見出し画像

私という名の設計図 ~遺伝子検査が教えてくれたこと~

唾液を数滴、小さな容器に満たして送るだけで、自らの内に眠る壮大な“物語”が解き明かされる時代になった。
まるでSF映画のワンシーンが、日常に溶け込んできたかのようだ。

わたしはその「物語」を知りたくて、ある企業の遺伝子検査キットを注文した。
理由は、驚くほど単純だった。
——自分自身を、もう少しだけ深く理解したかったから。

長年、人生とは意志と努力の積み重ねで切り拓くものだと信じて疑わなかった。
頑張れば結果は出るし、気合が足りなければ失敗する。
そのシンプルな二元論の中で、わたしは自分を鼓舞し、時に追い立てるようにして生きてきた。

しかし、現実はもっと複雑で、ままならなかった。
原因不明の心や体の不調、どれだけ意気込んでも霧散してしまう集中力、青天の霹靂のように心を襲う落ち込み。
わたしはそれらすべてを「性格」や「気の持ちよう」「努力不足」といった言葉の引き出しに乱暴に押し込んできた。
自分が弱いからだ、甘えているからだ、と。

だが、心のどこかで、ずっと小さな声がしていた。
「本当に、それだけだろうか?」と。
まるで、自分の体でありながら、操縦桿の効かない乗り物に乗っているような、奇妙な不自由さが常にまとわりついていた。

送られてきた検査結果のWebページを開いた瞬間、その長年の疑問が氷解していくのを感じた。
画面に並ぶ無数の項目と数値。
それは、紛れもなくわたし自身を構成する情報でありながら、まるで初めて見る機械のスペックシートのようでもあった。
その時、直感的に悟ったのだ。
「ああ、これは“精神論”ではなく、“設計図”の話なのだ」と。


✅血に刻まれた系譜

「あなたの甲状腺ホルモン代謝に関わる遺伝子は、やや不安定なタイプです」

結果の一覧にあったその一行を読んだ瞬間、胸の奥が静かに、しかし確かに共鳴した。
止まっていた時計の針が、カチリと音を立てて動き出すような感覚。
過去の風景が、鮮明に蘇ってきた。

思い当たる節は、いくつもあった。
20代でバセドウ病を発症し、投薬治療とつらい副作用、そして寛解と再発を繰り返した日々。
動悸が激しく、夜も眠れず、理由もなく指が震えた。
体重は面白いように落ちていったが、心はまるで燃え尽きる寸前の蝋燭のように揺らめいていた。

あの時、医師は「ストレスが原因でしょう」とこともなげに言った。
わたしもそれを信じ、自分の心の弱さや環境のせいだと結論づけた。
けれど、心のどこかで腑に落ちていなかった。
同じようなストレスを抱えても、平然としている友人はたくさんいたからだ。
なぜ、わたしだけが?

その答えが、数十年を経て、画面上の文字列として目の前にあった。
ストレスはあくまで“引き金”であり、そもそも銃には弾が込められていたのだ。
わたしが生まれ持ったこの体は、甲状腺という器官が、外部からの圧力に対して繊細に反応しやすい“設計”になっていた。
それは、良い悪いではなく、単なる事実だった。

幼い頃、母がよく口にしていた言葉を思い出す。
「うちは、家系的に体が弱いからね」。
その言葉には、どこか諦めにも似た響きがあった。
わたしはそれを、非科学的な気休めか、あるいは一種の呪いのように感じていた。

しかし、遺伝子というプリズムを通して見ると、その言葉は全く違う意味を帯びてくる。
それは、単なる偶然の連鎖ではない。
祖父母から、父母へ、そしてわたしへと、数百年、いや数千年という時を超えて受け継がれてきた、生命の“配線”の延長線上に、今のわたしがいる。
あの体の弱さは、世代を超えて共有される、一つの特徴だったのだ。

