考察丨『還る場所』を持たない人間は、どこへ還るのか
私は一人っ子です。
兄弟姉妹もおらず、 しかも従兄弟もいない。
父方の親戚とは完全に絶縁状態です。
残っているのは、
母方の、強い共依存構造を持った親戚だけ。
そして最後にいるのは、
「いつか娘が赦して戻ってくるだろう」
と、大阪で首を長くして待っている両親です。
だから私は時々、
自分の行く末を考えることがあります。
もしこのまま歳を重ね、
人生を共にするパートナーも現れなければ、
私は最終的に、 “完全な天涯孤独” になるのだろう、と。
普通の人には、
実家
兄弟姉妹
親戚
帰省先
家族LINE
法事
墓
そういう、 “血縁共同体の網”があります。
でも私には、 その感覚がかなり薄い。
むしろ、
すべての親戚イベントキャンセル界隈です。(笑)
祖父が亡くなった時でさえ、葬式には行かなかった。
むしろ私にとって家族とは、
安心より緊張
愛情より役割
団欒より空気読み
そういう感覚と結びついていました。
だから私は昔から、 どこかでずっと、
「自分は、自分を守りながら進むしかない」
という感覚を持っていたのだと思います。
そして今、 実際に家系や親族と距離を取り始めたことで、 その感覚は、 “予感”ではなく、 かなり現実的な輪郭を持ち始めています。
でも不思議なのは、 最近はその事実を、
以前ほど“絶望”としては見なくなったことです。
もちろん寂しさはあります。
ここ数年、
GWやお盆、お正月はずっと1人で過ごしています。
でも私は、
戻れない場所へ無理に戻ることで、 自分を壊し続ける人生も、 もう選べなくなってしまった。
■ 「還る場所」が無い感覚
世の中には時々、
「何があっても家族がいる」
という感覚を持っている人がいます。
実家/親戚/故郷/血縁
そういう“後ろ盾”のようなものです。
けれど私にとって血縁とは、
後ろ盾というより、 “鎖”に近いものでした。
もちろん、 形式上は家族はいました。
けれど心理的には、
無条件に受け入れられる場所
何があっても味方でいてくれる場所
として感じられたことは、
正直あまりありませんでした。
むしろ私にとって家族とは、
期待
罪悪感
役割
共依存
そういうものと結びついていた。
私は昔から、 家族の中で“子ども”ではなく、
家族の理想を背負わされる存在
として扱われてきました。
親の承認欲求
娘に「こうあってほしい」という願望
それらを背負わされ、 叶える役割を担っていた。
だから私は、 安心して甘えるより先に、
「期待に応えなければならない」
が先に来る子どもでした。
だから今でも私は、
“家族と支え合う感覚”が、よく分かりません。
私の中に残っているのは、 支え合うというより、
互いに縛り合い、 足を引っ張り合う記憶です。
そしてその感覚は、 大人になった今でも、
私の中に残り続けています。
■ 家系と距離を取った時、“ご先祖様”の気配も消えた
両親や親戚と距離を取った時、 あるものが、
少しずつ自分の中から薄れていきました。
それは、“ご先祖様”という存在そのものです。
何か困った時
神社で手を合わせる時
墓参りをする時
私は少なからず、
「ご先祖様が守ってくれるかもしれない」
と思っていました。
世の中には、
「ご先祖様が見守ってくれている」
「先祖が導いてくれている」
と、自然に語る人がいます。
でも私は、 家系との繋がりを切った瞬間、
ご先祖様
家系
血縁
ルーツ
そういうものが、 一気に遠くなってしまった。
たぶん私の中では、「ご先祖様」そのものが、
“血縁共同体へ所属している意識”と、 強く結びついていたのだと思います。
だから家系という共同体から外れた時、
“背後から守られているもの”も、
一緒に消えていった。
それは少し、
底なしの空間へ放り出されたような感覚でした。
帰属が消える
後ろ盾が消える
「守られている」という幻想が消える
そのあとに残ったのは、
「自分で生き延びなければならない」
という、 静かな実感でした。
だから、「ご先祖様が守ってくれてるよ」
という言葉を聞くと、 私は少し困ってしまう。
もちろん、
その言葉に救われる人がいることは分かっています。
でも私の中では、 どうしても、
「あの人達と同じ系譜の“ご先祖様”に、 本当に守られたいと思えるのだろうか」
という感覚が消えないのです。
むしろ私は、 その“血の連なり”そのものから、
必死に距離を取ってきた側の人間でした。
だから、 血縁と切り離された瞬間に、
“ご先祖様”
という感覚まで、 一緒に遠ざかっていったのだと思います。
■ 「赦し待ち」の両親
