくっているのだとしたら──。
あの日から、苦手だと思っているものを見るたびに考えるようになった。
これは本当に苦手なのだろうか。それとも、昔の記憶がつくった呪いなのだろうか──と。
それから、楽しい記憶で上書きしていく。
気づけば、ハンドルをにぎっていた。
雲の底が淡い薔薇色に染まっているのが見えた。いつもより、ずっと高い目線だ。暮れていく街を、運転席から眺めていた。
まだ、ひとりで乗るのは怖い。
でも。今の私は知っている。ファイブアローズが教えてくれた。呪いは、自分で解ける。
そう遠くないうちに、私は自力でどこかに行けるようになる。
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