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人の話こそわたしの宝物だったりしている

たしは、人の声を聴くのが好きだ。

雑踏を歩けば、すれ違う人々の会話の断片が耳に飛び込んでくる。
カフェで本を読んでいても、つい隣のテーブルで熱っぽく語られる議論に意識が引き寄せられてしまう。
ポッドキャストからは日夜さまざまな専門家の見解が流れ込み、書店のイベントスペースでは、作家が自身の作品に込めた想いを訥々と語る。
そのすべてが、わたしにとっては何物にも代えがたい栄養であり、世界を彩る絵の具のように感じられる。

なぜ、これほどまでにわたしは「聴く」という行為に魅了されるのだろう。
それはきっと、自分一人では到底見ることのできない景色を、他者の「声」という窓を通して垣間見ることができるからだ。
わたしは、その窓を一つでも多く持っていたいのだ。


✅フィルターを外す勇気


生きていれば、自然と自分の「好み」や「信条」が形作られていく。
それは、膨大な情報が溢れるこの世界で、自分を守り、効率よく生きるための知恵でもあるのだろう。
しかし、わたしはその「フィルター」を持つことに、一種の恐れを抱いている。

一度「わたしはこう思う」という確固たるスタンスを決めてしまうと、その瞬間から、世界はとてもシンプルになる。
自分の意見に合う情報は心地よく響き、合わない情報はノイズとして処理されるか、あるいは最初から視界にすら入ってこなくなる。
それは楽なことかもしれないが、同時に、どれほど多くのものを取りこぼしていることだろうか。

わたしは、考え方を偏らせたくない。
そうなってしまうと、頭に入ってくる情報が劇的に少なくなることを知っているからだ。

例えば、ある社会的な論争があるとしよう。
賛成派の集会にも、反対派のデモにも、わたしは足を運ぶ。
賛成派が語る未来への希望と論理的な正当性。
反対派が訴える現在(いま)の痛みと守りたいものの尊さ。
どちらも、それぞれの場所で、紛れもない「真実」として語られている。

わたしは、そのどちらか一方に肩入れすることなく、ただ「なるほど」と頷きながら双方の声を聴く。
「Aという意見があり、同時にBという意見もある」。
その事実そのものを、ジャッジすることなく自分の中に受け入れる。
それは、自分の受信機を常にフラットな状態に保っておくための、意識的な訓練でもある。

偏見や先入観という名の色眼鏡を外すこと。
それは時として、自分の足場が揺らぐような不安を伴う。
だが、それこそが、世界の複雑さと豊かさをありのままに受け取るための「勇気」なのだと、わたしは信じている。

✅知のコレクションがもたらす満足


わたしの週末のスケジュール帳は、いつも小さな文字でびっしりと埋まっている。
新進気鋭の哲学者の講演会、地域活性化を語るワークショップ、マイナーな国の文化を紹介する交流会、あるいは、単なる趣味の合う仲間が集う読書会。

わたしは今日も、そうした「場」に赴き、新しい情報を手に入れる。

インターネットで検索すれば、どんな情報でも瞬時に要約された形で手に入る時代だ。
しかし、わたしが求めているのは、そんな無味乾燥なテキストではない。
わたしが聴きたいのは、生身の人間の口から発せられる、熱量を持った「声」だ。

言葉に込められた確信、ふとした瞬間に揺らぐ瞳、説明の合間に挟まれる個人的なエピソード。
そうした、ネットニュースの行間からはこぼれ落ちてしまうものすべてが、わたしにとっての「情報」だ。

「こんな考え方があったのか」
「世の中には、こんな生き方をしている人がいるのか」

その驚きと発見が、わたしの内側にある無数の引き出しを一つ、また一つと満たしていく。
まるで、世界に散らばる希少なコインや美しい切手を集めるコレクターのように、わたしは多様な「意見」や「視点」という名の宝物を集めている。

このコレクションが増えれば増えるほど、世界は単純な白黒では割り切れない、無限のグラデーションを持っていることに気づかされる。
そして、その複雑さを知ること自体に、わたしは深い満足を覚えるのだ。
今日もまた、わたしのコレクションに新しい「声」が加わった。
その充足感に浸りながら、わたしは帰路につく。

✅わたしの「声」はどこにある?


こうして集めてきた、たくさんの「声」。
それらは確かに、わたしの宝物だ。
わたしの内なる博物館には、ありとあらゆる立場からの、ありとあらゆる意見が、大切にファイリングされ、陳列されている。
偏らないように、フラットであるように努めてきた結果の、誇るべきコレクションだ。

わたしは、多くのことを「知っている」。
Aの正しさと、Bの悲しみと、Cの怒りと、Dの諦観を。
だから、どんな話題を振られても、「いろんな意見があるよね」と、賢明な傍観者のように微笑むことができる。

けれど、ふと、真夜中に一人で静寂の中にいると、足元が崩れるような感覚に襲われることがある。

この、集めに集めた宝物を、わたしは一体、どうするつもりなのだろうか。

ただ整然と並べられたそれらを飽きず眺め、知的好奇心が満たされていくことに満足しているだけではないのか。
知識と情報は増えた。
世界は複雑だと知った。
だが、それで?

「いろんな意見がある」と知っていることと、自分が「どう在るか」を選ぶことの間には、深く、暗い谷が横たわっている。

わたしは、あまりにも多くの声を平等に聴きすぎたせいで、自分自身の「声」の出し方を、とうの昔に忘れてしまったのではないだろうか。
どの声にも一理あると頷きすぎて、自分の言葉で「否」あるいは「然り」と断言する力を失ってしまったのではないか。

聴くことに安住し、知ることに満足し、わたしは、誰かを傷つけることも、誰かに傷つけられることもない、安全なガラスケースの中から世界を眺めているだけなのかもしれない。

机の上に置かれた、明日参加するイベントのチラシが目に入る。
「未来の〇〇について語ろう」。
そこには、またわたしの知らない「声」があるはずだ。
わたしの足は、きっと明日もそちらへ向かうだろう。
まだ聴いたことのない宝物を、また一つ、コレクションに加えるために。

しかし、自問せずにはいられない。
その一歩は、本当に「知る」ための一歩なのか。
それとも、「選ばない」自分でい続けるための、巧妙な逃避の一歩なのか。

その答えはまだ、わたしがこれまで集めてきたどの「声」の中にも、見つかってはいない。


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