いつか真夜中に卵スープをつくる日のためにやりたい7つのこと
電話の向こうから寝息が聴こえてきた。
小さく「おやすみ」とつぶやく。いちごの香りのボディクリームを足に塗り込み、長靴下を履いてベッドに入る。
ぶうんという冷蔵庫の音だけが響く小さなワンルームの床を、カーテンの隙間から降ってくる月の光が照らしていた。
何度寝返りを打ってもまどろみはやってこない。
就活がうまくいっていない。「おまえなんか要らない」と言われているような気持ちに心がしんと冷えていく。無機質なメールの文面を思い出すと、ほろりと涙が落ちた。
そっと起き上がる。
こういうときはあれを飲むに限る。
冷蔵庫からたまごを2つ出した。
くぷり。小さな硝子のボウルに割り入れる。艶めく卵黄に橙色の手元灯の灯りが滲むように映り込んでいた。箸を刺す。しゃっ、しゃっと手早く混ぜていく。いつのまにか卵は淡い黄色に変わっている。
ふつふつという音が夜を揺らしていた。
鶏ガラスープの素を振り入れ、味醂と醤油。生姜チューブ。箸を伝わせてそっと卵を流し込んだ。ふわりと花が咲くはずだったのに、固まらない。
スープはにごってしまった。
カーテンを開ける。卵黄みたいな満月をぼうっと眺めていると、ひとすじ涙が落ちてきた。
未来が見えない。
1年後のわたしはどうなっているんだろう。恋人の住む東京で就職できているだろうか。彼と結婚する日は来るのだろうか。ひとりじゃない未来はちゃんとあるのだろうか──。
ぽっかりと抜けていく孤独を、黄金色のスープで喉の奥へと流し込んだ。
あれから15年。にぎやかさに思考が揺らされながらも、いつもいつでも考えている。
ひとりの時間ができたら、なにをしよう──。
1.運命の一冊を探す

書店のない街で生まれ育ったわたしにとって、たとえそこが駅ビルの中の広いブックストアでも、かわいいおばあちゃんが一人で営む下町の書店でも、本を売る場所というだけでとくべつになる。
気になるものをネットで買うのも、夜中にひっそりと電子書籍を読むのもどちらも好き。
でも、人生を変えるような、あるいは人格の礎になるような運命の一冊に出会うのは、いつも書店だった。
もう何年もずっと時間に追われていた。
書店では目的の書棚を最短距離で見るだけ。
ある日、30分だけ時間ができた。
カフェでゆっくりするには少し短くて、でも立って待つには長過ぎる。幸いその場所には書店があったので、目的もなく書棚のあいだを彷徨った。
どの本もほしい。
持ち帰りたい。
けれども、この中から1冊だけ選ぶとしたら。
ひとつひとつの書棚を、ふだんは見ないような場所も含めて、すっと目をすべらせていくと、あっという間に時間になった。
選び抜いた一冊をレジに運び、わたしは慌ただしく店を出た。
ひとりの時間ができたなら、何度だって30分じっくり書棚と向き合って、運命の一冊を探したい。
2.雨の日に歩いてカフェに行く
雨がきらいだと思っていた。でもそうじゃなかった。濡れてしめった服や、子どものころに着せられていた合羽の黄色や、長靴の子どもっぽいピンクがきらいだったのだ。
気に入ったデザインの傘を買った。ビニール傘なのだけれど、裾だけが黒地になっている。お気に入りの靴で出かけても、黒のレインカバーをつければ足もとが濡れない。
雨の日の白く煙るような世界や、静謐な水音が好きだ。
ミルク色ににごった雲も、濡れてつやつやした葉っぱも、そこからすべり落ちる透明なまあるいしずくにも心惹かれる。