そして今、 最後に残っているのが両親です。
けれど、その関係も、
もう昔のようには戻りません。
私には分かっています。
両親はたぶん、 どこかで、
「いつか娘が戻ってくる」と思っている。
「時間が経てば赦される」と思っている。
もしかすると彼らの中では、
今も私は、 “少し拗ねて距離を取っている娘” くらいの感覚なのかもしれません。
でも私はもう、 昔の場所へ戻れない。
なぜなら私は、 人生をかけて、
ようやく“自分”を取り戻し始めたからです。
昔の私は、
自分の感情より、 周囲の空気を優先し、
自分の人生より、 家族の安定を優先していた。
でも今は違う。
私は初めて、
「自分の人生を、自分の感覚で生きる」
という場所へ来てしまった。
一度そこへ辿り着いてしまうと、
もう以前の関係性には戻れない。
なぜなら、 昔の関係性を維持するには、
再び“自分を消すこと”が必要になるからです。
だから今の私は、
まだ故郷へ帰還できないのだと思います。
もしかするとそれは、
単なる物理的な距離ではなく、
“かつての役割へ戻れなくなった人間”
なのかもしれません。
■ 罰当たり
「親なんだから大事にしなきゃ」
「育ててもらったんでしょ」
そう言える人達は、 私にとっては、
“ペルソナ・ノン・グラータ”のような存在です。
きっと彼らは、
“家族が安全基地として機能していた側の人間”
なのだと思います。
家族が、無条件に帰れる場所だった人。
傷ついた時、「守られる側」でいられた人。
だからきっと、 「それでも家族は大事にすべきだ」 と自然に言える。
でも私は、
“生き延びるために距離を取らなければならなかった側” の人間
でした。
だから私にとって家族は、 愛情だけではなく、
恐怖や緊張や自己喪失とも結びついているのです。
こんなことを書いたら、多くの人から、
「冷たい」「薄情だ」「親不孝だ」
と思われるのかもしれません。
でも私は、 親や親戚が亡くなった時、
呼び出される未来を想像するだけで、
強い苦痛を感じます。
病気になっても、
正直、私は面倒を見る気になれません。
むしろどこかで、
どうか最後ぐらいは私を巻き込まず、
大人しく静かに終わって欲しい。
とすら思っている自分がいます。
私の中に浮かぶのは、 悲しみより先に、
「これ以上、 私の人生の邪魔をするな」
という感覚だからです。
仕事を止める
遠方へ移動が発生する
葬式をする
役所へ行く
遺品を整理する
親族対応をする
そして最後まで、 “家族の役割”を背負わされる。
その光景を想像するだけで、
息が詰まりそうになる。
私は墓も要らないと思っています。
全部散骨でいい。
誰にも管理されず、 誰も管理せず、
そのまま土へ還ってほしい。
実際、 私は親へエンディングノート一式を渡しています。
口座、保険、契約、延命、死後の整理
最低限、 自分のことは自分で片付けてほしかった。
でも恐らく、彼らはまだ書いていないと思います。
どこかで、「最後は娘が何とかしてくれる」
という感覚が、 まだ残っているのだと思います。
普通の家族関係だったなら、
きっと違ったのでしょう。
亡くなった後も、
一族の墓を守りたいと思えたのかもしれない。
繋がりを大切にしたいと思えたのかもしれない。
「ちゃんと見送りたい」
そう自然に思えたのかもしれない。
でも私の中には、
「死んでもなお、 支配構造へ戻りたくない」
という拒否感が残っている。
それほどまでに私は、 “家族”という共同体の中で、 長い間、 精神を消耗してきたのだと思います。
■ それでも私は、自分で生きるしかない
私は昔から、 人生の重要な場面ほど、
「自分で何とかするしかない」
という感覚が強くありました。
DVに巻き込まれた時
男に借金を背負わされた時
癌になった時
人生が崩れた時
もちろん、 20代の頃、
DVや借金問題に巻き込まれた時は、
助けを求めました。
でも、 両親も親戚も、 私を助けてはくれなかった。
むしろ、そんな男に捕まった私を罵った。
思い返せばその時々で、
私への扱いは、都合よく変わっていったように思います。
学生時代、 結果を出せなければ、
「落ちこぼれ」「一族の恥さらし」と言われる。
就職して、 社会的に評価され始めると、
今度は、 「一族の誇り」として扱われる。
でも、 そのようなトラブルへ巻き込まれれば、
再び突き放される。
そして私が癌になった時。
その時に感じたのは、 純粋な心配だけではありませんでした。
どこかに、
「自己価値を投影する対象がいなくなるのは困る」
「将来、自分たちの面倒を見る存在を失うのはまずい」
という焦りを含んだ、 強い共依存的な気配も感じていました。
