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体調と欲望と生きがいと

これは私の持論に過ぎないのだが、人間の体調と欲望、そして生きがいというものには、密接な相関関係があると思っている。
三者はまるで、ひとつの根から分かれた三本の枝のように、互いに影響し合いながら、私たちの人生という土壌に深く根を張っている。
どれか一本が枯れれば、他の枝も勢いを失い、根が弱れば、すべての葉が色褪せてしまう。
そんな、切っても切れない関係なのだ。

この考えは、机上の空論ではない。
私自身の心と体が、長い時間をかけて教えてくれた実感である。
かつて、うつ病という心の闇に囚われていた時期があった。
その頃の私は、まるで色のない世界に生きているようだった。
美味しいものを食べたいという食欲も、ぐっすり眠りたいという睡眠欲も、どこか遠い国の話のように感じられた。
誰かと会いたい、どこかへ行きたい、何かを成し遂げたい。
そういった、人が当たり前に抱くはずの欲望の泉が、すっかり枯渇してしまったのだ。
生きがいなんて、考える以前の問題だった。
ただ、灰色の時間をやり過ごすことだけが、唯一のタスクだった。

またある時は、バセドウ病という身体の病が私を襲った。
常に全力疾走しているかのような動悸と、際限のない倦怠感。
体は悲鳴を上げ、心を振り回した。
欲望を抱く以前に、ただ横たわって呼吸をすることだけで精一杯。
体がこれほどまでに重く、言うことを聞かないものかと絶望した。
この二つの経験を通して、私は痛感したのだ。
健やかなる体と心という土台があって初めて、私たちは欲望という名の花を咲かせ、生きがいという果実を実らせることができるのだと。


✅一病息災

「健康」という言葉を聞くと、私たちはつい、完璧な状態を思い浮かべてしまいがちだ。
一切の病気や不調がなく、一点の曇りもない心身。
しかし、そんな理想的な「健康」を維持し続けられる人が、この世にどれだけいるだろうか。
人生は長い。
その道程で、私たちは大小さまざまな病や怪我、心の不調と出会う。
それらを一切経験せずにゴールテープを切れる人間など、おそらく存在しない。

だから、私の言う「健康」は、少し意味合いが違う。
たとえ持病を抱えていても、症状が落ち着いていて、体が「楽」だと感じられる時間があること。
そして、心に湧き上がるささやかな欲望を、生活に支障なく満たしてあげられること。
それこそが、私にとっての「健康」の定義だ。
それはまるで、嵐が過ぎ去った後の、束の間の晴れ間に似ている。
雲間から差し込む光の暖かさや、濡れた地面の匂いを、嵐を知っているからこそ深く感じられるように、病を経験したからこそ、この「楽な状態」がどれほど尊く、かけがえのないものかが分かる。

「一病息災」という言葉があるが、これは真理だと思う。
一つの病を経験することで、私たちは自分の体を過信しなくなり、丁寧に労わることを覚える。
自分の体の声に耳を澄まし、無理をさせない術を知る。
病は、私たちから多くのものを奪うが、同時に、自分の限界を知り、健やかさの本当の意味を教えてくれる師でもあるのだ。
完璧ではない自分の体と、どうにか折り合いをつけながら、一日一日を穏やかに過ごしていく。
その知恵と覚悟こそが、人生を支える本当の意味での「健康」なのかもしれない。

✅欲望はよく見失う

体調が良い日には、実に様々な欲望が顔を出す。
「ああ、今日はあの店のラーメンが食べたいな」とか、「天気がいいから、少し遠くまで散歩してみようか」とか。
あるいは、「新しい本を読んで知識を深めたい」「誰かのために何かをしてあげたい」といった、もう少し高次な欲求も湧き上がってくる。
食欲、睡眠欲、知識欲、承認欲。
形は違えど、これらはすべて、私たちが「生きている」という紛れもない証なのだ。

しかし、この欲望というものは、驚くほど簡単に見失ってしまう。
激務に追われる日々、人間関係のストレス、そして予期せぬ体調の悪化。
そういった荒波に揉まれるうちに、私たちの心は感覚を麻痺させていく。
かつてあれほど求めていたはずのものが、どうでもよくなってしまう。
食事はただのエネルギー補給になり、睡眠は翌日のための義務になる。
心が疲弊しきると、何かを「欲する」という行為そのものが、途方もないエネルギーを必要とする重労働に感じられてしまうのだ。

うつ病の最中に失われたのは、まさにこの「欲する力」だった。
目の前に好物を並べられても、心が動かない。
美しい景色を見ても、感動が湧き上がらない。
すべての情報が、私というフィルターを素通りしていくようだった。
世界との間に、一枚の分厚い膜が張られているような感覚。
あの時、私は欲望を失ったのではなく、生きるエネルギーそのものを失っていたのかもしれない。
欲望とは、心身のエネルギーが満ち足りていて初めて、外の世界へと向かうベクトルなのだ。
だからこそ、私たちは、自分の内側から湧き上がるささやかな「〜したい」という声を、もっと大切にすべきなのだろう。
それは、あなたの心と体が、まだ生きることを諦めていないという、健気なサインなのだから。

✅生きがいとはなんだろう

体調が整い、心に欲望が芽生える。
では、その先にある「生きがい」とは、一体何なのだろうか。
大きな目標を達成することだろうか。
誰かから認められることだろうか。
それとも、後世に何かを残すことだろうか。
かつての私は、生きがいとは何か特別なもので、血のにじむような努力の果てにようやく手にできるものだと思い込んでいた。

しかし、心身のどん底を経験した今、少し違う考えを持つようになった。
生きがいとは、どこか遠くにあるゴールではなく、日々の暮らしの中に、まるで宝探しのように隠されている断片の集合体なのではないかと。

体調が優れず、ベッドから起き上がることさえ億劫だった日を思えば、自分の足で散歩に出かけ、季節の風を感じられること自体が、ひとつの奇跡だ。
食欲がなく、砂を噛むようだった食事を思えば、誰かと「美味しいね」と言い合いながら温かいものを食べられる時間は、何にも代えがたい幸福だ。
当たり前だと思っていた日常は、決して当たり前ではない。
その一つひとつが、健やかな心身という奇跡の上に成り立つ、儚くも美しい瞬間なのだ。

人生は、本当に長い。
穏やかな凪の日もあれば、すべてを投げ出したくなるような嵐の日もある。
体調が良い時も悪い時も、心が躍る時も沈む時もある。
そのすべての波を、良いも悪いも判断せず、ただ「今の私は、こうなのだ」と受け入れていく。
そして、体調の良い日には、心に湧き上がるささやかな欲望を、ひとつ、またひとつと丁寧に満たしてあげる。
美味しいコーヒーを一杯淹れる。
好きな音楽を聴く。
窓から夕日を眺める。

そうした日々の営みの繰り返し、そのプロセスそのものが、いつしか「生きがい」と呼ばれるものに姿を変えていくのではないだろうか。
特別な何かになろうとしなくてもいい。
ただ、自分の心と体に寄り添い、その声に耳を傾け続けること。
私たちの人生という旅は、もしかしたら、その壮大な目的を探すこと自体が、目的なのかもしれない。
そしてその答えは、いつも私たちの足元に、静かに転がっているのだ。


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