自分をきらいになりそうな人のために、10年叫んでいる。


”妻”になったばかりのころ、毎日、遠回りして帰っていた。
家に帰りたくなかったからだ。
そうしていつしかずっしりと太ったビニール袋を両手に抱えて、手がちぎれそうな重たさに頭のなかで泣き言を言いながら、夕方の東京の街を静かに歩いていた。
道行く人たちは皆、都会のひとらしく、ヒールをかつかつと鳴らして足早に帰っていく。後から来たひとにもどんどん追い越されながら、一歩いっぽのろのろと歩いていた。
家路の途中にある横断歩道をわたれば済むはなしなのに、むだに歩道橋のうえを通ったり、ビオトープのように造られた小道に寄ったりして、少しでも家に着く時間を伸ばそうとしていた。
ビルの向こうに夕日が落ちていくのを見て、無性に泣けた。
エレベーターが7階につく。
ため息をつきながら鍵を開ける。そこに広がっているのは、ほとんど足の踏み場もない部屋──。
勉強や運動は「得意不得意があるよね」と思ってもらえるのに、どうして家のことにはそれがゆるされないのだろう。
結婚したばかりのころ、わたしのこころはいつでも酸欠だった。
水槽の外に落ちてしまった金魚みたいに。そしてそれが自業自得であるゆえに、なにも責めることができず、代わりに自分自身を責め続けた。
けれども夫に責められると、噛みつくように「わたしは悪くない!」と叫んだ。
矛盾したふたつの感情に苛まれて、とても苦しい日々だった。
この状況から抜け出したい。だれか助けてほしい。そう思っても、時間もお金もなくて。
手探りでやるしかなかった。
紆余曲折を経て、わたしは家事の本を出版する。
この夕景から5年ほどあとのことだ。

なんとか自力で部屋を片づけ、整理収納アドバイザーの資格を取ったわたしは「365日のとっておき家事」と名づけたブログを開設した。
「とっておき家事」と名づけた試みでは、1年間で365個の”ちょっとだけ特別な家事”をしていく。
毎日ひとつずつ、暮らしに向き合う様子をのせていった。
はじめは一人も読者がいなかった。
諦めずに続けていたら、数ヵ月が経ったころには、1日に8,000回以上もクリックされるようになっていた。
当時、1歳の子どもをワンオペで育てていた。
夫は激務で毎日終電。子どもがねむったあとに、真っ暗な部屋で、パソコンの光だけを頼りに明け方まで仕事をする日々だった。
本を出しても仕事が増えても、その合間に、予約投稿をうまく使いながら毎日ブログを更新するのも忘れなかった。
気づくと仕事を減らしてまで書いていた。
ほとんどお金の入らないブログを優先したのは、結婚したばかりのわたしのようになすすべもなく立ち止まっている人に、届けたかったからだ。

10年が経った。
環境が変わり、時代も変わった。
それに適応するには力不足だったようで、仕事はゆるやかに減っていった。
今年のお正月、はじめて、ブログを更新しなかった。
10年間完走したところで、”毎日書く”のをやめたのだった。
お雑煮をつくっているときも、年明けうどんを食べているときも、どこか落ち着かない気持ちがあった。
それくらい、わたしの生活に浸透していた。
けれども一方で、ちがう変化もあった。
「ブログを毎日書く」
そのルールをやめたら、ふっと心が楽になった。思っていたよりずっと気を張っていたらしかった。
はじめたばかりのころ、短くシンプルだったブログは、メールボックスに届く読者の方たちの意見をすべて反映していくうちに、たった1日分で30分~2時間もの執筆時間がかかる内容へと変化していた。
「連載のように記事を分けないでください。見にくいんです」
とっておき家事には、濃度の差がある。
たとえば「いつもと違う料理家さんのレシピを試してみた」日のようなシンプルな家事の日。
大幅な収納見直しの日。ひと部屋の収納の中身をすべて出して、処分するものを検討し、ひとつずつラベリングをし、戻していく。その過程で微調整をする。
そんな濃度の差を気にせずに「1日」にまとめなくてはいけなくなったことが、かなりわたしの首を締めていた。
「役に立つことだけが知りたいです」
失敗したことは、役に立たない。
生活の実験を載せたかったはずなのに、試行錯誤を重ねたうえでの成功体験しか載せられなくなっていた。
「そのやり方は、ひまな主婦だからできることであって、働いているわたしにはできません」
さらに自分のやり方を載せたあとに、わたしのようなフリーランスではなくて、外で働く人の場合はどうしたら良さそうなのかも考えて書く必要が出てきた。
でも、家庭によって、家族構成もパートナーや家族の協力具合も、間取りも収入も、趣味嗜好もぜんぶ違う。
すべての人に当てはまるやり方なんて、あったのだろうか。
ほかにも、もっともっと。
「ここが駄目」というメールはたくさん届いた。
応援してくれたひと、温かい言葉をくれたひとは数え切れないくらいいたのに、どうしても、「できないこと探し」ばかりがこころに残り、更新はだんだん大変になっていった。