自分の中に、遠い昔、同じように季節の変わり目に体調を崩し、胸のざわめきに不安を覚えたであろう誰かの欠片が息づいている。
それを知った瞬間、“個”としての自分の境界が、ふわりと溶けていくような不思議な感覚に包まれた。
私の苦しみは、決して私一人のものではなかったのだ。

✅欠点という名の才能

検査結果を読み進めるうち、わたしの内面を構成する“部品”の正体が、次々と明らかになっていった。

「ドーパミン受容体に関する遺伝子が、やや敏感なタイプです」

解説にはこうあった。
「刺激に弱く、飽きやすく、注意が散漫になりやすい傾向があります」。
思わず苦笑いが漏れた。
まさしく、わたしのことだ。

集中して一つの物事に取り組もうとしても、気づけば全く別のことを考えている。
机の上には、数ページで投げ出された未完のノートと、新たに思いついたアイデアのメモが、地層のように重なっている。
好奇心の赴くままに手を出し、すぐに熱が冷めてしまう。
そんな自分を、どれだけ「意志が弱い」「根気がない」と責めてきたことだろう。

だが、この結果は、新しい視点をくれた。
もしかしたら、わたしは一つの穴を深く掘るのではなく、“広く世界を拾い集める”ために、こう設計されたのかもしれない。
四方八方に伸びていく思考の枝、めまぐるしく変わる感情の波、常人なら見過ごすような些細な変化に気づく感度の良さ。
そのすべては、絶えず周囲を警戒し、新たな食料源や危険を察知する必要があった、狩猟採集時代の祖先から受け継いだ“探索の遺伝子”の現れなのかもしれない。
欠点だと思っていた特性は、生存戦略上、かつては優れた才能だったのだ。

さらに興味深かったのは、「アルコールに対する感受性が非常に低い」という結果だった。
つまり、分解能力が低く、いわゆる“下戸”の体質だということ。
この一文は、わたしの心に深く刺さった。

父が、そして祖父が、アルコール依存に苦しんだ記憶が脳裏をよぎる。
酒によって人格が変わり、家庭が不穏な空気に包まれた日々。
幼心に、なぜ彼らは飲むことをやめられないのか、なぜ家族を苦しめると分かっていて杯を重ねるのか、理解できなかった。
わたしはそれを、彼らの“意志の弱さ”や“だらしなさ”だと断じていた。

幸いにも、わたし自身はほとんど酒を飲まない。
それは、体質的に受け付けないからだ。
少し飲んだだけで気分が悪くなる。
わたしがシラフでいられるのは、強い意志があるからではない。
ただ、アルコールという毒素を分解できない“構造”をしていたからに過ぎない。

もし、わたしが彼らと同じようにアルコールに強い体質で、かつ、ドーパミンがもたらす報酬系(快感)に弱い設計だったら?
きっと、わたしも同じ道を辿っていたかもしれない。
そう思った時、長年抱えていた父や祖父への軽蔑の念が、静かな共感へと変わっていった。
彼らは、わたしとは違う“設計図”を持って、必死に生きていただけなのだ。
わたしが彼らを断罪できる資格など、どこにもなかった。

こうして一つ一つの数値を読み解いていくと、「わたし」という存在は、努力や性格といった曖昧な言葉で語れるほど単純ではなく、無数の遺伝子が織りなす、あまりにも複雑で精巧な“いろんなものの集積”としてできているのだと気づかされる。

例えば、脳内の幸福物質セロトニンの運搬能力が低いという体質。
それが、「人の感情に敏感」「共感しすぎて疲れてしまう」といった、わたしの繊細すぎる気質にも反映されている。
他人の苦しみを自分のことのように感じてしまい、一晩中眠れなくなる夜がある。
それは生きづらさであると同時に、物語を創作したり、人の相談に乗ったりする上での、かけがえのない強みにもなっていた。

欠点と強みの境界線は、おそらく遺伝子の一塩基ほどの、ごく僅かな差でしかないのだろう。
ほんの小さな違いが、その人の見る世界を、そして人生の航路を、大きく変えてしまうのだ。