いつものように急ぐのではなく、ゆっくりと歩いてみる。足もとが覆われているから、浅ければ水たまりだって平気。
カフェにたどり着いたあとは、パソコンやスマホを開くのではなく、持ってきた文庫本を取り出す。雨の日の移動は軽いのに限るのだ。
子どもたちを習いごとの振り替えに送ったあと。冬の18時過ぎ。夕飯どきだからか、いつもにぎやかな店内には、わたし一人しかいなかった。
なんて贅沢なのだろう。窓際の角っこ、ソファ席を選んだ。
こういう日は、いつもと違うものを注文するに限る。
ほわほわの泡のうえに、抹茶パウダーがぱらりと散らされたあたたかい抹茶ラテをひと口ふくんで、本の世界に没入する。
『王国 その3 ひみつの花園』だ。"ばなな期"とでもいえばいいのだろうか。毎年必ず、よしもとばななさんの本を読まずにはいられない時期がやってきていた。──子どもがちが生まれる前は。
パーンと鋭く鳴った雷が、わたしを本の中の─秘密の花園から引き戻した。結露して曇った窓硝子の向こうをのぞく。真っ黒な雲が通過していくところだった。
店を出るころには、紺色の晴れた夜空にオリオン座がきらめいていた。
3.花を仕立てる
花の好みが偏っている。
淡い色。清楚な花姿。やわらかくしなる茎。葉は銀色。

そう気づいたのは、自分でいろんな花を買ってみてからだ。
わが家の中庭の片すみには、ひみつの花園がある。
高い壁に囲まれているから、空以外のどこからも見えない場所。そこには白と紫の花を植えてしっとりしたシェードガーデンをつくっている。シェードガーデンは”日陰の庭”という意味だ。

子どもを送って戻ってきたら、剪定ばさみを手に、アナベルやオルレア、ツリージャーマンダーなどを切る。スモーキーな硝子の花瓶に入れて玄関へ。
「カッティングガーデン」という考えが海外にはあるらしい。花屋に行かなくても自宅に花があふれるような庭づくり。
コスパよく収穫しやすいのがビオラやパンジー。

安いものなら数十円で買えて、大きくならずに1年で枯れるから、処分しやすくってベランダガーデンにもいい。しかも、晩秋から5月ごろまでずっと咲いてくれる。
茎がやわらかいからくたっとしてしまう。一輪挿しの壜に飾る。ジャムの壜でもいい。広口の壜に生けたいときは、テープを「#」の形に貼るとこんもりとしたブーケのように仕立てられる。
気づけば20種類以上のビオラを育てていた年もあった。いろいろ試してわかったのは、わたしは「淡くて、くすんだ、青みがかった色」が好きだということ。
ビオラには「ブランドビオラ」と呼ばれる高級なものもあり、曖昧な色合いがうつくしく、奥深くて沼に引きずり込まれそう。
シックにしたいなら、グレーの鉢に植えるといい。
100円ショップの素焼き鉢でも、グレーの屋外用塗料でざくざく塗ると急に高級感が出るのだ。
4.ひとりで美術館に行く
自転車に乗りにくい服を選んだ。
淡いココアブラウンのレーススカートだ。前の晩から、これを着ると決めていた。
はじめての”おひとりさま美術館”に挑戦するために、少しでもシックな服装をしてみようと思ったのだ。

