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わたしのゴールは自分で作れる

人は誰しも、漠然と「良く生きたい」と願うのではないでしょうか。
それは、富や名声を手に入れるといった具体的な成功とは少し違う、もっと根源的な欲求のように思えます。
道徳的に「正しい」とか、社会的に「正解」とされる生き方とも、また異なる。

私自身が強く惹かれるのは、「自分自身が、自分で自分に満足できる生き方」です。
他者の評価という揺らぎやすい物差しではなく、自分の中に確かな手応えを感じられるような生き方。
もし人生の最後に到達すべきゴールがあるとするならば、それは他ならぬ自分自身が設定したもの以外にあり得ない、と強く思うのです。

わたしの最終的なゴール、それは非常にシンプルです。
いつか来る最期の瞬間、死の床で、「ああ、楽しい人生だった!」と心からの満足と共に微笑んで、この世を去ること。
これが、わたしの理想とする到達点です。

壮大すぎる夢物語でしょうか。
しかし、私はこの理想を単なる夢で終わらせるつもりはありません。
そうした人間になれるように、このゴールを見据えながら、日々為すべきことをコツコツと積み上げていく。
その先にこそ、私が求める「満足」があると信じているのです。


✅死の床で微笑むために

「ああ、楽しい人生だった!」という最期の言葉。
これを理想に掲げることは、ある種の覚悟を伴います。
なぜなら、その「楽しさ」を採点するのは、親でも、友人でも、社会でもなく、他の誰でもない「自分自身」だからです。

私たちは往々にして、他者の期待に応えることを自らの目標と錯覚してしまいます。
社会が定義する「成功」や「幸福」のテンプレートに自分を当てはめ、そこから外れることに怯え、安住しようとする。
しかし、そうして得た満足は、本当に自分自身のものだったと言えるのでしょうか。
もし最期の瞬間に、誰かの期待に応えただけの人生を振り返ったとして、そこに「楽しかった」という純粋な実感を伴うかは甚だ疑問です。

人生が「楽しかった」かどうか。
その基準は、驚くほど曖昧で、個人的なものです。

ある人にとっては、大きな挑戦を成し遂げ、喝采を浴びた瞬間こそが「楽しさ」の頂点かもしれません。
またある人にとっては、家族と囲む穏やかな食卓、何気ない日常の繰り返しこそが、揺るぎない「楽しさ」の源泉でしょう。
どちらが優れているという話ではありません。
重要なのは、その「楽しさ」が、自分自身の魂の琴線に触れるものであったかどうか、です。

死の床で微笑むために必要なのは、人生の終わりに辻褄を合わせるための美しい思い出ではなく、生きている「今、この瞬間」の連続的な肯定です。
「これで良かったのだ」と、過去の自分、現在の自分、そして未来の自分をも含めて、丸ごと受け入れる感覚。
それは、究極の自己承認と言えるかもしれません。
他者にどう見られようと、自分自身が「これでいい」と思える瞬間を、どれだけ積み重ねられたか。
その総体が、「楽しい人生」を形作るのではないでしょうか。

✅何を積み上げ、どこへ向かうのか

ゴールが「満足のいく最期」であるならば、そこへ至る道筋は「日々の積み上げ」に他なりません。
しかし、私たちは一体、何を積み上げるべきなのでしょう。

知識でしょうか、富でしょうか、それとも人脈でしょうか。
もちろん、それらが人生を豊かにする要素であることは間違いありません。
けれど、それらを手に入れること自体が「楽しい人生」と直結しているかと言えば、必ずしもそうとは限らないのが人生の難しいところです。
どれほど多くを所有しても、心が満たされなければ、最期に「楽しかった」とは言えないでしょう。

私が積み上げたいと願うのは、スキルや資産といった目に見えるもの以上に、「自分に満足した」というささやかな、しかし確かな感覚の集積です。

例えば、困難な仕事から逃げずに向き合ったという小さな達成感。
誰かのために、見返りを求めずに行動できたという静かな充足感。
自分の内なる声に耳を傾け、他者の意見に流されずに決断できたという自負。
あるいは、美しい夕焼けを見て、ただ「美しい」と感じられる心の余裕。

そうした、ともすれば見過ごしてしまいそうな日常の断片を、一つひとつ丁寧に拾い集め、慈しむこと。
それこそが、私にとっての「積み上げ」です。
それは、未来の大きな成功のための「手段」というよりも、それ自体が「目的」となり得る、尊い行為だと感じています。

私たちは、遠いゴールばかりを見つめていると、足元の小さな輝きを見失いがちです。
しかし、人生とは「今」の連続です。
未来の「楽しかった」は、現在の「これでいい」という感覚なしには存在し得ない。
だからこそ、日々のコツコツとした積み上げは、ゴールへ向かう単調な作業ではなく、ゴールそのものを構成する不可欠なピースなのです。

✅『楽しさ』という名の、自作の物差し

「わたしのゴールは自分で作れる」。
この言葉は、私たちに絶対的な自由を与えてくれると同時に、重い責任をも突きつけます。
社会や他人が明確な「正解」を提示してくれた方が、ある意味では楽だったのかもしれません。
しかし、自分だけのゴールを設定するということは、その成否も、その評価も、すべて自分で引き受けるということです。

「楽しい人生だった」と言って終える。
その理想に向かって日々を積み重ねていく。

しかし、もし、その積み上げたものの先にある景色が、想像していたものと全く違っていたとしたら?
コツコツと努力した結果が、必ずしも望んだ通りの「楽しさ」に結びつかなかったとしたら?

私たちはその時、自分の人生を「失敗だった」と断じるのでしょうか。

もしかしたら、「ああ、楽しい人生だった」という言葉は、結果に対する評価ではないのかもしれません。
それは、ゴールテープを切った勝者の言葉ではなく、たとえ道に迷い、転び、回り道をしたとしても、その軌跡のすべてを「これで良かったのだ」と肯定する、旅人自身の言葉なのでしょう。

自分でゴールを作ると決めた瞬間から、私たちの人生は、評価される対象ではなく、ただ味わい尽くす対象へと変わるのかもしれません。
楽しいことも、苦しいことも、すべてが自分だけの物語を構成する要素として等しく価値を持つ。

あなたが今、積み上げているものは何ですか。
そして、その先に見据えているゴールは、本当にあなた自身が望んだものでしょうか。

私たち一人ひとりが持つ、その「楽しさ」という名の自作の物差し。
それこそが、この広大な人生という荒野を歩き続けるための、唯一の羅針盤なのかもしれません。
そして、その針がどちらを指していようとも、その旅路そのものを「楽しかった」と呼べるかどうか。
その答えは、最期の一呼吸まで、誰にも分かりはしないのです。


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