見出し画像

人間って時に、驚きを持って思う所がある

私たちの日常は、穏やかな水面のように静かに流れていく時間と、予期せぬ石が投げ込まれ、波紋が広がっていく時間とで織りなされている。
その石の多くは、他者との関わりの中で生まれるものだ。
そして、その波紋の中心を見つめた時、私たちは時に、人間という存在そのものの不可解さや奥深さに触れ、驚きと共に立ち尽くすことがある。
信じていたはずの世界が、まるで薄紙一枚を隔てた向こう側に、全く別の顔を持っていたと知るように。
それは、心地よい驚きばかりではない。
むしろ、心の根幹を揺さぶるような、痛みを伴う発見であることの方が多いのかもしれない。
人間は自分が一番大事な生き物だ。
その冷徹な事実を、私たちは人生の様々な局面で突きつけられることになる。


✅それは嘘をつかれているのかもしれない

振り返ってみると、人生には涙を流すほど悔しい場面が幾度となくあった。
信頼していた上司からの裏切り、親友だと思っていた相手から広められた根も葉もない噂、愛を誓ったはずのパートナーの偽り。
そのどれもが、鋭利な刃物のように心を深く傷つけた。
しかし、最も心を抉るのは、裏切られたという事実そのものよりも、彼らがその嘘を守るために、さらに新たな嘘を重ねていく姿を目の当たりにする瞬間だ。

彼らの瞳には、もはや罪悪感の色はない。
そこにあるのは、自らが築き上げた虚構の世界を守り抜こうとする、悲しいほどの必死さだけだ。
一つの嘘は、それを補強するための次の嘘を呼び、嘘は雪だるま式に膨れ上がっていく。
その過程で、かつて共有したはずの時間や信頼、温かな記憶までもが、彼らの嘘を塗り固めるための材料として無残に消費されていく。

こちらが差し伸べた和解の手は振り払われ、真実を求める声は異物として排除される。
彼らにとって、自らの非を認めることは、築き上げた自己という名の砦が崩壊することを意味するのだろう。
だから彼らは嘘をつき続ける。
まるでそれが、唯一の生存戦略であるかのように。
その姿を見ていると、怒りや悔しさを通り越して、一種の哀れみすら感じることがある。
嘘という名の鎧で自身を固めなければ生きていけないその弱さに、人間という生き物の持つ、どうしようもない業のようなものを感じるのだ。
その業によって、誰かの心が引き裂かれていることにも気づかないふりをして。

✅ダマされないためにすること

では、私たちはこのような心の痛みから逃れるために、どうすればいいのだろうか。
「ダマされないようにする」という言葉は、実に用心深く、そして孤独な響きを持つ。
他者の言葉の裏を読み、行動の真意を探り、常に疑いのフィルターを通して世界を見る。
確かに、そうすることで、ある程度の裏切りは未然に防げるのかもしれない。
相手の矛盾をいち早く見抜き、深く関わる前に距離を置くことができるだろう。

しかし、それは本当に「生きる」ことなのだろうか。
疑心暗鬼という名の分厚い壁を自らの周囲に巡らせ、誰もその内側に入れないようにすることは、外部からの攻撃を防ぐと同時に、自分自身を孤独な牢獄に閉じ込めることにはならないだろうか。
他者からの温かな光も、優しい風も、その壁に遮られて届かなくなる。
傷つくことを恐れるあまり、愛すること、信じることの喜びまでをも手放してしまうのだとしたら、それはあまりにも寂しい。

だから、「ダマされないためにすること」とは、相手の嘘を見抜く技術を磨くことではないのだと思う。
それは、自分自身の心の軸を、誰にも揺るがされないほど強く、しなやかに育てることではないだろうか。
他者の言動に一喜一憂し、自分の価値を他者の評価に委ねるのではなく、自分の中に確固たる価値基準を持つこと。
何が真実で、何が偽りか。
それを最終的に判断するのは、他の誰でもない自分自身であると知ることだ。
たとえ誰かに嘘をつかれ、裏切られたとしても、「それでも私は、私の信じる道を進む」と静かに決意できる強さ。
それこそが、嘘や裏切りという名の濁流に飲み込まれず、自分自身であり続けるための、唯一の術なのかもしれない。