子どもを送り届けたわたしは、各種交通機関をいろいろ乗り継いで遠出し、美術館の前に立っていた。
高松市美術館は、県内でも中心地にある。
最近、島に行くようになるまでは、ほとんど出かけたことがない地域だった。
目的は「エドワード・ゴーリーを巡る旅」という展覧会だ。
ひとりで美術館に行ったことはない。
絵を描くのは好きだけれど、観るのは得意じゃない。鑑賞というと、どうしたらいいのかさっぱりわからなかったのだった。
「おー」
「きれい」
「素敵」
そんな陳腐な感想しか出てこない。
でも「今しかない」という思いに後押しされた。
長女の「6時間授業の日」が増え、”外にいられる時間”がすこしだけ延びた。でも、次の春には長男が小学生になる。きっとまた、落ち着かない日々がやってくる。
1年生のころは子どもだけじゃなく、支えるわたしのほうも大変で、自分の時間どころか、仕事時間さえ怪しい日々を送っていたものだった。
だから、今年のうちに「子どもが少し大きくなったらやりたかったこと」をぜんぶやる。そう決めたのだ。
ひとりで美術館へ行くのもそのひとつだった。
わたしがまず行なったのは「エドワード・ゴーリー展」についての情報を集めることだった。note内での検索がとても役に立った。行った人の”生の声”がわかるのはありがたい。なお、行ったあとにもう一度読み返すと、答え合わせのような楽しさもあった。
次に、エドワード・ゴーリー本人についての情報をWebで集める。それから、高松市美術館についても調べていく。さらに近隣でいっしょに寄れそうなところなど。
中に入ると、壁に小さな絵がずらりと展示されていた。
まだ朝も早く、わたし以外にはほんの数人しか人がいない。自分のペースでゆっくり進むことができた。
回っているあいだ、視界に映るのはほんのふたりくらい。足音さえ大きく響くくらいの静けさだった。
原画はとても小さくて、その中に精緻なタッチで描かれているものだから、目を細めて、人相悪い感じになりながらじっくりと見つめた。
小さな絵、これが実際に書かれた原画なのだと思うと、すごく感慨深かった。まるで印刷したみたいに緻密なのに、修正した跡や貼り合わされた跡があるのを見て、なぜかぐっと来た。
展示室を出たわたしは、そこではじめてスマホを見た。1時間半が経っていた。まったくそんな感じがしなかったので驚いて、館内の時計と見比べた。合っていた。
来る前に想像していたのは、30分持つだろうか、ということだった。子どもと美術館へ行ったとき、夫と行ったとき──いずれも短時間で美術館をあとにしていた。
でも、観るペースは人によって違う。
そう考えてみると、ひとり美術館はかなり良いのかもしれないと思えた。
終わったあとにだれかと感想を共有できないことを除けば。
電車に揺られながら、少しずつ母に戻っていく。
夜に習い事があるからお弁当をつくろう。ごはんを炊いて、卵を焼いて。大人のごはんはどうする? 足りないものあったっけ。電車を降りたらスーパーによってお米を買わなくちゃ。
頭の中が急にうるさくなった。
美術館で過ごすことは、目の前の、今ここにあるものに集中して、静かな時間を取り戻すことでもあるのかもしれない。そんなふうに思った
5.海でぼんやりする
子どものころの朝の日課は、船探し。
窓の向こう、ずうっと遠くをゆく船を、眺めることだった。
少女時代の私の部屋は、3階にあった。
家の裏手へ10分ほど歩くと、そこはもう海。そんな街で暮らした。子ども部屋からは朝の光にきらきらと輝く海が見えた。
水平線に重なるような光は、デフォルメされたキラキラマークと同じようなかたちをしていた。
昼下がりから夕方にかけての時間が苦手だった。
やりたいことはたくさんあるような気がするのに、なんとなく手持ち無沙汰で、孤独感が芽生えることが多い子どもだった。
今思うと、当時の私には、やってみたいことを言語化するくせがなかったからだと思う。勉強にピアノやゲームといった日々のルーティンを終えるとなにもすることがなかった。
何かをしたいのに、動けない。時間を焦がしているような感じがいつもあった。そういうとき、頭のなかに砂時計を思い浮かべていた。自分の命の時間がさらさらと細く落ちていくなかで、こんなふうに時間をむだにしていていいのか、と。
わたしは子どものころからぼうっとすることが苦手だった。
この春から、月に1回ほど海に行くようになった。
頭が働かないとき。
妙に不安で胸騒ぎがするとき。
なにかをはじめたいけどそわそわするとき。
海に行くと、一歩進めることがある。
公共交通機関を乗り継いでいく。ふだんならスマホを見る。でもこういう日はなにも見ない。ただ揺れに音に身を任せるだけ。
海に着いてからも同じだ。
まっ白な砂浜に打ち寄せてくる波は、引いていく瞬間に、しゅわあ……と炭酸が抜けるような音がすることを知った。