だから私は、 家族というものを、 無条件の愛情として受け取ることが、 最後まで難しかった。
もちろん、 時々怖くなります。
老後はどうするのか
本当に一人になったらどうするのか
考え始めると、 不安は無限に出てきます。
でも同時に、 私はもう知っています。
人は、“後ろ盾が無いこと”によって、
逆に自分の足で立たざるを得なくなることがある。
この感覚を考えていると、
「火事場の馬鹿力」「背水の陣」という言葉は、
もしかして私を語源にして生まれたのではないか、 と思うくらい、 妙にしっくりきます。(笑)
実際私は、 逃げ場が無くなった時ほど、
異様な集中力と分析力で、 人生を立て直してきました。
普通なら潰れていてもおかしくない場面で、
「じゃあ、ここからどう生き延びるか」
を考え続けてしまう。
それは強さというより、
“立つしかなかった人間”の反応なのだと思います。
以前どこかでも書きましたが、 私はたぶん、
“女版ダイ・ハード” としてしか、
生きられないのだと思います。
次から次へと問題が降ってきても、
その場で応急処置をしながら、 何とか前へ進む。
優雅に守られながら生きる人生ではなく、
壊れた場所をその都度補強しながら、
自力で突破していく人生。
だから私は、 「守られる生き方」 より、
「生き延びる方法を考える生き方」の方が、
ずっと馴染み深いのです。
■ それでも、人は自分で「系譜」を作れる
最近は、 血縁だけが“支え”ではないのだとも思い始めています。
以前、別の記事でも書きましたが、 私は、
「遠くの親類より近くの他人」
という中国の言葉を、 とても大切にしています。
遠方にいる親類より、 近くにいる他人の方が頼りになる。疎遠な親類より、 心を通わせられる他人の方が、 人生を支えてくれる。
私はこの言葉に、
昔から妙に救われる感覚がありました。
実際、 人生を生き直し始めてから、
私を支えてくれたのは、
“血縁”
ではなく、
今を共に歩いてくれている人達
でした。
苦しい時に話を聞いてくれた人
見捨てずにいてくれた人
境界線を尊重してくれた人
私を「役割」ではなく、
一人の人間として扱ってくれた人。
そういう存在たちが、
少しずつ、 私の新しい人生の血肉になっていった。
伴走者のように、
隣を歩いてくれている感覚があります。
だから最近、
神社などで手を合わせる時も、 昔のように、
先祖や血縁者を思い浮かべることは、
ほとんどありません。
代わりに浮かぶのは、
今、自分の人生を共に歩いてくれている人達の顔です。
私は、 その人達の幸せを願いながら、
同時に、 自分自身の幸せも願っています。
そして、 今使っている新しい名前にも、
一つの意志を込めています。
これまでの家系の連鎖を、
自分の代で断ち切ること。
そして、 ここから先は、
自分自身の意思で人生を始めること。
だから今の私は、
血縁へ戻ろうとしているのではなく、
家系の外側から、 新しい精神的な系譜を、
自分の手で作り直そうとしているのかもしれません。
■ 最後に
今でももちろん、寂しさはあります。
気づけば、 パートナーをどう見つけるのか、
もう感覚を忘れてしまうくらい、
一人の時間が長くなってきました。
GW。
お盆。
正月。
そういう節目の時期に、
「還る場所がある人」
を見ると、
やっぱり少し羨ましくなることがあります。
当たり前のように、実家へ帰る人
家族LINEが動く人
「おかえり」と言われる場所がある人
連休を、自然に誰かと過ごせる人
そういうものを見ていると、
「ああ、世の中には、 “誰かと還る場所を共有している人達” がいるのだな」
と、少し遠い世界のように感じることがあります。
そして同時に、 自分はずっと、
“還る”より、“生き延びる”を優先してきた人間だったのだとも思うのです。
でも私は、 もう昔の自分には戻れない。
無理をして空気を読み、 役割を演じ、 自分を削りながら共同体へ適応していた頃には、 もう戻れない。
そして、 戻れないからこそ、
自分で人生を作るしかない。
誰かがいるから安心できるのではなく、
誰がいても、 誰がいなくても、
自分で「還る場所」を作れる人間でいたい。
ただその一方で、 もし人生のどこかで、
「もう一人で戦わなくていい」
「一緒に、還る場所を作っていこう」
と言ってくれる人に出会えたなら、
私は初めて、 “生き延びる” ではなく、
“安心して生きる”という感覚を、
少しずつ覚えていけるのかもしれません。
誰かに用意された人生ではなく、 自分の感覚で選び、 自分の意思で築いていく人生を、 これからは生きていくのだと思います。
