淋しいプール
夏は、どこか淋しい。
ぷかぷかと流されていく。狭い視界のなかで、透きとおった浮き輪の表面には、光のつぶがちらちらと散っていた。
はじめてこのプールに連れてきたとき、娘はまだ足がつかなかった。
すらりと長い手足を器用に動かして、すいすいとわたしの前をゆく。どちらかというと小柄なわたしが背を抜かれるまで、あと一、二年のことだろう。
当時一歳だった息子は、はじめ水を怖がっていた。
足入れと屋根のついた浮き輪にのせて、わたしが引いていたはずなのに、今では浮き輪から抜け出すと、わたしに乗るようにいい、そのひもを引いて泳いでいく。
年に一度、ここにくるたびに、こころが波立つ。
毎年上書きされていく記憶になかなか心が追いつけない。
そわそわしながら、帽子を深くかぶりなおし、浮き輪に突っ伏すようにもたれた。ビニールの硬質なにおいがした。
あちらこちらで人々が話す音が溶け合いひとつの波みたいなのに、濡れたプールサイドを裸足で貼りつくように歩く小さな子どもの、ちゃぱっ、ちゃぱっという音がやけに耳についた。
狭い視界の中は、青、青、青。──夏の青。
真っ暗になってから車を走らせる。
後部座席では話し声。もうだれも眠らない。
「なんかさ、あんまり疲れてない。いや、疲れてるんだけど……去年までとぜんぜん違うんだよね」
「あんまり暑くなかったよな。でもなんなんやろ」
一日中外にいて、ふだんなら洗濯を回すのですらつらいのに、日づけが変わる前になってもまだ起きている。ここまで書いて気がついた。そうだ。夫もわたしも、もう、見守るだけでよくなっている。
水のなかをずっと抱っこして歩いたり、溺れるのにスイミングでの泳ぎを披露したくてロケットのように浮き輪から抜け出す息子を捕まえたり、そういうことをしなくてよかった。
だから疲れていないのだ。
ふいに、うるっとした。
夏休みの喧騒は、ほんとうは、とても贅沢で幸せなことなのである。
砂時計がきらきら零れ落ちるように、ひと粒ずつ消えていく。
そう気づいてもきっとまた、明日はまた鬼母になるのだろう。
宿題を終えるまで何度でも怒鳴るのである。YouTubeのオフタイマーはぜったいに守らせる。接し方を工夫する余裕なんかないのだと、言い訳を述べながら。
でも、それでも。
何度でも噛みしめようと思う。いまは有限であるということ。
聖母にはなれない。
でも、フラットな母でいられる時間を延ばしていくのだ。
夏は、どこか淋しい。
(1,000字)
あとがき
「ことのは採集室」の宿題として、わたしも1000文字日記を書いてみました。
この日記のテーマは「淋しさ」、
採集した言葉は擬態語・擬音語を選びました。
プールにいって、いろんな音に耳をすまして擬音語を考えていたんです。
夏ってたのしいはずなのに、いろんなシーンで淋しさを感じる。あの感覚がほんとうに不思議です。
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