港で過ごす時間も好きだ。ゆっくりと行き交う船。船上から手を振る人々のまばゆい感じ。

海が見えるところまで近づくと、赤褐色のくらげが揺れている。なんという名前だろう。調べてみると見た目のまま、アカクラゲ。
次にひとりで行きたいのは水族館。
今住んでいる場所の水族館は、イルカプールがそのまま海に接続されているような開放感がある。夫婦で出かけたとき、ここでぼんやり過ごす時間が贅沢に思えた。

遠くをいく大きな船を見ていたら、少女時代の、あの未来がずっと続いている感覚を思い出すことができた。
ぼうっとすることが苦手だからこそ、目で、耳で、手で。その場にあるものを掴み取ろうと思っている。そうしているうちに不思議と心がすっと軽くなるからふしぎだ。
6.ひとりで映画に行く
仕事でいやなことがあった土砂降りの朝、わたしは電車に飛び乗った。行き先は映画館。──きょうだけは、しごとをしない。こんな感情でいたら、よいものは書けないと思った。
きょうは、休息日。前に進むための通過点にする。
もう夏のはじまりだというのに、淡い灰色のブラウスをすり抜けるように風が肌を刺す。雨の日に人が集まるところ特有のすえた臭いが風に乗って運ばれてきた。
目的地につくまで、こころはずっと晴れずにもやもやとしていた。だからだろうか、傘をなくしたと気づいたのは、乗り換えを経て、目的地についたあとだった。
子どものレインコートを頭に乗せるようにして土砂降りのなかを歩いてきたものだから、スカートの裾がひどく冷たい。
映画がはじまるまで、まだ少し時間がある。
カフェでふだんは頼まないホットココアを頼む。
しごとはしないと決めたけど、書きかけの小説をすこしでも先に進めたかった。ほんの10分ほどパソコンに向かったあと、上映時間が迫っていることに気がついた。
家族と来るときは、ポップコーンにLサイズの烏龍茶が定番。
その日はホットのカフェラテを選んだ。ママ友と映画に来たとき、彼女が飲んでいて、「そうか、烏龍茶以外の選択肢もあるのか」と知ったのだった。
映画が終わった。館内が明るくなった瞬間、横のほうから「よかった……」という声がこぼれた。二人連れの女性が映画の感想を話し合っている。
余韻に浸りながら帰りの電車に揺られる。
移動と上映で半日近くつぶれ、重たいパソコンを持っていったのに、結局10分しか書けなかった。
でもそれでも、家に着くころにはこころが晴れていた。

7.日帰り旅行をする
ショルダーバッグひとつで旅に出た。
長い長い春休みが終わり、桜が散ったころの話だ。
子どもをいつもより早く幼稚園に送り届けたわたしは、自転車を急がせた。急がないと間に合わない。公共交通機関をいくつも乗り換え、そこから全力で走って、なんとか高松港にたどり着いた。
船の出港まであと10分──! 急いでチケットを買い、赤と白のしましまもようの船に乗り込んだころにはすっかり肩で息をしていた。

ややあって、船が出港した。
中心地の街並みが、見上げるように高いビルが、大きなドームが、どんどん遠ざかっていく。すこしだけ不安になった。──母親なのに。まるで悪いことをしているような。
周りには外国語が飛び交っている。女子大生たちが踊りながら動画を撮っている。すでに非日常感があった。
手すりの下には深い深い海が広がっている。

くらげが、小魚が、時おり透けて見える。船の上は風が強くて、視界が自分の髪の毛でいっぱいになった。
その隙間から、もう島が見えている。
こんなに近いんだ──。
去年ママ友と話したことを思い出す。
「またいのししが出たんですね。ニュースを見たら中心地だとか。びっくりしました」
「それはね、いのししが海を泳いでくるからなんですよ」
「海を……?」
「中心地──高松港の近くに島があるんです。そこから泳いでくるそうですよ」
島に上陸するまで、たった20分の船旅だった。
港からは先ほどまでいた場所──高松の中心地の街並みが見える。