✅人間でいる限りそれはある

結局のところ、私たちはこの問いから逃れることはできない。
人間として生まれ、他者と関わりながら生きていく限り、嘘や裏切り、それによって生まれる心の傷は、避けられないものなのかもしれない。
なぜなら、私たちは誰もが不完全であり、弱さを抱えているからだ。
自分の過ちを認める勇気が持てない時、失うことへの恐怖に耐えられない時、守りたいプライドがある時、人は嘘をつく。
それは特別な悪人だからではない。
ごく普通の人間が、その弱さゆえに、いとも簡単に嘘の側に立ってしまうことがあるのだ。
そして、それは他ならぬ自分自身にも当てはまることなのかもしれない、という冷たい可能性から、私たちは目を背けることができない。

そう考えると、人生とは、傷つき、その傷を癒し、そしてまた誰かと関わっていく、その繰り返しの連続なのだろう。
一度負った傷は、完全に消えることはないのかもしれない。
しかし、その古傷は、いつしか自分だけのかけがえのない模様となり、他者の痛みを想像するためのよすがとなる。
雨が降った日に古傷が疼くように、誰かの悲しみに触れた時、自分の心の奥深くが静かに共鳴する。
その痛みを知っているからこそ、差し伸べられる優しさがある。

だから、私たちは生きていくしかない。
時に騙され、心に深い傷を負いながらも、その傷跡を抱きしめて、自分の生き方を問い続けるしかないのだ。
その傷は、決して敗北の証ではない。
むしろ、他者と真剣に向き合おうとした証であり、信じようと努力した勲章なのかもしれない。
私たちは、その無数の傷跡によって、少しずつ人間としての深みを増していくのではないだろうか。

そして、ふと思うのだ。
これほどまでに脆く、不完全で、時に残酷でさえある人間を、それでもなお愛おしいと感じてしまうのはなぜなのだろう。
私たちは、嘘と真実、強さと弱さ、優しさと残酷さの狭間で揺れ動きながら、その矛盾を抱えたまま、それでも誰かと共に生きていく道を探し続ける、不器用で、そしてどうしようもなく健気な旅人なのかもしれない。
その旅の終わりに何があるのかは誰にも分からない。
ただ、その問いを抱えながら歩き続けること自体に、生きる意味があるのではないだろうか。


✅LINE公式アカウント

心を整える事のご相談、家事育児の悩みのご相談は
LINEでご連絡くださいね。
😊


✅お知らせ

りんだーくの定期マガジン【エッセイ集】を発行しました。
毎日更新のこの記事よりも、より細かく人生の生き方のコツや日々思った事を書いたエッセイを書いています。
気になる方はこちらをどうぞ。
りんだーくの定期マガジン【エッセイ集】


✅合わせて読みたい


✅インフォメーション

🐰X(旧Twitter)(フォローお願いします😊)
🐰Instagram(見に来てね😊)

📖Blog
 🔹主夫の楽しい生活Blog(主夫が楽しく暮らすあれこれのBlog)
 🔹
リン☆だあくの家事MAX(主夫になりたい人を応援するBlog) 
 🔹
リン☆だあくの副業術(主夫をしながらでも副業をやる情報のBlog)

🔵お仕事依頼(グラフィックデザイン)
🔵お知らせ
🗺サイトマップ


🙌サポートして頂けると飛び上がって喜びます!😍

#エッセイ #コラム #生き方 #毎日更新 #毎日note #楽に生きる #楽しく生きる #人生 #短編小説 #物語

いいなと思ったら応援しよう!

りんだーく@📖note連続更新1000日以上達成❗ ✅よろしければサポートお願いします❗ 毎日更新の励みになります😊 頂いたサポートは、毎日の活動費(スタバ代など)に大切に使わせていただきます❗❗これで、スタバでコツコツ記事を書くことができますー。ありがたいです。🙏