毎日更新をやめたわたしは、せっかくの「できたこと」を忘れるのが勿体なくって、Xで「とっておき家事」をちまちま発信することにした。
もう、
写真が映えるかどうか
詳しい図解になっているか
ていねいでかつボリュームのあるわかりやすい文章になっているか
といったことを気にしなくてよかった。
写真がなくてもいい。
失敗したものも、没にせずに載せた。
すると、たったの2週間で「50個」もとっておき家事をしていたことを知った。
できたことの多さを知ったら、もっとやる気が出た。
そうして思った。
わたしがやりたかったのは、こういうことだったのではないか、と。

数年前から「家事をどうやめるか」に焦点を当てた考えを多く見かけるようになった。
それはそれで大切なことなのだけれど、わたしはこう提唱したい。
「できたことを探そう」
「やらない」のは引き算だ。
それにはたしかに大きな意味がある。
わたしも実際に取り組んだ。効果も実感している。
でもそれだけじゃなく、"足し算"もしてみないかという提案。
暮らしの中から"できたこと"を、ざくざく掘り出す。記録する。
それは確実に、自分の財産になる。
自信になる。
わたしには少なくとも、10年間で「3,653個」のできたことがある。
だから、この10年間を振り返ってみると、とんでもなく辛くて苦しかった日もいくつかあったのに、ひっくるめてみると「たのしかった!」「幸せだった!」「がんばった!」と思えるのだ。
それは「できたこと」をカウントしてきた結果だと思っている。

一昨年から1年間、絵の講座を申し込み、216時間勉強した。
5、6年前から「コミックエッセイ」というかたちで、声を届けられたらいいと思っていたのだ。
きっかけは、1通のメール。
そこには、ブログや本をいつも読んでくださっていることと、文字を読むのが苦手な特性があるそうで、目がすべり、何度もくり返し読んでいるという悩みが綴られていた。
もっとわかりやすいかたちはないだろうか。
そう思ってたどりついたのが、漫画だった。
絵そのものは好きで、挿し絵のお仕事もしたりしていた。けれども、得意なのは花や雑貨の絵。
デジタルイラストなんて一度も描いたことがなく、人の身体すら描けない状態だった。
そこからはじめて1年。
まだまだ拙いし、絵柄もいまだに決まっていないながらも、形にはできるようになってきた。

文章を読むのが苦手なひとにも届けられる。


ある夕方、たまたま通った道の雰囲気が、東京のあの街に似ていた。
整備された歩道を囲むように街路樹が並んでいる。
風の強い日だった。前からの風が前髪をかきあげ、額をあらわにした。漕いでも漕いでも進まない。
ふと街路樹に目が止まる。
東京の部屋で暮らしていたとき、わたしはいつでも酸欠になったように苦しかった。「こうありたい」という自分の姿があるのに、そこから遠くかけ離れているのが情けなかった。
きっと、同じように思っているひとは、日本のあちこちにいるのだと思う。
綺麗な部屋が好きなのに、意思に反して散らかっていく。
だれにも頼れずにひとりでがんばっている。
やることが多すぎて押しつぶされそう。
日に日に自信がなくなり、自分がきらいになっていく。
ドアを開ける前に泣きたくなる。
わたしはきょうも手を動かし、絵を描き、言葉をのせて、このnoteの海に送り出している。
──「できたこと探し」で呼吸しやすくなることを伝えたくて。
▼10年ブログを書いてどう変わったのかはこちら。
▼「できたこと探し」をはじめとした、10年で見つけた家事への向き合い方のなかから100個を厳選して無料で紹介した記事はこちら。
3万字の大ボリューム。
これを少しずつコミックエッセイに仕立てていこうとおもっている。
▼ブログの毎日更新をやめたわたしは、週1更新と合わせて、手元に残る冊子を届けることにした。企画・デザイン・執筆・編集・挿し絵までほぼすべてひとりで作成。
▼経歴やお仕事歴、お仕事依頼はこちらへ。
いいなと思ったら応援しよう!
最後までお読みいただき、ありがとうございます♡