人の波に流されるようにして降りた。
バスがくねくねした山道を進んでいく。ここには人工の洞窟があり、桃太郎伝説の”鬼ヶ島”ではないかと考えられている。
洞窟に一歩足を踏み入れると、急に冷え込んだ。
靴の裏にはじゃりっとした感覚。まるで蟻の巣に迷い込んだみたいだ。それぞれに部屋の用途が書かれている。
手帳かなにか持ってくればよかった。思いついたことを書き留めておきたい──。
帰りの船では、外ではなく船室に入ってみた。
たくさん歩き、疲れてうとうとしているうちに、港に着いていた。ここからまた乗り継いで帰らなければいけない。
家に着いてから30分後、娘が帰ってきた。
「おかえり」
わたしはそう言って娘を迎えた。
いつかきっとやってくる「真夜中に卵スープをつくる日」に備えて
23時になってもねむらずに騒いでいる子どもたちに雷を落としたあと、仕事がなかなか進まずにふと立ち上がる。くの字になって眠る息子に、きっちりとふとんをかぶってねむる娘。
そのふっくらした頬をそっと撫でる。
静謐な夜になってはじめて、わたしは今日1日を悔いる。子どもたちといっしょに過ごせる日々には限りがある。砂時計がさらさら落ちるように、朝が来るたびにそれは減っていく。
だからいつかきっと、後悔する。子どもたちが巣立ったあとに。
あのとき、もっと向き合ってあげればよかった。そんなふうに泣きながら過去を偲んで、真夜中に卵スープをつくる日がくるのだろう。
わかっている。
子どもたちが乳飲み子だったころ、抱っこ紐の中の子どもを無遠慮に撫で回し「今を大事にしなさい」と言ってきたおばあさんがいた。そのときは苦笑いした。内心では「今がつらいんだよ」と思っていた。
けれども、子どもたちが小さかったころの写真を見るたびに、抱きしめてあげたくなる。
どうしてわたしは、あんなにもいっぱいいっぱいだったのだろう。
でも、もしわたしが過去にもどったとしても、きっと過去は変わらない。だって、ひとりきりで子どもに向き合い、家のことをやり、仕事を進めるのは、わたしの容量を超えているからだ。
多少大きくなったって、子どものいる日々は、ままならない。
床にばらまかれたおもちゃや絵本を拾い集める。ほとんど1日中キッチンに立っている気がする。やるべきことをやらない子どもたちにやきもきし、送迎のために何度も自転車を走らせる。
そんな賑やかな日々の中でひとりの時間がほしくてたまらなくなった。
仕事もあるから月に数回、平日の午前中に自分だけの時間を持つようにしてみた。
すると、ふっと呼吸が通る感じがあった。
そういう日は、怒りの沸点が低くなりにくい。
あの春の日、島からもどってきたわたしは、手を洗ってすぐにキッチンに立った。
小さな硝子のボウルに砂糖とみりんを入れてよく混ぜた。
それから冷蔵庫からたまごを2つ取り出す。くぷり。割り入れる。桃みたいに重なって艶めく卵黄に、キッチンの後ろから差し込んでくる夕日の橙色が滲むように映り込んでいた。箸を刺す。しゃっ、しゃっと手早く混ぜていく。いつのまにか卵は淡い黄色に変わっている。
サラダ油をひいた四角いフライパンに流し込んで巻く。それを何度もくり返す。取り出してキッチンペーパーで包んですこし馴染ませる。
お弁当箱にわかめごはんと、焼いた鮭と、玉子焼きを詰める。偏食じゃない娘には、作りおきの野菜おかずもカップに詰めて。
ふたりが帰ってきたら習いごとの送迎だ──。
ひとりの時間を過ごすと、やるべきことが普段より捗る。タイムリミットができるからだと思う。そういう日は、疲れていても、子どもたちと絵を描いたり、おりがみをしたりする時間も生まれた。
ほかの人からみたら”母親らしくない”かもしれない。
でも、それでもだれにも頼れないわたしは、ひとりの時間を大事にしたいと思う。
子どもたちが帰ってきたときに笑顔で「おかえり」と言えるように。
寝顔を見て後悔する夜を、一日でも減らすために。
そして、いつかきっとやってくる「真夜中に卵スープをつくる日」に備えて──ひとり時間だって楽しいということをこの身に沁み込ませておくのだ。
【了】
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