✅最前線に立つものとして

「遺伝子は、運命ではない」

巷でよく聞かれるこの言葉の意味を、わたしは今、ようやく本当の意味で実感している。

遺伝子は、決して未来を決定づける“絶対的な予言書”ではない。
それは、自分という乗り物の“取扱説明書”であり、同時に、気の遠くなるような時間をかけて編纂された“歴史書”なのだ。
説明書の通りに動く必要もなければ、その特性を知らずに無茶をして壊してしまうこともある。
大切なのは、どんなエンジンを積み、どんな配線を持って生まれたのかを知った上で、その“仕様”を理解し、乗りこなしていくことなのだ。

わたしのこの体には、過去を生きた無数の祖先たちの生き様が、静かに、しかし確かに刻まれている。
彼らが生き抜くために選んだ食べ物、暮らした土地の気候、感じたであろう飢えや寒さ、それらすべてがわたしのDNAに小さなサインとして残り、今のわたしを形作っている。

つまり、わたしは「わたし」という単一の人間なのではなく、何十億年という生命の記録と試行錯誤の、まさに“最前線”に立っている存在なのだ。

この壮大な事実を知ってから、不思議と「自分を責める」という行為が、ほとんどなくなった。
疲れやすいのも、集中が切れやすいのも、不安を感じやすいのも、かつて誰かが生き延びるために必要とした“仕組み”の名残だったと理解できたからだ。
それは、もはや克服すべき欠点ではなく、尊重し、うまく付き合っていくべき、愛すべき個性となった。

遺伝子検査の結果が映し出された画面を見つめながら、わたしは、小さく「ありがとう」とつぶやいた。

その言葉は、この複雑で面倒な体を、それでも懸命に生きてきた今の自分自身に向けたものであった。
そして、この“設計図”をわたしに手渡してくれた、名も知らぬ過去の誰かに向けたものでもあった。
わたしの中には、何百人、何千人もの“わたし”が生きている。
その声に耳を澄ますこと。
それが、自分を大切にするということなのかもしれない。

これから先の人生を、この設計図を手にどう使っていくのか。
その答えは、まだ、検査結果の中には書かれていない。
だが、一つだけ確かなことがある。
この物語の続きを書き込んでいくのは、無数の祖先たちの希望と絶望をその身に宿した、「わたし」自身なのだ。


✅LINE公式アカウント

心を整える事のご相談、家事育児の悩みのご相談は
LINEでご連絡くださいね。
😊


✅お知らせ

りんだーくの定期マガジン【エッセイ集】を発行しました。
毎日更新のこの記事よりも、より細かく人生の生き方のコツや日々思った事を書いたエッセイを書いています。
気になる方はこちらをどうぞ。
りんだーくの定期マガジン【エッセイ集】


✅合わせて読みたい


✅インフォメーション

🐰X(旧Twitter)(フォローお願いします😊)
🐰Instagram(見に来てね😊)

📖Blog
 🔹主夫の楽しい生活Blog(主夫が楽しく暮らすあれこれのBlog)
 🔹
リン☆だあくの家事MAX(主夫になりたい人を応援するBlog) 
 🔹
リン☆だあくの副業術(主夫をしながらでも副業をやる情報のBlog)

🔵お仕事依頼(グラフィックデザイン)
🔵お知らせ
🗺サイトマップ


🙌サポートして頂けると飛び上がって喜びます!😍

#エッセイ #コラム #生き方 #毎日更新 #毎日note #楽に生きる #楽しく生きる #人生 #短編小説 #物語

いいなと思ったら応援しよう!

りんだーく@📖note連続更新1000日以上達成❗ ✅よろしければサポートお願いします❗ 毎日更新の励みになります😊 頂いたサポートは、毎日の活動費(スタバ代など)に大切に使わせていただきます❗❗これで、スタバでコツコツ記事を書くことができますー。ありがたいです。🙏