【ファンタジー小説部門】『√365』│雪がやんだら、あの子と
▼このお話は『√365』の一部です。「序章」を読んでいただければ、あとはどこからでも1話完結で読めます。
キッチンの小窓の向こうに、しんしんと雪が降っている。
今夜は積もりそうだ。数百メートル先のお隣さんの生け垣のうえには、大きな白い帽子ができている。
空も雪も青みがかった灰色でコントラストがほとんどない世界。
幻想的で、けれども、一方で不安な気持ちにさせられる。まるで、閉じこめられているような気分。
わたしは生まれ故郷から出たことがない。
地元の大学に進み、そこで出会った人と結婚した。実家からは車で1時間くらいで着く隣の市で暮らしている。
見慣れたお正月の風景から視線を手元に落とす。
鍋の中には、輪切りにしたさつまいもが、くつくつと揺れている。
「ママ、これ」
年賀状の仕分けをしていた娘が、クレヨンで犬の絵が描かれた年賀状を手に、うれしそうにやってきた。2年連続で同じクラスの、彩芽ちゃんという子から届いたものだ。
娘は「見てよ」「見て見て」と、何度も、犬の絵を見せてきた。
「よかったね」
くちの端を、がんばって、上向きにする。──彩芽ちゃんは、母親にそっくりだ。
「これ、ママの」
娘が手渡したのは、”彩芽ちゃんママ”から私への年賀状。「ありがとう」と気乗りしないながらも受け取る。
娘がいなくなってから、目を落とす。
そこに描かれていたのは、見覚えのある文字。
丸っこい部分が必要以上に大きい「あ」や、横画と縦画を2cmほど離して書かれている「け」。
そうした文字たちが、1文字ずつを上下にずらすような配置で並んでいた。
14歳のころ、新しいクラスになって最初の数ヵ月だけは、よく授業中に回してくれていた手紙と、同じ文字──。美里とあんな形で出会うとは思っていなかった。
娘の入園式でのことだった。
だれかにいきなり飛びつかれた。ぎょっとして見ると、かなり明るい茶髪に、バサバサしたまつ毛をした美人だった。それが美里だと気づくまで、少し時間がかかった。
二度と会いたくない人が、親友のようにほほ笑みかけてくる。
美里はあれからずっと、中学時代に一度も呼ばれたことのない下の名前で、私を呼ぶ。いつも駆け寄ってくる。
彼女のあまりにも嬉々とした表情に、彼女への悪感情を未だに捨てきれずにいる私のほうが加害者なのではという錯覚さえ覚えた。
何事もそうだけれど、やったほうは覚えていないのだと思う。
誰のせいであんなみじめな学校生活を送ることになったのか、その記憶がすこんと抜け落ちているのかもしれない。
あのときは「逃げる」という選択肢があったけれど、今度はそうもいかない。
私がしっかりしなければ、娘がいやな思いをすることだってあるかもしれない。私のトラウマを理由に、子どもの交友関係を制限するのもいやだった。
さつまいもに、竹串を刺す。すうっと通るようになったのでザルに上げ、くちなしの実も取り出しておいた。
それからハンドブレンダーでつぶす。
これは去年購入したもので、それまで毎年、一生けんめい裏ごしをしていたので、短時間にとろとろとなめらかになることに感動さえ覚えた。
「ママ、まだ?」
娘が催促にくる。
この年末は慌ただしくて、栗きんとんを作れなかったのだった。私自身の好物でもあるけれど、娘の強い希望で、こうして元日からせわしなく動いている。
「彩芽ちゃんママ、すき。かわいい」
年賀状を指差して、娘が言った。胃がきりきりと痛む。私の中には、美里がわたしに向けた、三日月みたいな目と嘲笑が残っている。
でも一方で、今の美里に惹かれている自分もいるのだった。
派手な見た目に反して家庭的なところ、そして、思ったことをはっきり口にする、強さ。
この間、園にお迎えに行ったとき、ほかのお母さんが娘のことを話していた。娘は、言葉が遅い。もうすぐ年長になるのだけれど、言っていることが聞き取れなかったり、かんたんな言葉しか発語しないことがある。
それを、……いろいろと言っていた。
私は彼女たちのいる駐輪所の裏側で、それを聞いてしまった。
指先から冷たくなっていくような感覚に動けずにいると、美里がずんずんと肩を怒らせて歩いていく。
私を見て一瞬、泣きそうな顔をして、それから駐輪所の裏側へ突っ込んでいった。
「彩芽ちゃんママが急に、言いがかりをつけてきたんですぅ」
そう言ってさめざめと泣く、おっとりした黒髪のママの言い分が、先生たちには信用された。
できあがった栗きんとんをスプーンですくって、口に運ぶ。甘い。母の味と同じになっている。こういうことをしていると、自分も母になったのだな、とふと実感する。
美里にこころを許すことは、今はまだ、できない。
でも、必要以上に避けるのも、逆に無理していきなり仲良くしようとするのもやめる。
過去のことを一旦忘れて、今の彼女と向き合ってみよう。
いつの間にか雪がやんでいた。
雲のすき間から差し込む光が、手元に落ちてくる。栗きんとんの蜜の中できらきらと光っていた。
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