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私は、お箸が欲しかったのか?

いつの間にか、目的がすり替わっている事はないだろうか?

あなたが、炊きたての真っ白なご飯を食べたいと思う。小さい子供の頃は、お箸も使えずに手づかみで食べただろう。

だんだん、お箸の使い方を覚えて「そうか! お箸を使えば、手も汚さず食べられるのか!」と学習し、ご飯を食べるには、お箸が必須となる。

お箸があれば、炊き立ての白いご飯も食べられるし、鮭だって味噌汁だって手を汚さず快適に食べられる。

お箸さえあれば、食事という生きるのに必要な行為が、快適に便利にできる。そこまではよい。本来はご飯を食べる事が目的でお箸は道具だったはずだ。

 がしかし、大多数の大人はいつの間にか、お箸を集める事が目的にすり替わっていないだろうか? お箸を今日の分、明日の分、家族の分、老後の分と集めているのでは……

「いやいや、うちは一人一膳だからそんなに集めていない」と答える人が大多数だろう。


では、お題を変えてみよう。お金はどうだろうか?

小さい頃は、お金なんて欲しくなかったはずだ。知らないおじさんの絵と数字が印刷されている、ちっさい紙切れや、丸くて薄い金属の塊……。そんなもの、子供にとっては、なんの役にも立たないからだ。

子供の頃欲しかったのは、お母さんの握った温かいおにぎりを、歌でも歌いながら一緒に食べたり、雨上がりの水たまりに、妹と一緒にジャンプして大笑いすることだろう。

本来はストレートに、喜びや幸せを求めていたはず。

いつの間にか、大人になるにつれて、喜びや幸せを体験する事が目的ではなく、お金を得る事や貯める事が、目的にすり替わっていないだろうか?

当然ここで、「喜びや幸せを体験するためには、お金が必要なんだから当たり前だ」と言う声が聞こえてくる。

だがここで、よくよく分析してみて欲しい。お金を得たり貯めたりした時点で、あなたは実際、喜ぶような事を体験していないのである。
ただ、あなたの財布におじさんの絵が印刷された紙きれがあるだけだ。

福沢諭吉の大ファンだと言うなら少しは嬉しいかもしれないが……

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ただ、この諭吉ロゴ入りの紙きれがあれば、後々幸せになると言う思い込みがベースにある為に喜んでしまうのだ。


要するに、夢の世界のトリックに騙されて目的をすり替えられていませんか?と言う問いかけである。

本来の目的は喜びや幸せだったのに、いつの間にかちっさい紙切れを手に入れる事が目的にすり替わっていないだろうか?ここに気がつかないと、いつまでたっても幸せふうのもの追いかけるループにハマる。

炊きたてのご飯を食べたいと思っていたはずが、お箸集めに躍起になる。
戸棚に溢れるほどお箸を持っていても、お箸は所詮、道具だ。お箸を持っていてもお腹はいっぱいにならないのだ。

当初の目的を忘れないようにしないと、いつの間にかお箸を集める事が幸せだと勘違いし、いざお箸を使う時には「あぁ、お箸が減ってしまう、もったいない」と本末転倒な、思考回路になってしまう。
お箸はあくまでも道具であり、手に入れても貯めても価値はない。使った時にこそ価値がある。お金も然りだ。


更に言えば、お金と言う全く実体のないものを追わせるのは、夢の世界のトリックなのだ。完全に……。お金には頑丈なトリックが何重にも、仕掛けてあるので、この記事を読んだくらいでは、この頑丈なトリックは、びくともしないだろう。

大多数の人が「お金がないと喜びも幸せも味わえないし、そもそも生きていけないじゃないか」と言いたいのは、よくよくわかる。

だからこそ、敢えてもう一度聞く。

本当にお金がないと、喜びも幸せも味わえないうえに、そもそも生きていけないのか? それは真実だろうか?


ほんの一瞬でも「えっ……? もしかして、そうなの?」と思って頂けたら、わたくし的には大成功。

なぜなら、あなたのお金がなければ生きていけない!喜びも幸せも味わえない!と言う固定観念に、ほんの少しひびが入ったからだ。

そのうち、ひびが大きくなり割れて崩れ去る時が訪れたら、あなたは「なんだ、お金なんてなくても、生きて行けるではないか! なら必ずしも労働する必要もないのか! おや、まわりは喜びや幸せで溢れかえっているではないか」と言う、途方もない自由な世界に、目を見開くのである。

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